ポンコツ系幽霊と二郎系巫女④
「キョウカ」
少年はいまだ双眼鏡から目を離さない少女にそう呼びかけた。
少女は依然としてまっすぐ遠くを見つめ微動だにしない。
二人の間は数メートルの距離なのでいくらなんでも聞こえている距離だと思うのだが。
最初ジャージかと思われた彼女の服装は、上下光沢のあるような赤いツナギに、同様の光沢があるデロンと余った皮のように垂れ下がる重たそうなスカジャンだった。
背中には白いウサギの刺繍が施されている。
とても通気性がいいファッションとは思えず、やはり暑そうである。
サテンというやつだろうか? あの素材はもしかして見た目よりひんやりしているのか。
スカジャンの上から左右対称にかけられた水筒と虫かごの肩ひもが、胸の前でX字に交差している。
彼女の傍らには、三脚に乗ったビデオカメラらしき機器が設置されていた。
そのてっぺんの機器が縦方向に長細く、どっちを向いているのかわからないが、なにかを撮影しているのだろうか。
「キョウカぁ……キョウ? キョウちゃん? ごめん、遅くなって悪かったって」
リンはさらに歩み寄ってほぼ真横で様々な角度からのぞき込んで呼びかけるが、少女はやはり動かない。
セリフから考えると、彼の目的地はここで、俺とわちゃわちゃしていたせいで約束に遅れ、彼女は怒ってしまい、平謝りのとっかかりを掴もうとしているんだろうか。
うわ、ちょっと責任を感じてしまうな。
リンは困ったように腰に手を当て、ため息をついている。
そしてうんざりし、根負けでもしたように低くつぶやいた。
「チェッカー」
すると初めて、彼女はピクッとかすかに反応を示した。
そして口の端から息を吐き、ゆっくりと口を開く。
「待たせたな、アニキ」
チェッカーと呼びかけられた彼女は視線を、というか指一本動かさず完璧にポーズを維持したまま、そのまま煙草でも咥えだしそうな、小学校高学年くらいの少女にしては低く凛々しい声音でそう一言返事した。
「いや、待ってたのはお前だろ……」
「なんでも否定から入るもんじゃねえ。そんな捻くれた性根じゃ、見えるもんも見えんくなるぜ」
言いながら彼女は望遠鏡は構えたままに、取り出した棒付きのキャンディの包みを歯で噛みちぎり──しっかりとゴミを上着のポケットに収めてから──口に入れ、ガチリと奥歯で噛んだ。
なんてこった、ハードボイルドだ……。
二郎系ハードボイルド系少女だ。
「僕はたまに、お前を見たくなくなる日があるわ……」
「目ェ開けとっても見えんもんがあんのに、閉じちまうたあ恐れ入った。暗闇で見えるものこそ真実ってか」
少女は微笑んだ。怒ってはいないということでいいんだろうか。
それどころか、どんな感情なのか計り知れない。
「閉じていながら慧眼だぜ。さすがアタシのアニキだよな。押してダメなら蓋をしろって、ばあちゃまも言っとったっけな……」
「あー……キョ、チェッカー……で、なにしてんの?」
「英雄不在のこの時代じゃあ、超能力騎士に休息は訪れんってわけ。遊撃任務で索敵中だ。アニキも手伝いな」
「え。今日はサイコチェッカーの続き撮るんじゃないの?」
リンの口にしたサイコチェッカーとはなんなのか当然わからないが、というか会話の内容はほとんど意味がよくわからないが、やはりなにかを撮影する予定だったらしい。
普通に会話している少年の様子から察するに、彼女はいつもこの調子なんだろうか……。
「この時間じゃあアタシの欲しい画は撮れん。光が違う。アニキがお天道様と交渉してこれねえなら今日はバラシだ」
「さいですか」
巨匠の映画監督のようなことを言っている。
もし彼女が映画監督系少女だとすれば、属性がそろそろオーバーフローするかもしれない。
そうしたら属性がゼロに戻って、まったくの無属性少女という、いまだかつてない斬新なキャラクターが誕生するんだろうか。
