二章《四節 戦う者》2
そのガレオには構わず、オルグレンが正門へと走る。
その姿をロゼは見た。
更に向こうでは落とし格子が、もはや半分ほど閉じている。
夜番のルキフ兵も昼間の出来事を知っているのか……大事な落とし格子を衝撃で傷めてまで、すぐに閉じてやる気はない様子だ。
これで昼間のもめごとなどなければ彼らも格子を落とし、騒ぎの当事者たちを捕えに動く、ぐらいのことはしたに違いない。
しかし、今は心情的にもクゼリュスに手を貸したくないと見えて、走るオルグレンにも、明らかに流血沙汰を起こしているロゼにも、いかにすべきか躊躇している。
――だが、事は順調にばかりは進まない。
正門から横手、門衛棟に人がいるのを、ロゼは視界の端に捕らえた。
薄暮でクゼリュスの手勢かは判然としない――しかし、弩、と。その影が手にした形から、ロゼは判断した。
案の定、その弩を番える操作が始まった。少し不自然な所作が、ロゼの目に留まる。
今や、その人物がオルグレンを狙っているのは、向きをみれば明白だった。クゼリュスの騎士で間違いない。
そして行おうとしていることは、先程ロゼがやったことと同じ。つまりは足を殺し、機動力を奪うことだ。
オルグレンも、それに気づいたらしい。
だが、怯んで立ち止まるようなことを、彼はしなかった。
勇気があるのだと、ロゼは思う。
青年は、二人分の荷物を持ち、武器はあるが構えられず……そして、旅装束に最低限の鎧しか身にまとっていない。無防備な状態で、鋼に身を晒しているにも関わらず、ただ門を目指している。
その姿に、自分が信じられているらしいともロゼは悟った。門を出るまでに鋼を振るう必要があれば、すべて引き受ける、とロゼは彼に言ったのだ。だから構わず進んでほしい、その方がやりやすいから、と。
しかし一方で、ロゼの前にはガレオが飛び出してきていた。
その、血走ったような目。そこには明らかな怒りがあった。アベスと言う名の騎士は不遜ではあるが、長身の騎士を惹きつける求心力を持っているということなのだ。
ロゼは駆けながらガレオを見る。
そして、接触の一瞬前、深く膝を落とした。
先程アベスが下から襲われたのを見ていたか、当然のようにガレオがそれを教訓に対応する。
長剣の間合い。長身の騎士は自身の優位を捨て、姿勢を落とす。
剣を低く横薙ぎに振るう。風鳴りを伴う、大振り。それが怒りを雄弁に語る。
当たれば、胴を別たれていた。
その風を切り裂く鋼を、ロゼは眼下に見た。深く力をためた足での跳躍。ガレオの一閃を飛び越し、その背を踏む。
更に、その背を都合のいい踏み台とした。
高く跳ね上がりながら、左腕を振りかぶる。その手に持つのは、暗器の一種だ。
朝に飛刀と称された、それ。
投矢の類で、発案者が名付けて曰く、投箭。投げやすいように加工した細く薄い両刃の刀身――柄のない小刀のようなものだ。
指に沿うように、手の中にそれを構える。無論、小さなそれで弩を持つ騎士を、一度で無力化などできはしない。
弩の騎士が、射撃姿勢に入る。
ロゼは腕をしならせた。
――投擲。引き金が絞られたのと、投箭が弩臂――弩の本体に突き立つのが同時。
それだけでは人を殺せぬ、小さな武器。だが、その衝撃で弩の狙いを狂わせるには、十分だった。
反れた弩の矢は、オルグレンの少し前の空間を抜けていく。
青年が立ち止まることなく、駆け抜けた。
「通ったぞ!」
格子の下を背を屈めてくぐり、オルグレンが叫ぶ。
ロゼも着地し、走った。後ろでは転倒したガレオがもがいている気配があるが、見はしない。
それより走る。
広場のどこかで、格子を止めろと誰かが叫んでいる。無理を言うな、と誰かが叫び返していた。
機械式――歯車を用いた脱進機は繊細だ。途中で急制動を駆ける仕組みもあるが、動いている大歯車に楔を差し込むものが大半。動作中にそんなことをすれば、構造に多大な負荷がかかる。
