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【 西へ西へと、君と征く 】  作者: 八尾 十一
十三章〈暗い淵の方へ〉
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十三章《二節 悪寒》1


「息子がふらっと出てったままでな。まあ、他の若いのと行ったみたいだし、あいつはシュメダの街で囲郭外の見回りを務めてたんだ。このところ天気もいいしで、あまり心配はしとらんが……」

 集落の一角、立ち話の相手である髭面の男の言葉が、ゼオンに鈍く響いた。


 胸につかえに似た感覚が立ち込めてくる。

 冷たい泥がどうとも拭いがたく、心にまとわりつく。

「……」

 圧迫感が次第に強まり、ゼオンは顔をしかめた。

 悪い予感、そうとしか名状できないものが降り積もり、冷たい底に引きずり込まれそうな気さえする。

 無論、ただの予感だ。 気のせいだと片付けてしまえばいい。そうと内心に呟きつつも、ゼオンは目の前の男に軽く手を上げて見せた。

「……ちょっと、すまん」

「どうかしたんかい?」

 髭面の男が首を捻った。


 奥の集落の顔役であるこの男は、ケッフェルとも仲が良く、度々顔を覗かせ合う、そんな仲だ。そして、フィルトやゼオン等とも、たまに酒を酌み交わす仲間でもある。

 ゼオンは手を振って見せた。

「なんでもないさ。ただ、ちょっと野暮用を思いだしたんでな」

 悪い、出かける用事ができた、と。

「おう、まあまた俺の所にも来てくれや。橋も直ったんだしな」

 寝たきりの嫁が喜ぶから、と髭面が笑む。

 その彼が嫁に渡すのだという花を庇いながら振る、野太い手に見送られゼオンはそこを離れた。


 すぐにゼオンが取って返したのは、ケッフェルから借り受けている客間だ。

 数日前まで、あたたかい雰囲気に満たされていた部屋。そこに今は、ただ耳の痛くなるような静けさがあった。

 ロゼが寝ていた長椅子も、オルグレンが使っていた寝台も、出立前に彼らが片付けていた事もあり、きれいに整った冷たさだけがあった。

 確かにあったはずの人の温みはなく、余計にゼオンの焦燥を駆り立ててくる。


 ゼオンは自身の迂闊さを呪った。胸に蘇るのは、先程髭面の男のぼやき。 

 その話にあった、街の名前だ。

 ――シュメダ。

 それは標星の大国に属する街。


 ゼオンも髭面の男に、まちに稼ぎに出た息子がいるのだという話は聞いていた。橋が壊れる前、もうすぐ兵役を終えて帰ってくるのだと、嬉しそうに話していたのだ。 

 この話で、ゼオンは男の息子が兵役に出たのは、ツァーカのどこか大きい街だと思い込んでいた。

 なにせこの集落も、奥の集落も属しているのは黄金の国ツァーカ。

 現に、先日も黄金の国に属する徴税人が、山道の険しさに悲鳴を上げながら、実りの季節頃の見回りに来ていた。

 

 だが、国境は壁ではない。

 故に、生活のためにクゼリュスへ働きに出ている者もいて当然。クゼリュスへ奉公に出ている者がいても、おかしくはない。

 なぜ気づけなかった、と自身に切っ先を向ける。

 自身が無事に過ごせていたことで、いつの間にか気を抜いてしまっていたのだと気づく。


 ゼオンはオルグレンから、クゼリュスに執拗に追われていることを聞いていた。

 ならば、こういう可能性があるかもしれないと考え、気を付けて生活をさせるか、あるいは根回しをしておくべきだったのだ。


 とはいえ、悔いても今更は、覆せない。行動を、とゼオンは胸中で決めた。

 実のところ、集落の用心棒のような生活をして久しいものの、歩くに困らないぐらいに回復してからは、常に準備をしてあった。

 寝台の下に手を伸ばし、革の袋を取る。

 最低限の旅の装備はそこに入れてあった。普段の生活に使っていた身の回りの物を詰めればそれで準備は終いだ。日持ちする物しか揃えられていないが、食料も備えている。


 それらを詰めた袋を担ぐと、半年過ごしたこの客間から、ゼオンの物はすっかりとなくなった。

 多少着替えが残るが……それは、フィルトのお下がりや、この家を巣立った子どもたちの服を、キア老婦人やラビナが仕立て直してくれたものばかりだ。

 ゼオンはそれを自分なりに丁寧に棚へと寄せ、その上に小粒の金を入れた袋を置いた。

 そして、黒い鞘の半曲刀を腰の革帯に通し、大剣を担ぐ。


 外へと出ると、

「ゼオンさん!?」

 野良仕事から戻ってきたらしいフィルトが声をあげる。

 旅装束に、武装を担いだ恰好を見てか、目を丸くしている。

 庭の手入れをしていたケッフェルと、野菜を水場で洗っていたキア老婦人も、皺の寄った顔を驚きに伸ばした。


「急で申し訳ないが、あの子達を追いかけなきゃならん用事ができた」

 だから行ってくる、とゼオンは告げた。

 フィルトが眉を寄せる。

「でも、怪我が……」

「もうまともな戦働きはできない身体だが……身を守る程度のことは、まだまだやれるつもりさ」

 ゼオンがそう言う間に、声を聞きつけてかラビナが母屋から顔を出してきた。

 老夫妻、そしてフィルト夫妻。それぞれの顔を見渡し、ゼオンは頭を掻いた。


「まあ、とはいえ無理はできない身体だから、無理はしない。それに、用事が終わったら、帰ってくるんで……またここへ置いてもらえると嬉しいんだがな」

 いつでも、とケッフェルが頷いて答え、そして続けた。

「あの子達にも、もう一度、いつでもおいでと伝えてもらえるかの」

「ああ、わかった。じいさん、伝えてくる」

 任せてくれと、応じゼオンは腕を上げて見せた。



 ❖ 

 


 久々に旅装束で道を歩き……ゼオンがその者を見つけたのは、奥の集落の手前だった。

 ゼオンより少し年下と見える、頬を無精ひげに囲まれた、知った人によく似た顔。

 恐らくはクゼリュス側に繋がっている山路を抜けて来たと見える、その姿を目に収め、ゼオンは自身の中から突き上がってくるものを感じた。


 拳が、勝手に握りしめた形になる。

 近づく足取りは、詰め寄るような調子となった。

「おい、お前さん。エヴィンか?」

 集落へと入るのを止めようと、ゼオンは声をかけた。


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