十三章《四節 有為転変》3
「実は……」
ゼオンは少し考えながら口を開いた。
自分の連れを捕えてないか、とは問いたくない。だが、あまり奥歯に物が挟まった物言いでは、かえって不信を買うだろう。
「二人連れを探していまして、……こちらにお邪魔しているのではないかと」
ゼオンが言うと、恩師が白の混じった片眉を上げた。
「……名は、なんと?」
「白髪の方をロゼ。濃い金髪の方がオルグレン」
マクベッドの表情が、更にわずかな動きを見せる。
ゼオンは構わず、
「……腹の探り合いは苦手です。先生には正直にお話し致します」
先生を信じると、そう言い切る。
まったく……と、息混じりの響きが、ゼオンの耳に届いた。
少し柔らかなものが混じったその声を、身内へのあたたかな呆れだと受け取ることにする。
その上でゼオンは自身の知る限りを、恩師に話した。
とはいえ、語れることは多くない。オルグレンには記憶がないこと、アィーアツバスへ行きたがっていること、自分の養い子が彼に付き添い、旅路を終いまで共に行きたいと願っていることなどだ。
話すうち、大切な養い子とその親友なのだと、熱が入りかけゼオンは咳払いをして自身を御した。
ゼオンの恩師はどこという訳でもなく、床へと視線を落とし、角ばった顎を撫でている。
「……養い子を連れて帰れれば、オルグレン様からは手を引くか?」
ややあって、マクベッドが低く問う。
ゼオンはきっぱりと首を振った。
「いいえ、先生。養い子の親友であるのならば、彼も俺の息子です」
「ならば儂らを敵に回したいと思うか」
「――いいえ。先生も、マグリットも俺の身内です」
重ねての問いに、ゼオンは再び首を振る。
先に国を出て行っておきながらの言葉ではあるが、嘘偽りのない内心なのだ。
マクベッドは大きく息を吸い、やがて肺腑の底から出すように吐きだした。
「ところで、お前はオルグレン様が何者であるか、知っておるのか?」
そうして出てきた問いに、ゼオンは首を振る以外にない。
直接話を聞けたオルグレン自身は、記憶がないが故に何も知らなかったからだ。
苗字から有力氏族の子であることはともに推測したが、それだけだった。
マクベッドが声を重くして言う。
「彼はアィーアツバスの王子。――次の王だ」
一瞬、ゼオンは自身の中で、恩師の声を反芻した。
耳を疑う。そんなはずはないという、否定の心地のままに瞬きし、問い返す。
「アィーアツバス王の嫡子は、ベルンレン・ルーク・ウェンタバールでは?」
「……いや、四年前。その者は、四年前に身罷られた。例の毒に侵されての」
深い声のまま、部屋の集合輝灯 に照らされた首が振られる。
「例の……?」
言い掛け、ゼオンは思い当たる物に気づき、口元を覆った。その指が欠損した手に、恩師が眉をしかめたのに気づきつつも、先に浮かんだままの言葉を口に出す。
「昊天の峰の毒……」
「……如何にも」
マクベッドが肯定を返した。
それはかの山で、度々起こる災いのことだ。
ゼオンも何度か話を聞いたことがある。採掘が活発になる度に、その従事者達やその家族、集落、水源を同じくする村落の人間が、次々と奇病を患い、酷い有様になるのだと。
たしか……と、ゼオンは自身の記憶を探った。
とはいえ、遠い東の領地や戦場にいた時に耳に挟むか、失脚させられ裏切り者と誹られる立場となっていた頃のことだ。そのために仔細は知らない。
今はその周囲一帯が、禁則地となっていると――いや、採掘を休止しても奇病が収まらず、廃れ、人が立ち寄らぬ土地になっているのだと、伝え聞いたぐらいだ。
「毒が山の清水に混ざり、アィーアツバスの首都へも流れておったのだろう。前々から民に病む者が出ていたらしい」
そして王子にも、その災禍が降りかかったのだ、と。
「ともあれ、アィーアツバスの次なる王は、オルグレン様だ。王と嫡子のみがウェンタバール姓を名乗れる事を考えれば……オルグレン・サイラス・ウェンタバール様とお呼びするべきか」
恩師の言葉を聞きつつ、ゼオンは冷たい汗が流れるのを感じた。
標星の大国クゼリュスと、馬司の国アィーアツバス。
五年前、昊天の峰で一度大きく衝突し……だが、その後、二国間に争いが起きていないのは何故か。
それは、クゼリュスがアィーアツバスの宝を捕らえているからだと、ゼオンは聞いていた。
それがまさか、オルグレンであるとは……。
クゼリュスが、かの青年を追っていた意味が分かった。
もしも彼が、あのまま帰郷を果せていたら、どうなったか。
無事にアィーアツバスへとたどり着けば、どうなるか。
ゼオンの脳裏には、先が過った。
今のこの西側の大地の平穏は、オルグレンの身一つで決まっている。
崩れた際に何が起こるか。
そして、その際に最前線に立つのは誰なのか……
ゼオンは、恩師を見た。
マクベッドは、ただ自身の顎を撫でている。
如何にすべきか……。ゼオンは恩師が敵に回したいかと、問うてきた意味と意図を思い知った。
細い綱の上に居るような心地が、口を凍らせる。
ゼオンにとって二度と味わいたくない。……それでいて、人生で二度目の心境だった。
昔日の日に、サクラスと手を組むか、それともクゼリュスに残るかの選択をした日も、こうだったと思い出す。
「……それでも、先生。二人に会わせて貰えませんか、せめて無事な姿を見たい」
ややあって、そう願う。
ゼオンはまず自身がすべきことは、それだと決めた。
「うむ、まあ、お前の思うがままに振る舞うがいい。だが、二人については、……実はな」
マクベッドの声に、はっきりと苦味が混じった。
その声で彼は語る。
オルグレンが囮となってロゼを逃がし、逃れた方は追手を振り切り、消えているのだと。
恩師の話を聞き、ゼオンは深い納得の心地に包まれた。
そして、ロゼが恐らくは、オルグレンを助け出す算段を考えているとも推測する。
「重ねてすまんが、息子がオルグレン様をお連れし、今朝ここを発っている」
今宵の商人との会食は、その支払いを終えた挨拶のためのものと、新年の建国記念式の打ち合わせだ、とマクベッドが続けた。
「状況が状況だけに、お前を手助けしてやる訳にはいかん……。だが、悔いなく選べ。そして、息災であれ」
ゼオンはその言葉で、恩師が既に選んでいることを知った。
そして、ゼオンもまた腹の中では決めている。
心穏やかに話せるのは、これが最後かもしれない。そうとゼオンは悟った。
「十分です。ありがとうございました」
お元気で、と。
深く頭を下げる中、ゼオンの胸中には思い出があふれていた。
一つ学びを深くするごとに、よくぞとほめてくれた恩師。厳しくもあたたかい顔が幾つも幾つも、過っていった。




