十三章《三節 追手、搦手》1
自分が……、ロゼは走りながら胸中に呟いた。
もっと強ければ。
もっと鋭ければ……
そうであれば、きっと自身が守りたいと願うもののすべてを守れるはず。
悲しみや辛さ、苦しさなども味わわせずにいられるだろう。
しかし、いつも守れない……
思い返すのは二日前――
抜け道の洞窟を潜ってすぐのことだ。
あの時――穴蔵から数歩進み出て、瑞々しい木々の湿気を感じた時、
「戻ろう」
すぐにオルグレンの腕に触れ、ロゼは声を硬くしてそう言った。風の中に、山の気配ではないものが混じっている。
仔細を告げなかったが、青年は何故とは問わなかった。一言で察した様子で戻りかけ、……同時に別のことに気づいたらしい。
次の瞬間、ロゼは意図しない方向へと振り回されていた。
オルグレンに、腕を引かれたのだ。
すぐにロゼの前に降り注いできたのは、木々の枝葉、岩や石を混ぜ合わせた瓦礫だった。
振り仰げば洞窟の上の方の断崖に人影がある。
そうして退路を絶たれ、後のことは坂を転げ落ちるようだった。
目の前を覆ったオルグレンの背中を、ロゼは覚えている。彼が身を盾にしてくれたのだとすぐに察する。
そうでなければ、あの時、捕らえる対象である青年はともかく、自分ロゼは射られていてもおかしくはなかった。
茂みの中で射手が、一斉に鏃を向けてくるのが視界の端に映る。
それらから逃れようと、前に広がる茂みへ逃げ出そうとし、……生憎と周囲を囲むように現れた人影に阻まれた。
すっかりと、囲まれていた。退路もない。
見えるのは甲冑を着込んだ十数人……とはいえ、まだ森の中にも隠れ潜んでいてもおかしくはない。
「……オルグレン様、投降なされませい」
ややあって姿を現したのは、騎馬の老武人だった。
鈍い銀の全身鎧を身につけ、しっかりとした生地の外套は深い青紫に染められており、金糸の細かな刺繍がある。
供回りも立派な鎧で、胴と足をしっかりと守っていた。
オルグレンは老武人には答えなかった。
「……ロゼ」
代わりに彼が紡いだのは、ロゼのみに聞こえる小声だ。
「――お前だけだったら、この場を逃れられるか?」
後で救い出してくれ、と彼が言った。
二人ともが捕まるよりは、その方がいい。ロゼも頭では理解する。
なにせ多勢に無勢。装備も整った手勢をたった二人で相手取るよりは、まだ勝機がある。
だが、ここで彼を救い出せない……守ってやれない、その力のなさが、胸に迫った。
嘆いても仕方がないことは分かっている。
「――もちろん。君は私を信じて、大人しく待っているといいよ」
ロゼは答えた。
オルグレンが、小さく笑うような息を漏らす。
そして、動く。敵の目を引くように。
オルグレンが大きく荷物を放り出し、鋼を掲げる。
老武人を囲う者たちが身構える間に、ロゼは投箭で供回りの馬の胸を穿った。
驚いた馬が嘶き立つ。
その一瞬にロゼは駆け、囲みの二人ほどを斬って茂みへと入ったのだ。
幸いにして一切、矢は射掛けられなかった。
その理由を考える間もなく――後はただ、オルグレンが立ち回る音を聞きつつ、その場を逃れた。
それ以降のことをロゼは知らない。
推測だけしかできない。
オルグレンが、遁走の邪魔をさせぬよう、身を壁として立ち回ってくれだろうことと、程々のところで投降の意志を示し、捕縛されただろうとしか……
すぐにでもロゼはオルグレンを救いたかった。
しかし、――敵はこちらの思い通りにはさせてくれないものなのだ。
自身の不甲斐なさを嘆きつつも、木々の中を走り、ロゼは荷物を茂みの中へと投げた。
そのまま足は止めない。木に垂れ下がる蔦を握り、それを頼りに一気に枝の上へと登る。
