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【 西へ西へと、君と征く 】  作者: 八尾 十一
十二章〈最後の休息〉
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十二章《一節 追憶の呼び線》1

 

まっすぐな立ち姿を、オルグレンは少し離れて見守った。

 断崖に立ち、ロゼが弓を構えている。


 渓谷を渡る風は、時に大人の身でも圧力を感じるほどに強く。かと思えば、身構えを不意にし嘲笑うかのように凪ぐ。

 弄ぶかのような風の中。そこにある小柄な姿は、木の葉のように吹き散らされそうにも見えた。

 だが、少年はしかと立っていた。 迷いなく、狙う先を見つめている。


 本来であれば、死をもたらすその姿。

 今与えようとしているのは、終わりではない。 寧ろ始まりであり、繋ぐための一歩だ。

 

 集った村落の男衆が唾を飲んでいる音。それが、聞こえるようだった。

 対岸でも、飛んで来るはずの矢を決して逃すまいと、身構えているのが遠目に見える。


 ロゼが構えを調整した。

 神経を研ぎ澄ませ始めるのを、風の中に感じる。

 彼の集中はオルグレンの意識からも、風鳴りと枝葉のざわめきを奪い去った。

 そして、空気が()るように細められ、――瞬間。

 

 弓弦が鳴る。

 一見、どこでもない方へと放たれた矢。それが風に流される……いや、矢は風を捉えて向きを変えた。

 横向きに弧を描くような軌道。

 

 風を読み切った一矢。

 それは、過たず対岸にある橋の主柱へと突き立った。

 風の中に鏃が奏でる、小気味のいい音が響く。


 その音が知らせだったかのように、沸き立つように音が戻った。

 その中で、 

「お見事!!」

 対岸の村落の男衆が喝采を叫び、にぎやかしく手を振った。

 此方側でも同様だ。白い流れ人の腕前を褒め称える声が、彼を囲んでやんやと盛り上がる。

 それは純粋な好意であり、技能者に対する羨望であり、憧れと感心。

 

 戦場の称賛とはまた違う、感謝を伴ったそれに少年は圧倒されたらしい。

 手を取られ、肩を叩かれと、浴びるあたたかい手と言葉に、ロゼが少し首を引くように仰け反った。

 その様子を見てだろう。


 オルグレンが動く半歩前、

「どーした。照れたか」

 いささか無神経なからかいは、ゼオンのものだ。

 そうして彼は、ロゼの顔を覗き込もうとする。

 その養父の魔の手を、頬を紅潮させたまま少年が顔をはたいて退けた。

 しかし、歴戦の男はその程度では怯まない。 

 離れようとするのを追いかけ始め……、そうするうちに周囲のにぎやかさは、やりとりの微笑ましさへと変化していく。


 その反応の移り変わりを感じる中、

「……お」

 オルグレンは小さく声を漏らした。

 ロゼが背中へと回り込んできたのだ。少年から遮蔽物の任が与えられ、思わずの笑いが浮かぶ。

 オルグレンが腕を開き阻む姿勢を取れば、ゼオンがじわりと隙を窺う調子となる。

 それで周囲からはどっと笑いが起こった。


 

 ❖

 

  

「いやぁ、しかし本当に凄かった」

 作業が始まって少し。

 横手からそう声がかかり、オルグレンは目を向けた。

 

 対岸を透かし見るのは、ケッフェルの息子――フィルトだ。

 村に滞在して数日。いよいよ橋の架替えが始まったものの、問題は山道のように険しい。

 なんと言っても、大風によって橋そのものが落ちているがために、作業自体が難しくなっているのだ。

 

 どうにかこちらとあちらを繋がねば、始まらない。

 縄を渡す作業が必要だった。

 元の橋があれば、綱を持って渡ればいいだけだが……橋が落ちてしまっている今は、とにかく対岸へ呼び線を渡さないことには始まらない。


 かといって、渓谷の複雑な風の中、対岸にしかと糸を届かせるのは至難の業。

 この役を、やろうか? と言い出したのは、ロゼだった。

 彼は糸の繋がった矢という、慣れない物が付いた矢を、近場で幾度か練習し……その後、糸のついていない矢を数本、渓谷を跨ぐように飛ばした。

 そう言った練習の結果が、今のものだ。


「よーし、次だな」

 フィルトが言う。

 それに合わせてオルグレンは、驢馬の背に乗せて運んだ袋を降ろした。


 重くかさばる音が鈍く響く。

 中身は他でもない。ただの紐だ。それでも、渓谷を渡す長大なものとなるため、子供の指のような細さであっても、束には重みを感じた。


「ロゼ、頼む」

「うん」

 オルグレンは声を掛けた。そうして紐の端をロゼに渡す。すると、彼は器用にしっかりと紐と糸の尻とを繋いだ。

「いいよ。大丈夫」

 ロゼが言うと、フィルトが白い布を振る。


 すると対岸の男が呼び線を引っ張り始めた。

 厚そうな手袋を着けた男達が糸を引くのに合わせ、こちらでは紐が絡まぬようにゆっくりと送り出し始める。

 送り出し終え、今度はそれの尻に、同じ紐二本を括り付けて渓谷を渡す。


 それを対岸の男が掴むや、猿のように器用に主柱をよじ登り――柱の頂にあるかさ木、そこの滑車に通して繋いだ。

 もっとしっかりとした縄へと替えていかなくてはならないが、これで渓谷を行き来する索道の出来上がりだ。

 ……そう言葉にするのはたやすい。

 だが、風の吹き渡る渓谷に、細いとはいえ紐を渡す作業は、引っ張る側にも、送り出す側にも力と集中力が必要だった。


 風に煽られ暴れる紐を、どうにか宥め続けなくてはならないからだ。

 風が弱まるのを見計らっては、今度は索道の紐を材料の運搬に耐えるものへと替えていく。


 それは陽が動いていくのが分かるほど長い作業だった。

 かといって、焦って万が一にでも紐が切れるようなことがあってもいけない。

 紐から縄へ、さらに太い縄へと索道を変えていく。どんどんと重さがかかり、風の負荷が増え、集った男衆には汗がにじみ、呻くような力のこもる声が重なった。

 それでもフィルトが頭になり、何人もが入れ替わり立ち替わり交代をしながら作業を進めていく。

 

 

 オルグレンはゼオンと代わって、木陰に入った。

 ついさきほどまでいた、橋を据える場所には影がない。陽に炙られながらの作業……その中での力仕事は、なかなかに過酷だった。


 と――、何かが視界に飛び込み、オルグレンはそれを受け取った。

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