一章《四節 疼痛の先》2
オルグレンは、一瞬思案した。さっさとついて来いと言う、この騎士達の態度がどうあれ、この騎士たちはオルグレンのことを知っているのだ。
彼らについていけば己の事がわかるのでは……、と考えが浮かぶ。
実のところ、オルグレンは、申し訳なく思っているのだ。記憶にないがために、彼は海にのまれた船人たちの為に、深く悲しんでやれていない。生き残った船人たちと共に、故郷を案じてやれてもいない。何か分かれば、違うのではないかと。
しかし、とオルグレンは考える。先ほど耳に蘇った声の事だ。
――どうか、と何か願う声だった。
なぜ、自分は願われたのか。再び増してきた頭の痛みの中で、思い、考え……やがて、ひと際強い痛みの最中、オルグレンは目を見開いた。
痛みの中に、意思が浮かんだのだ。
自分は、帰らねばならない――と。
それは確信だった。すべては思い出せない。どこへかもわからない。
しかし、今この男たちに従うのは間違っていると、オルグレンは心を決めることができた。
今、自身がすべきは――
「――断る」
オルグレンは低く、はっきりと、意思を込めて言った。その瞬間、目の前が鮮明になるような心地を、彼は感じていた。
「俺は、帰らねばならない。何処かは知らないが、行かねばならない」
そして、ガレオという長身の男の手を振り払う。
「この――っ」
ガレオはオルグレンが素直に従わなかったことに、腹を立てたとみえた。傲慢だった。故に、立場をわからせようとしている。
ガレオの手が、オルグレンの襟をつかもうとした。
そこへ、
「ちょ、ちょっと、乱暴はよしてください」
手を伸ばしてしまったのは、カマスだった。心優しい御者が荷台から、ガレオに縋りつく。長身の騎士は単純に気に入らなかったと見えた。長身の騎士が、腕を横に振う。
そして、その腕がカマスの顔をしたたかに打った。
「あ、――」
誰かの悲鳴。それが上がった。
荷台の上で不安定だったカマスの体が、大きく傾ぐ。場所が悪い。下は石畳なのだ。
同時――強引に。オルグレンは、ガレオを押しのけた。
そして、腕を伸ばす。彼の手は荷台の船人と共に、辛くも宙を泳ぎかけたカマスの体をつかんだ。引き戻す。どうにか転落の前。カマスの体は、そのまま、しりもちをつくようにして座り込む。
だが、
「あぶない!!」
別の船人の声。オルグレンは見ぬまま、そこを飛び退いた。
そのすぐ脇を、銀色が光る。その白い筋を描いた剣が翻り、今度は――オルグレンは、体をよじった。アベスの剣が、胸の前の空を貫く。
見れば二名の騎士が、どちらも剣を抜き放っている。それは魔物を斬るにも、人を斬るにも適した長剣だった。
一方オルグレンは……当然、何も持っていない。手の届く範囲にさえ、何もない。粗末な襯衣の、船人然とした格好だけだ。
どちらかから武器が奪えれば――、と視線を走らせる。
そのままオルグレンは、胸中で首を振った。粗悪な振る舞いの二人だが、武器を構えた姿は騎士のそれだ。
果たして、素手で切り抜けられるものか……彼が短く思考する最中――
「牛車の向こう! 飛刀!」
叫んだのはノージスだ。
女騎士の警告に、ガレオが動く。長身の騎士はアベスを背の影に入れ、とっさに外套をふるう。
牛車越しに投擲された銀色が、布地に絡め取られて地に落ちる。
投げたのは――、オルグレンは目を転じた。視界の端にそれを映す。
それは影。いや、黒い外套を目深にかぶり、顔を隠した人間が駆けていた。
地面を滑空する燕のような速さ。
それが、速度を落とさぬまま、地面を踏み切る。荷台を踏み台に、更に高く。
そして、一切の迷いなく、影が飛び込む。
「がっ!」
苦痛の悲鳴。それは体重の乗った見事な脚撃だった。
またも赤髪の騎士を庇ったガレオが、鉄製の鎧を着こんでいなければ、胸の骨を折っていたかもしれない。
不意打ちでそのような衝撃を受け止めきれるはずもなく、長身の騎士の体が石畳へと倒れる。
一方、襲撃者たる影はその蹴りの反動で、宙にとんぼ返りをした。
元々定められた位置に戻るような軽い動きで、荷車に降り立つ。腰に二振りの剣を指しているとは思えない、その動き。
あまつさえ、彼が立ったのは指三本分にも満たない荷車の淵だ。
「見たかい!?」
彼は、唖然とする周囲に構わず、朗々と歌うように言う。
「鎧の彼らだ。彼らは武器さえ持たぬ、この怪我を負った人々に、乱暴を働こうとした!」
男とも女ともとれぬ透き通った声が、広場に響く。
その声が語り掛けている先は、騎士たちでもオルグレン達でもない。ルキフの兵と、検疫列の人々、その他周囲に存在する町の人々に向かっていた。
もともと騒ぎに集中していた、周囲からの視線。それが、どよめきと、混乱と、好奇の目を含め、騎士たちに向く。
だが――、と影は言った。
「だがルキフの者たちよ。彼らに石を投げてはいけないよ。彼らもまた、客人だからだ」
そうして、影は苦しむガレオと、彼を庇うような位置のアベスを見下ろす。とはいえ、外套をかぶった頭が少し動いたのが、そのように見えただけであるが。
「君たちは、北からの客人。標星の大国――クゼリュスの騎士だろう。……違うかい?」
視線を向けられた気配に気づいたらしく、アベスが睨めつける。
それは影が深くかぶった外套を裂かんばかりの視線だが、その下の容貌は見えていないに違いない。見えたとして、口もと程度だ。
隠された、影の顔。しかし、オルグレンにはそれが誰かすぐに分かった。
牛車の他の者たちも、おそらくは同じ。
「ロ……」
思いもよらぬこの事態に、オルグレンは思わずその音を漏らす。
言いかけた音を遮るように、影――ロゼが自身の唇の前に、人差し指を立てる。
しー、と息を抜く音を出し、
「呼んではいけないよ。何処かへと帰るべき、船人さん」
と彼は言った。
オルグレンは、お、と目を見開いた。それで彼はどこかに潜んでいたのだろうと知った。そして、どうやら聞かれていたらしいとも悟る。
しかし、悠長にはしていられない。
「貴様」
女騎士――ノージスが低くうなる。彼女は、状況が悪い方向へ転がったことがわかっている様子だ。
武器は構えず耐えていたが、その視線は斬り殺さんと言わんばかりだった。実際それだけの怒りを、ロゼに対し覚えていると、オルグレンも察する。
今、クゼリュスの騎士たちに注がれる視線には、畏怖と怒りが混ざっている。ロゼが人々に対し吟じたせいだ。
彼らはこの場では、乱暴者で、野蛮で、非道な悪党となってしまった。
ルキフの兵――牛車を案内したユドと若兵も、警戒の視線を向けるのは、クゼリュスの騎士に対してだ。
「さ、行こう。船人さん」
白い流れ人――ロゼが荷台の上から飛び降りる。
オルグレンもその言葉に頷いた。
ただ、彼は、カマスと船人に一度だけ向き直った。頭を下げる。挨拶を交わしている余裕などない。故に、その行動にすべての気持ちを込めて。
そして、オルグレンは走り出し、ロゼの背中を追った。




