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性癖破壊幽霊と少年③


 遡ることおよそ一〇分──



 村外れも外れの一角。


 広がる田畑の中に墨汁を一滴たらしたかのように、その一〇メートル四方の土地にだけ不自然なまでに木々が生い茂っていた。


 不自然といえば土地の形状からして不可解だ。


 西に用水路、東の遠くに人家が見えており、二点を結ぶ細い農道は、この一角の手前で急激に湾曲し、まるで無理やり道路の端を接地させるためだけに、せっかく四角く切りそろえた一帯の田畑の形状を崩してまで延長されたかのようだった。


 そうまでして道を繋げられたらしいこの木立は、端から食べ進めたショートケーキのように一メートルほど切り立った段差で孤立しているにもかかわらず、来る者を拒んでいるかの如くどこにも入り口と呼べるような斜面がなかった。


 木立の中は常に薄暗く、一本の常緑樹の大木と大小数本の樹木、草に覆われたレンガの塊と身の丈ほどの石碑、そして地縛霊という陰気なメンバーで構成されていた。


 ここでの暮らしは良い意味でも悪い意味でも平穏そのものだった。


 義妹(いもうと)が俺を見放し、わずかな娯楽とポケットWi-Fiだけをあてがって俺をここへ閉じ込めたのはもう何年前になるだろうか。


 孤独を埋めることに最も貢献してくれていたタブレットが故障したあの日から、俺の気高い自立心は再燃し、外の世界へ羽ばたくことを夢見ない日はなかった。


 やはり外へ出なければ。フロンティアスピリッツこそ、今日(こんにち)の人類文化の根幹を担ってきたのだから。


 あるいはタブレットを修理に出すために。


 そして今日ついに、俺は起死回生のチャンスを手にしたのである。死んでるが。





「やあ少年、ちょっといいかや」


 いきなり噛んだ。



 あんなにも練習した第一声を見事に噛んだ。満を持して噛むというのがこんなにも恥ずかしいものだとはな。


 ランウェイを往くかのように、バッターボックスへ臨むかのように堂々と木陰から歩み出したところで両手を軽く腰に当てて体はやや斜めに向かい、顎を軽く引き、キリッとした笑みで格好良さとミステリアスさを醸していたのに一噛みですべてが台無しだ。

 

 やはり一人で発声練習するのと対人の会話では緊張感が違う。


 男の子に好かれるとネットで聞きかじった慣れない口調までもが仇となった。せっかく古い北海道ローカル番組の出演者の話し方を一生懸命練習したのに。


 聞き取ってもらえない事態を恐れて必要以上に声を張ったせいで、俺の噛み挨拶は誰もいない荒れ果てた田畑によく響いた。


 ……焦りを顔に出してはいけない。一旦落ち着けば、まだリカバーできるはずだ。


 ここで慌てておかしなことを口走った挙句、地域の不審者情報に載りでもしたら……。


 無用な騒ぎを呼び、短編の怪談にすらなれず消えていく憂き目を想像してしまった俺はいま一度気を引き締める。



 おそるおそる少年の反応を窺った。彼は俺と目があったその姿勢のまま、眉ひとつ動かさず体は微動だにしない。


 戸惑っているのか、それとも硬直するほど驚かせてしまったのか? 


 人は本当に驚いた時には悲鳴を上げるより先に静かにパニックになるという類の話を聞いたことがあるが、いまの一連の流れの中にそこまでの衝撃があっただろうか。


 まさか噛んだだけでこうはならないだろうが……。


 真実がどうあれその沈黙は、俺がセリフをトチったことをじわじわとクローズアップしていくようで、こっちのホームグラウンドでのことなのにいたたまれなくなってくる。


 だがしかし、これしきで、ただちょっと恥ずかしいミスをしたくらいで折れるわけにはいかない。


 まだ俺は用意したコースメニューの一割も披露していない。仮に失敗したとしても、最初で最後かもしれない生きた人間との交流がここで終わっては、文字通り浮かばれない。


 俺が持つ決定的なアドバンテージをもってすれば、多少の不自然さは一段飛ばしで突破できるはずなのだ。


 ワケあって俺は思春期男子に特効を持つ容姿を手に入れている。


 女子大生。


 もっと言えば、肌は瑞々しく輝き、教養を感じさせる顔立ちながらその豊満な丸みを帯びた身体から肢体はすらりと伸び、しかし絶世の美女ではなく一抹の野暮ったさを持った、どこにでもはいないが、その辺にいるかもという希望を抱かせる魅力を持ったお姉さん。


 ヘソをチラ見せする薄手のニットに程よくタイトな七分丈パンツ。


 この姿の由来となったのは茂みに落ちていた写真週刊誌のグラビアだ。


 その脇に踊る煽り文句にちなんで、こう自認している。



 俺は“素人女子大生”の幽霊だ──と。



 声をかける相手に男子を選んだのも、この身体が持つポテンシャルを最大限に活かすためだ。


 誰もいない場所で、都会の香り漂う謎のキレイ系お姉さんにご褒美をチラつかせて頼まれれば、火の輪くぐりくらいのことはやってくれるはずだ。


 ちょっと噛んだくらいなんのことはない。ギャップの効いたドジっ娘アピールでむしろ加点対象だろうが。


 仕切り直そう。些細なアクシデントはイマドキの子らしくサラッとスルーしてもらって、彼が喜色満面に食いついてくるのを待てばよいのだ。


 そう、さっきの一言ははっきり聞こえなかったかもしれないし。


 一人暮らしで家にこもりがちの人は声の出し方を忘れてしまうなんて冗談みたいな話も聞いたことがあるし、その点こちとらタブレットのAIと喧嘩別れして以来、会話なんて何年もご無沙汰なのだから、自分で思うほど声が通っていないなんてことは十二分にあり得るし。



「少年呼びで古風な口調のお姉さんだ……実在していたのか……」少年がゆっくりとつぶやく。



 聞こえてやがった。──え、そこに驚いていたのか?

