濡れ衣の怨霊と霊能者おじさん①
「この木叢……ただならぬ瘴気を感じます」
源舟と名乗る恰幅のいい和服の中年男性が息を切らせながら俺を背にかばうようにして、俺がいましがた出てきたばかりの木立に向かって右手で印を結ぶ。
ニンジャを思わせる膝から下が脚に沿って絞られた〈たっつけ袴〉でそんなことをするものだから、映画村の突発アトラクションに参加させられる観客のような気持ちになってしまう。
「エイ!」という野太い掛け声で、四方の休耕田の雑草の狭間から小鳥たちがバタバタと飛び立っていった。
よく晴れて少し暑いくらいの昼下がり、日向ぼっこには最適の日和のことである。
◇
日照時間の短い北欧の子供たちは人為的に紫外線浴を施されるほど、生きている人間には適度な日光浴が健康維持に欠かせないと聞くが、果たして陽光におのずから当たろうという亡霊が古今いたろうか。
しかし霊とはいえど、見た目だけなら素肌のまぶしい活発そうなお姉さんである。
長時間当たれば日焼けしそうなほどの日差しだが、ちょっとくらい焼けていた方がより健康的だろうと──なにより外に出られるようになった自由を少しでも謳歌したいという気持ちもあった。
傷病とはおおむね無縁らしい身の上だ。紫外線による炎症であるところの日焼けともやはり無縁かもしれないとも思いつつ、熱をはらんだ粒の粗いアスファルトに降り立ちひとつ伸びをしていた時のこと。
この男・源舟がなにかを叫びながら、長く伸びる田んぼ道の遥か彼方から自転車を全力で漕いでやってきたのだった。
ペダルを踏み込むたびにジャッコジャッコと駆動音を響かせながら迫ってくる成人男性の立ち漕ぎというのはなかなか迫力があった。
「お嬢さん、驚かせて申し訳ない。私は神仏を拠りどころとして除霊や祓いを生業としております」
そういうわけで彼は、俺を左腕で制した姿勢のまま木立を見据えている。
「一見なんでもない雑木のようですが、間違いなくこの地には禍々しい気が漂っています。──ごらんなさい。積み石が崩れている」
源舟は小型の肉食恐竜に囲まれているかのように警戒を緩めることなく慎重に屈み込み、先日“リン”こと月宮凛二郎少年が俺をここから解き放つために蹴り壊した結界の石塔を指し示し、こぶし大の破片を手に取った。
「簡素ではあるが人形の彫刻がされています。それらがすべて内側を──あの碑……あるいは墓碑か──あの一点を向いて置かれている。おそらくこれは庚申塚の派生形で、結界の一種でしょう」
おお……正解じゃん。このおっさん、見た目と言動はこの上なく胡散臭いが、実はすごいのかもしれない。
いや、前半の彫刻? コウシン……? とかいうのは初耳だが。道祖神か一里塚的なやつだろうか?
作ったのは義妹だ。
あいつが俺にこの世の基礎教育を施していたころから物知りだ物知りだとは思っていたが、そんな分野にも造詣があるらしい。
てっきりあいつの「俺を苦しめたい」という気持ちが生んだ不思議怨霊パワーでできているものだと思っていたら、ある種のセオリーに則った技ありテクニックだったとは。
「ぇエイ! この結界が封じ込めていた邪ななにかが、この地に解き放たれてしまったのでしょう。しかしまだ遠くには行っていない。私はいままさに感じています。──ンぇエ゛イァッ! この世のものではない邪悪な存在に、まるで背後をとられているかのようなうすら寒さを……!」
「ほお」思わず感心してしまった。
マジでいままさにだよ。お前の後ろにいるもん。
結構実在するんだなあ、霊感を持った人間というやつ。
先日出会ったあの金属バットの巫女騎士が攻撃系霊能力者だとしたら、この源舟は探知系なのだろうか。
そうするとあのふざけた仮面の女は……特異すぎる見た目と与えられた激しい痛みに記憶の容量の大部分が支配されて、細かい言動がどうも思い出せない。
「ハア、ハア……このあたりは、私にとって因縁の地でもありましてね」
誰もいない空間に対して気合を発し続けている源舟が、肩で息をしながら訊いてもいない自分語りを始めてしまった。
出会ってから終始息を切らせている。彼の吐息でこの一帯が包まれるんじゃないか。
ちなみに俺はさっきの「ほお」以外、彼と会ってから一言も発言していない。
「父と兄も霊能者でした……私は養子で血は繋がっていませんでしたから、若い頃の私は愚かにも二人に反発し、インチキの詐欺師だとバカにして、自堕落に生きていました……ですがあるとき、私もまた彼らと同じく逃れられぬ運命を背負っていると知った。彼らは私に才があったからこそ、私の身に危険が及んだときに守れるよう、リスクを承知で引き取ったのです」
「……」
警戒している幽霊に背後を取られた状態で長々と自己紹介の延長を語っている場合か? ここはセラピー会場か?
いや、俺は別に構わないのだが。
このあと予定があるわけでもないので、あえてさえぎる理由もない。
状況判断に疑問は生じるが、ネットの怪談やホラー映画から飛び出してきたような彼の話には少し興味がある。
そうでなくても他人の半生を聞く機会などというのは、つい最近まで一人ぼっちで封印されていた俺にとっては得難い経験だ。
「すべては遅すぎた……この道に入ることを決めたときにはすでに養父は鬼籍に入り、義兄は災いに敗れ再起不能になっていました。私は猛省し、義兄の友人に教えを乞うて修行を積んでいたのです。しかしその義兄もまた、先年傷が癒えぬまま斃れました。私は義兄の仇を討つために命を捨てる覚悟で修羅場に身を投じ、さらに修練を積んでようやく帰ってきたのです。……幸か不幸か、早くも仇敵に巡り合ったのかもしれません」
源舟は一瞬構えを解いて、手刀でワイパーのように顔面の汗を素早くぬぐった。
勢いで背後にまで飛んでくる飛沫を透明化して回避する。
こんなにも危険を察知しているというのに、彼が背後の透明な女に気付く気配はなかった。
「事情を汲んでくださったご友人の判断で特例での一人立ちを許されはしましたが、私は幼少のころから修行してきた方々に比べれば新参者……義兄をも倒した邪悪に太刀打ちできるかは正直わかりません。──しかしご安心召されよ。私が倒れればより強い力を持った先達が後を引き継いでくれる手はずになっています。この地を呪い、災いを蔓延させ、人々を艱苦のるつぼに落とし、この世の地獄とせんとする悪意の権化の如き悪鬼羅刹は、われわれの矜持にかけて必ずや祓って進ぜます! ゥエアァッ!!」
「…………」
──言い過ぎじゃない?




