十一章《四節 サクラスの願い》1
よく手入れされた、陽が染みた匂いのする毛布。
敷いている羊と思しき毛皮は、毛足が長く柔らかく身を支えてくれている。
長椅子ではあるものの、恵まれた寝床。そこからロゼは身を起こした。
少しぼやけたような視界に映るのは、ゼオンが借りている、離れの客間だ。寝台が二つに長机と、それを挟んで椅子と長椅子がある、充分に整った部屋。
ゆるりと見渡しつつも、ロゼはまだ眠りの心地のままでいた。
ふわりと風に運ばれてくる麺麭のかおり。
コッコ、コッコという鶏の声。ワッワ、ワッワと鳴く、低いダミ声の鳥。
囀り、鳴き交わし合う小鳥。
外で話す、耳に馴染んだ、落ち着いた低い声の曖昧な輪郭。
遠い薪割りの音。
それらを感じながら、また閉じかけた瞼をロゼはぼんやりと開いた。
いつか発熱で意識が混濁していたのとは違う、心地良い微睡み。
暖かい陽射しに、また誘われるように毛皮に横たわろうとし……
ロゼは、はたと気づいた。
あれ? と、うっすらあった違和感に気を向ける。窓板の隙間からの光の帯。それが窓の近く、ロゼが眠る長椅子の上に差し込んでいる。
つまりもうすっかりと陽が高い。
ゆるい思考のまま、ロゼは寝台を見た。
その上は、一方は毛布が雑にまとめられ、もう一方はきちんと畳んで敷布まで整えられ……二人の姿はもうない。
と――、戸が静かに引き開けられる。
「……ああ。――起きたか。おはよう、ロゼ」
緩く息を吐くような調子で、オルグレンが言う。
「……やあ、オルグレン」
「よく寝ていたな」
起きなかったから、すまないがそのままにした、と。
彼が言うのを聞き、ロゼは頭を抱えた。
思い返せば声を掛けられた覚えがある。
ロゼは熱い気がして、顔を擦った。
オルグレンが起きているならばいいかと、なんとも子供のような甘えた心地で、そのまま寝てしまったのだ。
そして、今しがた言われるまで、それを夢としか思っていなかった。
ちゃんと気を張っていられたはず。それが今、全くと言っていいほど、できていない。
オルグレンは、その優しさ故にか笑んでいる。
とは言えロゼにとっては、ただただ自身でも戸惑うしかない失態だった。
「申し訳ないね……もう何かしてたりするかい?」
作業とか、とロゼが聞くと、オルグレンが少しだけ目を開くようにする。
「ケッフェルさんが今日は疲れているだろうから、ゆっくりしていればいいと、言ってくれてな」
特段何もしていない。だから、よけい無理には起こさなかった、とオルグレンが言う。
彼の言葉を聞きながら、ロゼは失態を重ねた事を思い知った。
思いやりのあるオルグレンは、指摘しなかったが……その老人の心遣いは、饗応の席で一緒に聞いた言葉なのだ。
「……なんだか、ちゃんと起きれていないみたいだ。顔を洗ってくるよ」
宣言し顔を洗いには行ったものの、その効果はあまりなかった。
確かに一度は目が覚めたような心地にはなった。しかし、部屋に戻るなり、その冴えた意識が丸く溶ける。
陽だまりの部屋に落ち着くと、それだけで瞼が落ちてしまう。
椅子を動かし窓辺に座ったオルグレンが、のんびりと外を見ている。その窓の縁に飛び乗ってきた、黒猫を指先でからかい始めた。
それを眺めながら、ロゼは穏やかな光景と眠りの間で、ゆらゆらと首を揺らした。
眠りの方に傾き、毛皮に手を滑らせながらずるずると長椅子に横たわる。
その拍子にロゼはふと、自身の半曲刀が手元にないと気付いた。
ロゼは自身の得物をすぐに取れないような位置に放っておいたことなどない。肌身離さずの位置に置き、いつでも引き抜けるようにしていた。
だが、今は取りに立ち上がる気さえ起きない。
ロゼは不思議に思った。
いつもは身の安全、敵――クゼリュスのこと。
それにサクラスや、過去、始まりの種族達のこと。
これから先のこと……、それらが頭を巡り、意識が冴えているのだ。
今は、それらが一向に浮かんでこない。
ロゼにとっての睡眠とは、うつらうつらとしたものだ。
できれば眠りたくない心地の方が強く、必要な分だけ仕方がないから眠るだけのもの。
いつでも目を覚まし身構えられるよう、寝入りすぎないよう気を張り続けるような。あるいは、思い出したくない夢から、いつでも目覚められるよう構えるような……。
しかし、今は意識が柔らかい心地の中に溶けてしまう。
自分はどうなってしまったのか、と思う。
それでもロゼは実に久々に、本当に眠っているような気がした。
鷲獅子の翼に抱かれていた、子供の頃のように――