万が一にでも壊れれば、ルキフにとって大きな問題だ。他に小さい門があるとはいえ、この街における玄関はここのみ。多くの人口を抱え、数多の交易が行われる賑やかな街の、玄関が機能しないとなれば損失は大きい。
その大事な落とし格子が間近。
もう、間もなく。まだ、問題なく通過できる。
しかし、直前。ロゼは山刀を構えた。鋼同士が触れ合う、高音。自身に届きかけた刃を弾く。
それは、先ほど弩を放とうとしていた騎士の剣だった。再装填を早々に諦め、弩を投げ捨てた騎士が、駆け出したのはロゼも認識していた。
だが、彼よりわずかに早く落とし格子に、たどり着けると踏んでいたが……オルグレンにも、ロゼにも追いつけないと判断したか、騎士が己の剣を投げつけてきたのだ。
飛刀や投箭とは違い、剣は重い。
弾くのに、ロゼは足を緩めざるを得なかった。
それが隙となった。素早く間合いを詰めた騎士は、体ごとでロゼにぶつかってくる。
体重は武器、速度は力。軽いものと勢いのある重いものが衝突すればどうなるか……当然、弾き飛ばされるのはロゼの方だ。
「ぐッ!」
更に、ロゼは呻いた。脇腹に重い痛みが突き抜ける。
騎士は落ちる途中だった剣の剣身を、鉄籠手をした手で掴むや、態勢を崩したロゼの脇を鍔で殴打したのだ。
息が詰まる。後ろによろける。
だが、転倒は避けた。地を両足で捉えながら、ロゼは騎士を見上げた。
――その騎士は、違和感のある姿だった。
鉄籠手の頑丈さに任せ剣身を握り、槌のように鍔を振り下ろさんと掲げた騎士。その男には、左腕がない。肘の辺りから先がなかった。
そして、その黒い瞳は暗く……とても冷たい。いや、とロゼは胸中で呟いた。
騎士の瞳が変化する。驚きに見開かれたのだ。
そして、瞬の空白。
直後、鋼のような鋭さを帯びたものに変化する。
「――死神の縁者か!」
気づけば……先ほどの当身のせいだ。ロゼが顔を隠すために被っていた外套は、背の方へと落ちていた。
だが、その驚き。
この一瞬の隙に、ロゼは動いていた。腕の革帯の内側に隠した投箭を、手の中へ。
「さてね!」
言うとともに、顔へ真直ぐに投げ放つ。
咄嗟、隻腕の騎士は剣を下ろし顔を庇った。
投箭は虚しく地に落ちるが、ロゼはその間に身を翻した。脇腹が痛むが、今は無視だ。
膝の高さも残っていなかった落とし格子の牙の隙間を、ロゼは転がるようにすり抜けた。重い音を立て、落とし格子が完全に口を閉じる。
途端に――ロゼは腕を引っ張られた。さらに腰のあたりから振り回される。
同時、鋼同士が組み合う音が彼の頭上。
ロゼは後追いで理解した。引き起こし、自身の体を小脇に抱えたのはオルグレンだ、と。
その彼。
荷を置き、剣を引き抜いたオルグレンが、ロゼを狙った刃を受け――弾く。
敵は――、ロゼがどうにか顔を上げれば、松明に姿が映った。落とし格子から囲郭を抜ける通路の灯りに長身の騎士――ガレオが影を踊らせる。
転倒しながらも、ただ、ただロゼへと追いすがってきたらしい。
閉じる寸前の格子の下を、潜り抜けたのだろう。息を荒げている。それは冷めやらぬ怒りと、興奮によるものか。
長身の騎士を見やり、ロゼは冷たい物を体の芯に感じていた。
オルグレンがいなければ……と、彼は思う。確実に斬られていた。
ガレオが斬り込もうと、こちらの隙をうかがっている。それをオルグレンが牽制する形だ。
長身の騎士は、斬り込みたかったに違いない。
なにせオルグレンは、体勢の整っていないロゼという荷物を抱えているのだ。
だが、それを許す隙が、青年にはない。
船人などではない、ロゼはオルグレンが強き者である確信を持った。
彼が構える剣には、迷いも恐れもなく、凛とした強さがある。
「ガレオ! やれ!」
「いかん! 退け!」
格子の向こうから声がかかる。
一方、赤髪の騎士アベスが、殺せると言う。
一方、隻腕の騎士が、殺されると言う。
果たしてどちらが正解か――その結果はすぐに出ることとなった。




