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【 西へ西へと、君と征く 】  作者: 八尾 十一
十二章〈最後の休息〉
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十二章《一節 追憶の呼び線》2


 飛び込んできたのは上着。わずかに早く休憩に入ったロゼが、オルグレンのそれを投げて寄越してくれたのだ。


「助かる」

 オルグレンは短く礼を言った。首にかけていた布で汗を拭い、上着は羽織るに留める。

 陽が当たるところとは違い、影は木の湿り気を帯びた冷気が漂う。動いた直後である今は丁度いいのだが、上着を羽織っておかなければ身体が冷えすぎそうだった。


 ロゼもまた襯衣(シャツ)の上に上着を羽織っている。

 その格好で彼は、太縄を送る作業へと顔を向けていた。

 作業は今、正式な索道の縄索を渡し始めたところだ。橋の材料を渡すに足る、見るからにしっかりとした編まれ方のそれを、男たちが合図を送り合いながら渡していく。

 動きを合わせようと、掛け合う声が谷に響いた。


「どうした……?」

 オルグレンは隣に視線を落とし、そう問うた。ロゼの視線が、ただ作業を眺めているだけには思えなかったからだ。

 現に白い流れ人は、目を細めている。それは、目前の光景に何かを重ねるような様子だった。


「……子供の時に、大人たちがこういう作業をしていたのを思い出してね」

 言いながら、ロゼが木の根元に座る。

 オルグレンもそれに倣い、彼の横へと腰を降ろした。

「私が住んでいたのは……、山の中だったんだ。ここよりも、もっと深い山の中で、もっと小さな集落だったよ」

 そこでの暮らしの中で、こういう光景をみた、と彼が言う。

 恐らくは、ゼオンや傭兵団『猛りの尖兵』に出会う前のこと――つまり、鷲獅子(ルー・ルアハ)と共に在った頃……。


 彼が自ら話しだしたことに、少し息を吸う。

 そうしながら、オルグレンは静かに問うた。

「お前は、どの辺りに住んでいたんだ?」

「…………」

 ロゼが眉を寄せて、小さく笑った。そうしながら彼は、額の辺りを指で掻いた。

「それが……どこの国に属する村だったのか――或いは全くの辺境だったのか……」

 彼が、うーんと喉で唸って腕を組む。


「恥ずかしい話、憶えてないのだよ。分からなかった、とも言うのもあるかもしれないけれど」

 自分達の村落に閉じこもるような、そんな暮らしだった、と彼は続けた。

「辺鄙な場所だったからか、瘴禍(ミアズマ)の害は少なかったけれど……集落の外に出ようとすると、怒られていたような覚えがあるね」


 それでも、とロゼが言う。

「橋をかける作業には、連れて行って貰えたことがあって、こういった光景を見たよ。それで、縄にぶら下がって川を渡ってたら、叱られてね」

 彼が谷を指さす。

 大した幅の橋ではないし、小さな谷だった、とロゼが説明を足したが……オルグレンは思った。

 叱られるのも無理はない。


 そう心に浮かんだ、寛いだ呆れの調子のまま、

「……お前は、昔から身軽だったんだな」

「うん、そうかも知れない。木に登るのも得意だったよ。よく木の実を取りに行って……降りるのが面倒だから、隣の枝に跳び移ったりもしていた」

 オルグレンの言葉に、ロゼが微笑んで返してくる。

 跳ね回るような子供だったのだろう。ロゼが言う光景が、ありありと眼裏に描け、オルグレンは口元が、笑いに緩むのを感じた。

 子供の頃の話だよ、と彼は話す。

 とはいえ、きっと今でもできると、考えるのは容易い。


「子供の時分か……」

 そうして思わず呟く。

 とは言え、オルグレンの中に蘇ったのは、自身の姿ではなかった。いつか記憶に過った青黒い髪をした子供。その姿が揺らめく。

 記憶の断片であるからか何度思い返しても、朧気なばかりで判然としない。


 どうにか記憶の綱を引き寄せようと試みるも……オルグレンは、片耳を押さえた。

 額と耳の奥に、重く鈍い痛みが這い寄ってくる。

 それでも、気にかかる。

 そうであるものの、同時に胸が締め付けられるような感覚が湧き、逃げ出したいような心地が満ちる。


「ねぇ、オルグレン」

 ロゼの声。少年の顔が視界に飛び込み、オルグレンは瞬いた。

 意識が、現に引き戻される。

「君が子供の頃は……馬で駆けてそうだね」

 ロゼのからかう様な、くすぐってくる様な言葉。


 オルグレンの口からは、思わず吐息が漏れた。

 柔らかい心地の声で、青黒い髪の子供の姿が意識から消えていく。

 ロゼの言葉に、オルグレンは否と言う気にはなれなかった。


 谷を吹く、梢を揺らす風を頬に感じる。

 それで東の地を共に駆けた、黒鹿毛(くろかげ)の馬のことを思い出す。きっと、ああいう馬と共に在ったのだとオルグレンは思った。大人たちに体と、口笛で馬を御する術を習い、それを馬にも教え草原を駆けたのだろうと。


 そこが、自身の帰りたい場所なのか、とオルグレンはふと感じた。

 無論、答えなどわからない。

 草の民――クゼリュスの蔑称だろうそれから推測した、西の土地へと足を踏み入れてみるほかない。

 橋を直し……そして、ロゼと共に歩き、行ってみる他ないのだ。


 他にいくらか話をし、オルグレンは立ち上がった。

 作業の手伝いに戻らねばならない。

 先に離れたロゼの上着の横に、自身の上着も畳んで置き――

「……?」

 オルグレンは対岸を振り返った。

 なにか、見られていたような気がしたのだ。とはいえ、向こうにも男衆が集まっている。加えて、人の表情がはっきりとはわからない距離だ。


 確信を持てない感覚を前に、オルグレンは目だけを細めた。

 

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