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【 西へ西へと、君と征く 】  作者: 八尾 十一
十三章〈暗い淵の方へ〉
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十四章《一節 声が聞こえずとも》2

 

 揺れる。

 整備された街道とはいえ、石を踏み、僅かな凹凸で揺れる馬車の中で、オルグレンはただ静かに過ごした。

 目の前には監視――、いや彼らとしては警護のために老武人の息子が座している。

 会話はない。


 ただ道に揺すられる不格好な音が響く中。

 ――鳥か。

 オルグレンは、それをはじめ囀りかと考えた。

 しかし、尾を引くような長い音で、鏑矢の音だと認識を改める。

 すぐにでもその正体を確かめたいところではあったが、生憎と窓掛を締め切られた箱馬車の中。

 隙間からでも透かし見たいところではあるが、それは許されそうにない。


 オルグレンは、見るともなく進路へと顔を向けたままの視界の端で、向かいの騎士の様子を映した。

 その男は、車外の僅かなざわめきの声を聴きながらも、動揺することもなく静かに構えている。

「マグリット様、二名向かわせます」

「三名にしろ。噂に聞く狂剣のようであれば、下手に追うな。追い払えればそれでいい」

 向かいの薄青い瞳の騎士が座したまま、外の副官の声にそう答える。


 マグリットの引き締まった顔つきは、父であるという老武人――マクベッドによく似ていた。

 その碧眼が逆に自身を観察してくるのを感じ、オルグレンは凪の表情を保つ。

 そうでありながら、胸の中では感情がめぐる。しかし、それを悟られぬよう厚く覆い隠す。


 来てくれるな、とオルグレンは願った。

 馬車を囲む護衛は、到底一人でどうにかできるような人数ではなくなっている。

 自身も戦えればと願うが、二人でも無理だろう。

 たとえ逃げの一手を選んだとて、馬も歩兵も豊富にいるのだ。あまつさえ、オルグレンには武器もない。


 来てはいけない。

 とはいえ高く響いた鏑矢の音は、オルグレンの胸に暖かさを届けてくれてもいた。

 視認できたわけではない。何か他に聞こえたわけでもない。

 しかし、わざわざ目立つことをしてくれている。


 オルグレンは、その矢を放ったものがロゼだと確信していた。

 つまり、少年は健在であり、無事に逃げおおせてくれたのだ。

 先ほどの鏑矢の音が、いささか遠い音だったことを思えば、またこの場からもうまく逃げ通すと想像ができる。


 神経を傾けていた耳に、鏑矢の音がもう一度響く。

 オルグレンにとって、それは言葉のように届いてきた。

 生きているよ、近くにいるよと、まるで知らせるように。

 今度は細部が不明瞭だったその音は、はじめよりも少し離れた位置で放たれたことを感じさせた。


 オルグレンは、理解した。

 ロゼは、決して無謀なことをしようとしているのではない。

 今の状況を冷静に見極め……その上で、知らせを寄こしてくれたのだ。


 そうであるならば、オルグレンは真直ぐに前を見た。

 視界に入ることになった騎士が、僅かに顔を動かす。

「貴方は、実に落ちついておられますね」

 にわかな苦笑を声に混ぜ、マグリットが言った。

「うまく逃げだす算段でも?」

 或いは人質であることを受け入れた覚悟でしょうかと、碧眼の騎士が検分するように視線を向けてくる。


「……私は、自身にできることを考えているだけです」

 オルグレンは、姿勢を保ったまま答えた。

 今できること。それは衝動のままにアィーアツバスに帰りつかねば、と無策に焦ることではない。

 このまま幽閉され一生を過ごすのではと、怯えることでもない。

 自らも最善を模索しつつ、何よりも信じる人が作り上げてくれるであろう一手を、見逃さずつかみ取る。

 そのために、何事にも対処できるように構えていることだ。


「父上も言っておられたが……確かに、貴方は礼に礼節で応じ、実に毅然としておられるお方だ」

 碧眼の騎士が少し力を抜いた声で言う。

 その声に注意を引かれて、オルグレンは彼へと目の焦点を合わせた。

「我が国の為、逃がすことはできないのが、誠に惜しくもあります」

 ですが代わりに、と小さな言葉が続けられる。

 そうして、マグリットが少し顔を近づけるようにしてきた。


 街道が整備されているとはいえ、馬車の車輪が騒音と振動で暴れている。

 元々この中の会話が外に漏れ聞こえることもなかろう状況であっても、憚ることを言おうとしているらしい。

 オルグレンもまた顔を寄せた。

 そうして、マグリットが言う。

「貴方は今なお、かの国の民に愛されておいでだ」

 貿易路に近いがために漏れ聞くのです、と秘密を打ち明けるように彼は言う。


 その一言に、オルグレンは静かに、しかし確かに胸が沸き立つのを感じた。

 肌を、胸を、草原を揺らす吹き渡る風が抜けていく。

 今はまだそのときでないのか、人々の顔を思い浮かべることはできない。だが、体に新たな支えができたような心地が満ちた。

「マグリット殿、感謝いたします」

 オルグレンは言った。

「平穏は尊ぶべきですが、私はこの政策について、あまり好いてはおりませぬ故」

 内密に願います、そう囁くと薄青い瞳の騎士が居住まいを直す。

 その間にも馬車と護衛が街道を進む。

 締め切られた空間では、方角さえあまり感じられはしないが、オルグレンはただ進む先を見た。

 

 それからどれほど進んだか。

「マグリット様」

「そのままで構わん、報告を」

 副官の声に碧眼の騎士が答える。


「鏑矢を放った者ですが、やはり白髪……狂剣であると思われます」

 すぐに地形に隠れられ、はっきりと視認はできずですが恐らく、と外の騎士の報告が続く。

「それから、アーベルト様の部下の方々が、鏑矢の音が雪降る地で使われていたものに似ていたと言っております」

 恐らくは動物脅し用の鏑矢に細工を施し、エーイーリィ独特の音色に似せたものであろうと言う。

 続いた報告にマグリットが何か気にかかる様子で腕を組む。

「エーイーリィの……」

 彼は、やはり、と口の中で転がすようにして言った。

 

 その報告は、オルグレンにとっても奇異なる話だった。

 思い出すのは、自分たちの旅路だ。

 特にタロトの大橋、そしてツァーカの荒れ野では、身軽になるために余分な荷物を捨てている。


 使うかわからない鏃を、ロゼがいつまでも持っているかと考え、否とオルグレンは胸の中に呟いた。

 ならば、彼らの言う通りロゼがわざわざ細工をして作ったということになる。

 しかし、オルグレンはエーイーリィの鏑矢の音を知らない。ロゼもそれを知っているはずだ。

 にも関わらずの行動は、何か意図があるのだろう。


 内なる思考へと、オルグレンは己を沈めた。

 なぜ、彼はエーイーリィの音を使ったのか。

 なぜ、あの音だったのか。


 あれは、――他に聞いているかもしれない誰かへの報せではないか。

 組み立てた考えを胸の中だけに呟きつつ、オルグレンは遮られた外の景色へと、思いだけを馳せた。

 長い戦いになるかも知れないと、そう覚悟しながら。

 

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