十三章《二節 悪寒》2
いつものように言おうとしたが、硬質なものが声に混ざってしまう。
「……? ええと、親父の知り合いですか……?」
彼は、首を傾げた。
元クゼリュスの兵士だったといえども、裏切り者の剣聖の顔までは知らないらしい。話は知っているだろうが、無理からぬことだった。
元々ゼオンの出身はエーイーリィに近い東であるし、遠征していることが多かったのだ。活躍は詩人によって語られたが、顔までは売り歩いていない。
名前でも出せば気づかれるかもしれないが、こんな場所に居るとは思っていないことだろう。
ゼオンの武装を見てか、エヴィンは少し身体に力を入れた格好になっている。片腕に大事に抱えた荷物を庇う格好で、今のところは剣までは手に取っていない。
その姿を観察し、ゼオンは静かに息を深く吐いた。
そうして自身に、落ち着けと言い聞かせる。握っていた拳へ、それを解けとも命じた。
「……そうそう、親父さんの飲み友達。お前さん、兵役から戻ってきたっていう息子さんだろ? それは、母さんの薬の材料かい?」
お前さんの親父と病気がちな奥さん、それにお前さんのことも知っているぞと、ゼオンは匂わせた。
するとエヴィンが髭の中に、少しはにかんだような笑みを浮かべる。
「……その、ちょっとあって、謝礼をもらったもんで」
「謝礼? 流石おっさんが自慢する息子だな。ちなみに何をしたんだ?」
ゼオンが興味があるふうに眉を上げると、彼は言葉を続けた。
「なんでも、貴族様のご令息がいい歳なのに、このご時世に各地を放浪しているとかで……。世話になった上役から、こっそり探すか見かけたら情報が欲しいと聞きましてね」
この間それらしい人を見かけたので鳩で知らせたところ、礼状と謝礼がきたのだ、と。その謝礼でいい薬草が買えたので、これから両親を驚かせるのだ、と彼は言う。
なるほど、とゼオンは内心で呟いた。同時に考える。
これはオルグレンを熱心に追わなくてはならない者達が、身内向けに考えた方便なのだろう、と。
その裏で、拳を使うことなく聞き出せたことに安堵した。
だが……、苛立ちがないわけではない。彼が世話になったという上役に送った情報のせいで、自分たちにとっては、迷惑もはなはだしい事態が起こるかもしれない――いや、起こっている可能性が高いのだ。
もしも……
そう暗い考えが、頭をもたげそうになり、ゼオンは強く自制を働かせた。あらんかぎりの理性を用い、笑顔のように口角を上げる。
「きっと喜ぶだろうよ。それ使って、しっかりと母さん労わってやりな」
呼び止めてすまなかった、とゼオンは言った。
飲み仲間の髭面が浮かび、酒のつまみとして語られた妻へののろけと、息子の話が過っていき、内心が複雑に軋む。
それを押し殺し、ゼオンは片手を挙げ、――抜け道へと足早に歩を進めた。
❖
気は急いている。心はゼオンを追い立てて止まないが、日没に阻まれた。
故にそこにたどり着いたのは翌朝だ。
ゼオンは上を見た。
見上げる断崖の上の方。地理がはっきりとは分からないが、この上がクゼリュス方面からリリートゥへと抜ける、現在の主要な街道のはずだと聞いている。
その下、今ゼオンの前にあるのが、ケッフェルらが言う抜け道だった。
大昔に崩れたとみられる岩盤の裂け目の中に、細い道が吸い込まれている。
松明を用意し中へと足を進めながら、ゼオンはふとケッフェルの話を思い出した。
今は、薬草を取りに行くだけの道だと老人は言っていたが、実は少しだけ続きがある。
ケッフェルは言っていた。五年ほど前までは、昊天の峰の麓に住む、山岳民族とのやり取りにも使っていたのだ、と。
「あ、……」
ゼオンは短く声を発した。
山間民族。その言葉が、不意に彼の中でつながった。
聞いたときには、知識でしかなかった情報が、急に別の記憶に結びつく感覚を得る。
浮かんできたのは、ロゼを拾って間もない過去のことだ。
幼かったロゼの白い額と手足には、何かの顔料で施されたと見える、精緻な模様が描かれていた。
それを見て傭兵団『猛りの尖兵』の一人が言ったのだ。ロゼは西の山間民族の子なのでは?、と。
「この辺りの子だったのか……?」
まさかと、ゼオンは思わずつぶやいた。
そして、もしも、そうだとして……、と考える。
オルグレンが彼の名字が示す通りアィーアツバスの者であるとするならば、二人は意外にも近しい場所で生きていたということだ。
と――、僅かな光が見え、ゼオンは口を閉じた。思わず、顔をしかめる。
出口には木と岩が混ざった物が転がり、乱雑に塞がれていた。冷たい感触が胸を射抜く。
近付き、松明で照らし見たその痕跡は、土が乗っており元々あった物のようには見えない。木は葉の付いた枝で、どこかから伐採されたと見える断面をし、持つとまだ水分を感じさせる重さがあった。
つまり、崩落などの自然の出来事ではない。最近何者かによって、こうされたのだ。
一方で枝についた葉は、枯れてはいないが瑞々しくもなかった。
根ざしていた時の、つやが失われているだけの頃。これの示すところは、この出来事が最近とはいえ、つい今さっきの出来事などではないということだ。
しかし、洞窟内にはこれら以外、荒んだ形跡はない。
ゼオンは松明を脇に置き、飛びつく様に岩を転がして隙間を作った。
隙間から先に松明を表の土へと投げ捨て、身を通す。
洞窟の出口。
ゼオンの目の前には、無数の足跡があった。
馬の蹄の跡があり、暴れたように荒れている。
何よりも、血の跡が地面を染めており、ほの暗い空気――瘴気が漂っていた。
この場で確かに人が争ったのだ。そして、死人か重傷者が出るほどのものだったことは明白で、処理もほどほどに立ち去ったのだろう。
やはり……、そうゼオンの胸を状況と真実が貫く。
洞窟を塞いでいた先ほどの土砂は、退路を断つためのものだったのだ。
ゼオンは、自身の呼吸が浅くなっていることを自覚した。
なにせこの場、この状態は、二人の身に何かあったのだとしか思えない。
いったい、二人はどうなったのか……ゼオンの視界は、胸が早鐘をつく音で揺れていた。




