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ポンコツ系幽霊と二郎系巫女⑦

 水切り石のように水面に一瞬手を突いたかと思いきや、数十センチ浮上し空中を揺らぎながら滑り、止まる。


 身体のどこも水に触れていない。


 空中でひっくり返ったまま、風に吹かれる稲穂のようにわずかに揺れている。



「浮いてる……」



 身を起こそうとすると身体のどこにも重心がないにもかかわらず、気づけばやはり田んぼの上、低空に突っ立っていた。


 さっき着水した自分の右手と、揺れる稲の列を見比べる。


 透明化に次ぐ第二の能力が突如身についたことは率直に喜ばしいことだが、それよりも稲苗が無事であることの安堵を深く感じていた。



「ハッハァー! まだ動いてる!」



 もといた道の方向から、バットの先で地面をたたきながら双眼鏡を覗く巫女の笑い声が響いた。


 その哄笑は突如矢の雨となって俺に降り注ぐような感覚を覚える。


 さっきまではまるでなかった衝動が背筋を貫く。


 嫌な、暗い、悲しい衝動だった。


 巫女。木皿儀の娘。


 打撃によって乱れていた感覚が徐々に戻ってくるとともに、胸中は俺の意識とは無関係に怒りに似た感情に満たされていた。



 ──どうして██がこんな███?


 ──ここまでの███なければなら███のか?



 それは俺が発した声なのか、それとも頭の中に浮かんだ誰かの声なのか判然としなかった。


 俺の心情と重なったのか、心情のほうが声の主に引き寄せられたのか。


 戸惑うより先に、感情のままに動き出していた。


 直立のまま水上を疾く、低く飛ぶ。



 自分の想像よりもずっと早く、赤いヒーロースーツに肉薄した。


 金属と樹脂が組み合わさった打棒が西日にきらめく。


 おそらくは騎士道部の競技に用いられるのであろうフェンシングのような突きか、俺をかっ飛ばした左からの薙ぎ払いのどちらかの攻撃が、回避行動よりも先に繰り出されている。



 ──ならば、右。



 右バッターの死角となる背後、すなわち向かって右に前転しながら飛び込む。


 俺に活路があるとすれば、ここだ。


 格闘の経験はもちろんないが、相手のバックを取るということは大きなアドバンテージであるということはマンガで見覚えがあった。



 ブオンと、頭上を風が通り過ぎる。


 起き上がりざま、背後に回り込んだ。


 ──はずだった。



「おかえり」



 目に飛び込んでくる、神主打法。


 そんなはずはない。まさか──


 「両打ち(スイッチヒッター)か……!」



 今度こそ俺の首から上は、息を吹きかけられた石鹸の泡のように静かに、跡形もなく消失した。


 頭がない今も、俺にはかろうじて視覚があったが、視界は嵐の中にいるかの如く乱れ、もはやないも同然だった。



「チェホムランを食らって消えねえやつは初めてだ。もったいねえが」



 変な略称が聞こえた気がした。


 聴覚もまた、除夜の鐘に頭を突っ込んだかのようにほとんど使い物にならなかったが、腕をヤツの声がかすかに聞こえたほうへ当てずっぽうに伸ばす。



 さようなら、と巫女は言った、と思う。



 俺の身体を、少年野球の公式戦で使用が禁止されているというバットが頭上から両断する。


 目の前に伸ばした、俺の腕ごと。



 俺の握った、拾い上げて掌中に隠していた車輪マークのCО2ボンベごと。



 破裂音。



 理不尽なバランスのゲームを成立させるにはプレイヤーの努力と挑戦、そしてマゾヒズムとごほうびが前提であることを忘れてはならない。


 痛みにも苦しみにも縁遠かった俺にその素質があるかわからないが、だからこそほのかな魅力を感じないでもない。


 義妹の結界より強い苦痛というものが存在するのかという興味もあった。


 しかし、まるでダメ。あの責め苦には遠くおよばない。



「全然感じないねえ」



 俺を苛むことにおいて、あいつの右に出る者はいないのだ。


 やれるだけやってみよう。どう転んでも死にはしない。



 銀に輝くカプセルは、バットとアスファルトに挟まれるよりも早く衝撃でひしゃげ、破裂した。


 内部に圧縮充填されていたガスが、突然現れた出口に殺到する。


 噴出するガスの推力により、ボンベは高速で飛翔する金属片と化していた。



「ふえ!?」



 そんなかわいらしい悲鳴を聞いた気がしたが、ない耳を凝らしている暇はない。


 俺は一気呵成とばかりに、不意に二酸化炭素を吸い込み咳込んでいる気配のほうへ飛び込む。


 触れる顔面から順に、バットを持っているであろう伸びたほうの腕を避けつつ身体を捻って背後へ回りながら、首、肩、腕、腹、腰、そして脚まで、可能な限り素早く覆っていく。


 密度を薄くするイメージで可能な限り身体の内容量を増やすと、全体が半透明になりもはや人の形は保てず、かつての姿であるオーブのようだったが、これでいい。


 幽霊が、文字通り巫女の身体にとりついた。


 取り込んだと言ったほうが正しいか。


 “ぐっぽりと埋めて”やった。


 怪力でもがく感触を体内の圧力で押さえ込み、それでも脱出しようとする腕や脚をモグラ叩きのように捕らえなおして埋めていく。


 揉み合ううちに地面に倒れ込んだので、体重をかけるようにして動きを封じる。


 なにか怒鳴っているのだろうか、細かな振動が俺の霊体の内部に響いたが、まだ視覚も聴覚も戻らないし聞いている場合ではない。


 さっきからビクンビクンと痙攣しているようなので、もしかしたら窒息させてしまっているのかもしれなかったが、こうも実力差があってはこちらが手加減などできようはずもない。


 気を抜けばこちらは瞬時に細切れにされるのだ。


 あの忌々しい金属バットがヤツの右手から滑り落ち、路面を打つ感触があった。


 暴れる余地があってはならない。隙間ができないよう細心の注意を払って、俺の身体の内側で饗華の体表の凹凸をなぞるように沿わせて圧迫していく。


 やがて抵抗が弱まり、温かいなにかがじんわりと霊体内部に広がっていく。


 圧迫しすぎて嘔吐させてしまったのかもしれない。出血でないことを彼女の神に祈る。


 肢体がくったりと弛緩したのを見計らって飛び退くように拘束を解いた。


 三歩ほど走り出したところで、リンを探して振り返る。


 もし彼も一緒に逃げるのならば、手を、というか背を貸す必要があろうと思ったのだ。



 いまだ再生の途上である俺の目に、赤く光沢のあるなにかが激しく膨張と収縮を繰り返しているのが、まず見えた。


 明るい場所における赤い色というのは他の色に比べ視認性が非常に高いと聞いたことがある。


 その赤いなにかは幸い鮮血ではなく、饗華が身に着けたヒーロースーツだった。


 ピッタリとした衣装に包まれた胸が大きく上下し、肋骨の形を何度も浮き上がらせていた。



 ようやく回復した俺の視界には、仰向けに倒れ息を荒げながら時折しゃっくりのように痙攣するサイコチェッカーと、それを三脚に載ったカメラで撮影する少年の姿が映り込んだ。



「変身ヒロインの敗北……これは芸術だ……美しい……!」



 なにか言っている。


 感じないはずの疲労感に急速に満たされた俺は、そこでようやく自分が浮いたままだと気づき、着地とともにへたり込んだ。

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