二章《四節 戦う者》1
太陽が山並みに身を沈め始めている。
高い囲郭に囲まれた街並みには、闇色が満ちつつあった。煮炊きをするような匂いが、薄く風に混じっている。
街の正門の前は、ほんの少し前まで内に駆け込もうとする人であふれていたが……今はその列も消化され静けさが落ちていた。
ユドの同僚らが閉門の作業に追われるのを、ロゼは静かに観察した。
そうして潜むのは、第二門の近くだ。
今朝騒ぎを起こしたあたりを、今は街側から覗いている格好となっている。
「間もなくのようだね」
ロゼは言った。その言葉を聞くのは、オルグレンのみだ。
ユドとは夕食を取った屋台広場であのまま別れた。彼も引くべき線は分かっていた様子で、幸運を、とだけ言いあったのが別れの言葉だ。
ただ――いくつかのひとり言を、ロゼらの前で漏らしてくれたが……
曰くルキフにおいて、門はこの正門と他小さな門が二カ所。それらは正門よりも少し早く門を閉めるらしい。
続けて曰く、クゼリュスの騎士は八名、全員騎馬で訪れた、と。
内訳としては四名は朝の騒ぎの当事者たち。
残りの三名の内、一名が兵卒と思しき小間使い。あとの二名は隊長とその従卒。この二人については、朝の騒ぎの際には領主に挨拶をするため不在だったとのことだ。
ロゼは広場の観察を続けた。
今、そこに見える範囲で、クゼリュスの騎士とわかる人影は二人だ。
彼らは街に入ることが許されなかったため、門に近い広場で見張るという形をとっていると伺えた。
二人の内、一方は疲れているのか、それとも閉門が近いと見て緊張感が切れたのか、腕を組んだまま何度も足を踏み替えている。もう一方は、閉門の様子でも見ているのか、あるいは暇つぶしか、ふらりと歩きだす有り様だ。
他、クゼリュスの騎士は何人程度、付近に控えているものか……ロゼは胸中に呟く。希望を言えば、他二カ所の門にも人が割り振られ、減じられていればいいと思う。
だが……彼は確証がないことを願うのは、早々に諦めることにした。
小さく目を伏せて思考を切り替える。
そうして横を向けば、ロゼの目には緊張の面持ちのオルグレンが映った。
通り道にクゼリュスの騎士がいる以上、穏便な抜け方はできないと、彼も覚悟していることがわかる表情になっている。
他に抜け方があればいいのだが、ルキフの囲郭は登るにはあまりに高い。
そうするうちに、囲郭の楼台にルキフの兵とおぼしき影が現れた。
閉門の作業が始まったのだ。
とはいえ、正門の周りで働くルキフ兵は少ない。
夜番の者に交代するとそうなるのだ、とユドが言っていた。詳しくは防衛上の事情から語ってくれなかったが、ロゼが閉門は機械式かと問うと、返答代わりに肩を竦めていたのが思い出される。
彼は、朝の方が重労働だ、と。歯車管理が難しいとだけ愚痴を言っていた。
楼台で灯りが揺れる。閉門せよとの言葉の代わりに。
その合図を受け、広場の兵士が松明を振った。今度はそれを囲郭の中の者が受け取ったらしい。
やはり、歯車を使った機械式。低い軋むような音をたて、ゆっくりと落とし格子が振動する。
有事には自身の重みに任せ、名の通り斬首刀のように落とされるであろう巨大な格子。それが今は重みを脱進機に預け――ゆっくりと降り始めた。
重く滑る音が一定の拍子で響く。それと共に格子が落ちるのが、目に見えてわかる速度だった。
「さっき話した通りだ。先ず君は、彼に向けて走ること。そこからは、ただ門を目指す……いいね?」
そう言い、ロゼは横にある腕に触れた。
その合図でオルグレンが走り出す。長身であることもあってか、ロゼの分の荷物を背に負っても、青年の走りは速い。
ロゼも外套を頭から目深に被り直し、彼の背をひたりと追うように走った。
「誰だ!?」
誰何の声。
それを立ち止まっていた方の、クゼリュスの騎士が上げる。
他方では騒ぎの起こりを感じ、ルキフの兵たちが振り返るのが見えた。
その中で、クゼリュスの騎士がもう一度叫ぶ。
「待て! 名乗れ!」
声を聞くに……、とロゼは記憶を探った。
その騎士は朝の騒ぎの際に、横柄な態度を取っていた、赤髪の若い騎士――アベスで間違いない。
騎士の問いに答えはしなかった。しかし、ややあって距離が詰まると、広場の篝火に照らされて正体が見えたのだろう。
「逃がすか!」
言うや、赤髪の騎士は剣を鞘ごと外し、正眼に構えた。彼は、生かして捕えよとでも厳命されているらしい。
とはいえ昼間の屈辱は拭えない様子で、篝火に照らされた目が硬質な光を帯びた。燃え立った視線でオルグレンを射抜く。オルグレンが、自身にまっすぐ駆けてくるのを、これ幸いとでも思った様子だ。
だが――
「アベス様!」
警告の声は、少し離れた位置にいたガレオが発した。
アベスが、その警告の真意に気づく前。ロゼは、姿勢を落とした。低くなり、大腿から山刀を抜く。
そして、オルグレンの背という影から横跳びに飛び出た。
同時、――打ち合わせの通りだ。
オルグレンが、アベスに向かっていた足を、正門へと切り返した。
アベスが混乱を示す。目前で目的の男が反れて動き、片方には、突如現れたように見えるであろう新手だ。
あまつさえ、彼は長身のオルグレンを狙っていたのだ。その構えの位置は、高かった。
地を這うように低い姿勢のロゼを、薙ぐには高すぎる。
それでも赤髪の騎士アベスは、懸命に対応しようとはした。騎士と名乗るにふさわしい剣の取り回しをする。
だが、遅い。
ロゼは山刀を振るった。胴鎧と、鉄靴の間。騎士の大腿を薙ぐ。
深すぎず、浅すぎずに、だ。
当人が、任務を放棄しない程度を狙う。無論、敵を減らすには殺す方が早い。だが、これは言わば、先を考えた備えのようなものだ。
斬りながらロゼは、犬のような悲鳴を上げるアベスの脇をすり抜けた。そして、反転。苦悶に身を縮ませようとするアベスの背を、遠慮なく蹴り倒す。
もしも、彼が平常心を保てていたならば。
もしも、この場がもう少し明るければ、結果は違ったのかもしれない。
しかし、赤髪の騎士は無様にも転がった。
「この――、おのれッ!」
長身の騎士ガレオが怒りの声を上げる。ガレオは、アベスという赤髪の騎士の、従卒のような立場とうかがわれた。
主人を足蹴にされ、ガレオの顔が朱に染まる。
「ははっ」
意図的にロゼは笑った。そうしながら、ガレオの怒気が向くのを感じた。
射抜くような熱意の視線だけではなく、実際長身の騎士が、鞘走らせて剣を抜く。他でもないロゼに向けて。
オルグレンに追いつけぬ位置ではないにもかかわらず、だ。




