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【 西へ西へと、君と征く 】  作者: 八尾 十一
十三章〈暗い淵の方へ〉
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十三章《一節 アィーアツバスへ向けて》1


 風につり橋が揺れる。その上をロゼはただ歩いた。

 踏みしめるさな木は、ねじれた枝や細い切り板、あるいは太い枝などが入り混じり、足場として不安定なことこのうえない。


 足元を誤れば、遠い谷底へと叩きつけられる。

 だが、ロゼの心は竦まない。寧ろ、空を歩くような心地が、四肢を伸ばしてくれるようにすら感じられる。

 軽やかに飛ぶ鳥の気分のまま、特に困らず歩ききり、ロゼは後ろを振り返った。


 その視界にはまずすぐ後ろ、オルグレンが慎重に足を進めているのが映る。

 夏空の瞳を持つ青年は、綱の欄干(うわでとり)を握りつつ、ゆっくりだが確かに足を運ぶ。

 一歩一歩着実に、確かに進んでくる。ロゼには彼の歩き方が、オルグレンそのものを現しているかのように感じられた。

 その姿を越え奥を見やれば、元来た方が見える。


 そこにいるのはゼオン。それに、フィルトとラビナだ。

 半月と少しの間、お世話になった家族。

 既にこの出立の朝に、老夫婦のケッフェルとキアとは、母屋の前で挨拶を交わし終わっている。

 そして、食事や離れを借りた代金の精算も済ませた。

 とは言え、ほんの気持ち程度しか受け取って貰えていない。だが、ありがたくも申し訳ないと頭を下げれば、また必ず会いに来てほしいと手を包んでもらえた。


 そうして老夫婦と別れてから、この橋までは対岸に残った三人が、見送りとして付き添ってくれたのだ。

 彼らの目の前で渡る真新しい橋は、まだ少し鼻を通すような樹木の匂いが香っている。 


 集落の人々と、作った橋。

 共に取り組んだ作業の数々がありありと胸に浮かび、ロゼはよく分からない形に緩む唇を、内側から噛んで抑えた。

 胸の中を擽られるような、あたたかい心地があふれ出てしまいそうになる。

 それを周囲に魔物が居ないか、確認するようにして誤魔化し……ロゼが振り返ると、丁度オルグレンが橋を渡り終えたところだった。


 視線が合う。

 ロゼが小さく頷くと、彼は来た方を振り返った。そして、深々と頭を下げて述べる。

「お世話になりました」

「また、訪ねてこいよ!」

 片腕を上げ、ゼオンが言う。その彼の腰には、黒い鞘の半曲刀がある。

 

 ロゼはそれを見、そして三人へと顔を向け、大きく答えた。

「うん、また! きっと、またいつか」

 お元気でと、良い旅路をと、フィルトとキアの言葉が返る。


 谷に響く声の名残りを聞き終えてから、ロゼはオルグレンと共に踵を返した。

 曲がりくねった山道では、寂しくもいつまでも別れの余韻を感じてはいられない。勾配と山肌の向こうへと隠されてしまう。

 風が枝葉を揺らしたがもう、平たい麺麭(パン)の匂いも、庭に飼われていた鳥の声も、村の人々の会話も運ばれてこない。

 その事に気づき、自然と足が止まる。


 ロゼは大きく息を吸った。

 また一家とゼオン、それにオルグレンと共に静かに暮らしたい……。昨日までの穏やかな光景が透明な清水のように湧いてくる。

 ロゼはその気持ちを、そっと心の奥に包んで置いた。

 そうして目を上げれば、茜色の季節の橙を帯びた陽射しの中、進むべき道が細くも確かに伸びている。


 隣でも何か気持ちを整えるような息が聞こえ、ロゼは思わず彼を見上げた。

 同じく立ち止まっていたオルグレンが視線を落としてくる。


 風だけが渡る、一呼吸程度の沈黙の後――

「行こう」

「行こうか」

 発したのは同時だった。

 思わずこぼれた笑いの中で、ロゼはオルグレンの腕を軽く叩いた。

 オルグレンもまた、ロゼの肩を同じ調子に叩きに来る。


 そうして共に、一歩を踏み出した。

 


 ❖

 

 

 西へ、アィーアツバスへと向けて進む。

 山の中ではあるものの、フィルト達が奥の集落と呼んでいた場所の住人が通る道。

 加えて、先日までのつり橋の架け替え作業でも活躍した通い路だ。

 それだけに良く整えられていた。

 傾斜には土留の杭などが設えられ、階段のようにしてあり、他にも頭上の邪魔な木々の枝葉は伐採されている。

 

 道を歩きながら、ロゼはふと剣帯へと手をやった。

 そこにあるのは白い鞘の半曲刀だけだ。長らく旅路を共にした、サクラスの黒い鞘の半曲刀はない。

「どうかしたか?」

 オルグレンに問われ、ロゼは歩きながら彼の方をちらりと振り仰いだ。

「……サクラスの剣を渡してきたからかな。軽くて、不思議な感じだよ」

 その一振り分以上の重量が減ったような、足元が軽いようなそんな心地だった。

「渡せられて、よかったな」

「うん」

 オルグレンの柔らかい口調に、ロゼは頷いた。


 実のところ、ロゼはゼオンとは二度と会えないと思っていたのだ。それでも、渡せるまで……いつか養父に所縁ある土地を見つけられるまで、持って歩こうと思っていた。

 サクラスの想いを届けられる、その日まで――。

 それを思いがけず果たし、わずかばかりの心許なさと、それでいて届けられたというあたたかさが胸を占める。


 そういったことをロゼは取り留めなく、ただ浮かぶままに青年に話した。

 オルグレンが頷き、相槌を打ち、微笑む。自身の喜びであるかのような表情を、ロゼは陽だまりのように感じた。


 そうして、ゆっくりと話をしながら歩き、途中に現れたのは、土塁とその上の木の柵だ。

 見てくれなど気にしないとばかりの、そこらじゅうの土と枝を集めて作ったと見える囲郭には、石を磨いた魔物避けが紐でつるされていた。


 その奥には、ケッフェル老の所よりも小ぢんまりとした集落が覗いている。

「おお、お二人さんか」

 その土塁の傍らに立っていた、髭面の男が手を上げた。

 ロゼはすぐに気づいた。吊り橋の仕事で奥の村と呼ばれていたこの集落の、顔役となっていた男だ。

 落成の祝いでもよく酒を飲み、明け方まで笑い声を響かせていたこともあり、印象に残っている。何より、酔いつぶれたオルグレンの介抱に、ゼオンと共に手を貸してくれた人でもあった。


「やあ、おじさん」

「お疲れさまです」

 オルグレンと共に揃って挨拶をすれば、髭面の男がうんうんと頷く。

 そうして、彼は思い出したふうに言った。

「そういえば、あんた達はこの奥を抜けるんだったか」

「はい。すみませんが、通らせて頂きます」

 オルグレンが言った。

「おお、気をつけてな」

 手を振ってくれるのに応えつつ、通り過ぎようとし……

「おっと、すまんが……うちの息子を見んかったかい?」

 わしと同じ髭面の……と、濃い髭まみれの頬を一周手で示して、彼が言う。


 それを聞き二人で顔を見合わせた。ロゼが先ず首を振ると、オルグレンが言葉で答える。

「いいえ。橋からここまで来ましたが、人とは会っていません」

 そうか、と髭面の彼は顎を掻く。

「護衛を頼んでいたんだが……、昨日の昼間ぐらいからでかけたらしくてな、姿が見えんのだ」


 彼の言葉に、ロゼはここ暫く感じていなかった神経のざわつきを感じた。


 

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