遠く響いていた蹄の音が、はっきりとした輪郭を躍動させ、向かい来た。
彼らに対し、色づく葉を茂らせた枝と、幹の影に紛れて隠れる。
そうしてロゼは弓矢を構えた。
敵は騎兵が二騎、歩兵はない。
オルグレンと離れ離れになってから、ずっとこうして追い立てられていた。
排除しなければならないが……、クゼリュスの騎士は厄介だ。
装備が固い。特に老武人の手勢は武具が整っている。
鉄に恵まれた土地柄もあってか、きちんと鉄兜をし、鉄の胴鎧をまとっていた。これを撃ち抜く為に必要なのは、逆刺のない鋭利な鏃と的確な距離。
そして技術だ。
騎兵がロゼの潜む木へと近づいてくる。
馬の走り、道のうねりに合わせ乗り手の体も揺すられていた。
その動きに息を合わせ、ロゼは矢へと意識を乗せる。
矢羽根から鏃の切先へ、己の意識を尖らせていく。
そして――、機を逃さず放つ。
軸をたわませることなく、蛇行することなく。
ただ真直ぐに飛んだ矢は、金属を貫き、騎手の右胸から斜めに深々と潜り込んだ。
胸の臓器を裂かれ、暴れることもなく兵は地面へと落ちた。
並走していた騎士が、仲間の異常に気付いたか。
幾分か行き過ぎたところで、馬を止め振り返った。
状況を視認しようとしてだろう。顔を覆った面頬を上げる。
ロゼはその手のひらを、地面に降り立ちながら射抜いた。
悲鳴を上げながら、馬上の騎士が向きを変える。よろけながら敵を視認せんとするその顔を、ロゼははや番えで構えた矢で貫いた。
重い音を立て、その体もまた地面へと倒れ込む。
意思のない痙攣だけとなった躯を一瞥し、ロゼは彼らが来た方を睨んだ。
追手がなかなか止まない。
そして、的確に追いかけてくる。
夜目が利くことを利用し、夜間にも動いてみたことがあったが、結果は変わらなかった。人数任せにあてずっぽうに動いていた、ツァーカの傭兵団とは違い、確信をもっての行動に違いない。
跡追いの術……。ロゼはその技術に心当たりがあった。
追跡を得意とする技能者。狩人が獣の痕跡を追うのと同じく、人を追うのだ。犯罪人の追跡や、間者の抹殺に使われるその技能者が、兵の誘導をしているのだろう。
ロゼはそう判断した。
そうであるのならば……、これ以上長引かせるのは不利であるとしか言いようがない。
また持久戦に持ち込まれれば、ツァーカの二の舞は避けられないのだ。
ロゼは荷物を拾い、藪へと入った。頃合いを見て、一度足を止める。
そうしてロゼは藪の中にしゃがんだ。
先ずとしたのは、他でもなく食べること。青年を救うために、己の体を維持し続けなくてはならない。
荷物から油紙に包んだものを取り出す。
紙を剥くようにして取り出すのは、白い塊だ。
それを小刀で削ぎ切り、ロゼは口に運んだ。豚の脂身を塩漬けにしたこれは、火がなくとも食べられ、身体を動かし続けるのに十分な活力をくれる。
山の集落で世話になった一家からもらったそれを、口に詰め咀嚼しながら、ロゼはすぐに次の作業に取り掛かった。
野営に使う獣避けの鳴子、それの鳴り物を一つずつ外していく。外した鳴り物は一つ残らず、荷物へと詰め、取りこぼしがないことを確認した。
そうして、ロゼは歩き出した。
頭では絶え間なく、どうするかを思考していく。
地の利が欲しい、そう願う。
それさえあれば……
この状況でも、一つだけはっきりと言えることがある。
跡追いの術は、跡を追うものなのだ。行先を読まれない限りは、彼らは当然後からついてくるしかない。
顔を上げる。
ロゼの目の前には天に伸ばされた鉤爪の様な、特徴的な山がそびえていた。