 

 もしかして俺の計画は根本から間違っていたかもしれないという、取り返しのつかない事態への恐怖を感じないでもなかったが、すでに次の発声のシークエンスは止められない段階まで進んでいた。



「──いいかな? 少年。頼みがあるんだけど」



 精いっぱい平静を装ってもう一度そう投げかけると、返ってきたのは困惑気味の質問だった。



「あの、すみません。ツアー参加者の方ですか?」


「……つあー?」



 辛うじて格好をつけた笑みを保つことには成功していたが、予想外の逆質問に思わず出てしまった間抜けな声が、かえって表情に似つかわしくない感じになってしまっている。


 つあー? TOUR? なんのツアーだろう。


 この寒村に観光資源があるとでもいうのだろうか。


 ライブ会場にできるようなハコがあるとも思えないが。



「あの、そこは立ち入り禁止でして、町の人に見つかると……たぶんすごく怒られるんで、早く出たほうがいいですよ」



 少年は気まずそうに周りを見回して言う。


 出たくても出られないからお前に手伝ってほしいのだが。



「壊せる祠は町の反対側なんで、一回用水路を越えてから北へ行ってください」


「こわせるほこら?」



 本題に入りたいのに聞き慣れないワードをついオウム返ししてしまう。


 なんだよ壊せる祠って。祠を壊すな。



「ごめんなさい、僕ちょっと急いでて……人に見られる前に出てくださいね」



 言って彼はエナメル製の鞄を背負い直し、歩き出す。


 定期的に通りかかる数少ない人間であるこの少年は、確かにいつもどこかへ急いでいる。


 雨の日も風の日も車輪の小さいスポーツタイプの自転車を猛然と立ち漕ぎして瞬く間に通り過ぎるので、今日まで声をかけることができなかったのだ。


 初めて彼が徒歩で通りかかった今日はまさに千載一遇のチャンス。黙って行かせるわけにはいかない。



「ちょっと待っ──」



 ひと夏のアバンチュール誘発お姉さん像を保つ余裕は、もはやなかった。


 一歩進み出て大声で少年を呼び止めようとしたところで、不覚にも足を滑らせてしまった。


 一メートルの断崖で尻を打ち、粒の粗い、年季の入ったアスファルトへと着地する。


 なんだ出られるじゃん、この話なんだったの? なんてことにはならない。


 出て、しまった。

 

 俺を地縛霊たらしめているのは、義妹が施した結界だ。


 過去に試さなかった俺でもない。


 無理に外へ出ようものなら、強烈な不快感と痛みが体を駆け巡ってそれ以上歩を進めようという意志を根こそぎ刈り取ってくる。不思議なことに僅かな快感も同在する。


 眼球を剃刀で撫でられる様な、全身の皮を削がれているかのような苦痛と、脳内を直接オイルマッサージされているかのような陶酔感に、顔面を限界まで歪める。



「いぎぎぎぎぎぎぎぎ」



 脳だけが頭蓋の中で縦方向に高速回転しているような、爽快ながらも吐き気を催す感覚に支配される。


 同時に石碑を中心としてとんでもない引力が働いて、少し気を抜けば後ろ向きに吹っ飛ばされる。


 こんな凶悪な障壁を作るようなやつ、人の心がまるでない。


 だからこそ今日まで俺は甘んじてここに封じられていたのだ。



「あががががががががが!!」



 身体が溶ける。実際に溶け出しているのかは知れないが、視界に入る両腕は白く発光し泡のような細かい粒子に包まれている。


 無数の手で顔から髪から全身がつねられてねじ切られるかのように、石碑の方へ引っ張られる。


 顔の真横で誰かが音圧たっぷりにデスボイスで歌っているかのように、ドロドロと轟音が耳を押し潰す。


 コンサートツアーの会場はここだったのか。


 もう作戦どころではない。


 しかしここで諦めては、彼は他の村民と同様にここを忌避して通らなくなるかもしれない。


 明日にはまたあの細いパイプをひし形に繋いだようなフレームの、サドルが過剰に高い自転車に乗っているかもしれない。


 俺はくじけそうになる意識の片隅で、かつて激しい口論の末に決別したタブレットOSのAIアシスタントの声を──あんなに憎く思っていた声を、もう一度聴きたくなっていた。


 必ず修理してみせる──



「しょぐおおおおおおおおおおお」



 少年、と言おうと口を開いても激しい雄叫びしか出てこない。


 それでも執念に任せて、激しくもがきながらも一歩また一歩と彼に近づいていく。


 そんな七転八倒の大騒ぎをしているのだから、当然彼もこちらに気づいて振り返る。


 彼の目にはシュワシュワと白く発光して踊り狂う人型の物体が飛び込んでいることだろう。



「く、くねくねだーーーー!!」



 今度は静かなパニック状態にはならなかったと見える。


 男子にしては甲高い叫びを上げながら、彼は学生服の懐から銀色に光るカプセル状のなにかを取り出した。



月宮式(パージ)意識(・オブ・)消失法(ガイスト)、No.9……!」



 なにかの破裂音とともに彼が倒れ伏す様を、俺ことくねくねは堪え切れず石碑にビターンと叩きつけられながら視界の端で捉えていた。

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