会話を黙って聞くしかない状況でそんなことを妄想していた。
鳥が鳴いているな。なんの鳥だろう。
「はーちゃんが見たって言っとったから、捕まえる」
「はすみが? なにを捕まえるんだ? オニヤンマ?」
「オニヤンマはもう捕まえた」
つまらなそうに少女は腰にぶら下げたピンクの虫かごを指し示した。
大きなトンボがかごの編み目に組み付いている。
「へー、虫網もなしによく捕れたなあ。すごいなお前」
「えへへー」
ほめられて少女の口元がとろけるようににんまり綻ぶ。
むしろこっちが本来の声なのだろうが、それまでのシブい声色から一転してきゃらきゃらした可愛らしい声だった。
しかしすぐさま「コホン」と咳払いし「あーあー」と、先ほどの低い声音にチューニングしている。
やはり努めて出していた声だったのだ。
そしてやはり双眼鏡から目を離さないまま言う。
「……くねくねとかいう白くて長いオバケだ。アタシちゃんがサイコチェッカーで祓うからカメラの角度だけ合わせてくれ。素材にする」
聞いた途端、俺とリンは無言で顔を見合わせた。
──それたぶん俺じゃん。
俺のほかに偶然にも白く発光して伸び縮みするやつがいた可能性もゼロではないが、リンを〈カンエ様〉に引っぱり込んだときか、あるいは農道をダッシュして西の大きな用水路の結界に突っ込んだときのもだえ苦しむ俺の姿を見間違えたと考えるのが自然だろう。
見られていたとはウカツだった。
リンと目配せし、たがいにうなずく。
特にどうしてほしいとかは全く考えていなかったので、このアイコンタクトは実際のところ無意味なのだが。
鳴いている鳥の名前を限られた知識と照らし合わせるのに忙しかったのだ。
なんとか上手いこと収拾させてくれ、そして日が暮れる前に用事をすませちゃってくれ、少年。
「な、なあチェッカー?」
彼は浮ついた笑顔で語りかける。
「見間違いだと思うぞ? カカシかなんかだて。いるわけないじゃん、そんなもん」
「アタシのかわいいはーちゃんを、道端のニャンコとビニール袋を見間違えるようなド近眼扱いとは相変わらずのいい度胸、ほれぼれするぜ。だがよお、はーちゃんがいるって言ったらいるんだ。はーちゃんがシロと言えば砂の山でも城になるんだで。はーちゃんがこの世界の真理なんだ」
「うちの妹に世界を負わすな。荷が重すぎる。まだ小五だぞ」
「いいか、アニキ」
ここでようやく少女は双眼鏡を顔から離し、少年のほうをたっぷりとした緩急で振り向いた。
「世界を目指すのに年齢は関係ねえ。早すぎも遅すぎもねえ。一〇歳だろうが一〇〇歳だろうが……聞けぇ! 思い立ったが屹立って──え、だれェ?!」
少女が双眼鏡の跡が付いた目を二重丸にして、一層甲高い驚きの声を上げる。
彼女はいまのいままで俺の存在に気づいていなかったようで、それまでの余裕ぶった態度が嘘のようにあわあわと俺とリンへ交互にせわしなく視線を向けている。
あ、俺か。
「いまです! アライバさん!」
リンが小声で俺に合図しながら、ゴリラドラミング式の手招きをする。
うなずく俺。
あいわかった。いまこそ、リンに対し不発となっていた格好いいお姉さんの自己紹介をぶっ放すときだ。
深呼吸しながら、足は肩幅に開き、身体は対象に対しZ軸で四五度回転、上体を少しそらし腰に軽く手を当て、視線はバチコンと合わせ、余裕に満ちた不敵な微笑みでふわりと滑る髪が動きを止めるのを待ってから、満を辞して口を開く。
「かな、あ、かないば、あらにゃ、にゃ、か、アライバかなえでしす」
……。
──……………………。
……ッ……………──ッ…………………!
「ポンコツがよォーー!」リンの声が響く。
震える声を振り絞り「よろしく」とだけ言って、もう自己紹介は一生したくない、と、打たれ弱い系ポンコツコミュ障系お姉さん系幽霊は、まばらに雲がたむろする初夏の空をしみじみ見上げた。




