旅の計画が何故か始まる話
「私、ジャン・フロースはフィオナ・ロベリアとの婚約を発表する!」
おおおお、と大きな歓声とどよめきが上がる。
宮殿に到着して、最初に向かわされた先は大広間。
大広間2階のバルコニーに、国王と王妃を初めとした王族も勢揃いして、階下にいる有力貴族の代表を見下ろしている。
有力貴族もほとんどが揃っている。クレチマス家を除いて。
瞬時に理解した。
兄の逮捕のタイミングはやはり意図的で、両親をこの場から離れさせる目的だったと。
王はクレチマス家からの抗議を恐れているのだろうが、正直それは意味はない。
転生してからビアンカは毎日のように、両親に対してジャン王子に興味が無くなった旨を告げていたし、両親も意思を尊重してくれた。
だからフィオナが選ばれようが予定調和と思ってくれるが、このようにクレチマス家を避けた場所で発表していることには激怒するだろう。
「え、ロベリア家の娘と…??クレチマス家はどうしたんだ?」
「なんか嫌われてたって噂よ。ほらあのビアンカ嬢って悪女で有名じゃない。」
「そうですよね、フィオナ嬢が選ばれて良かったわ。」
聞こえてる、全部聞こえてる。
そこのなんちゃら男爵の息子とその取り巻き女たち。
あとで覚えておいてほしい。
周りの貴族はビアンカの方を見ながらヒソヒソと陰口を叩くが、ビアンカは毅然と前を見ている。
その顔には悲しさの欠片もなかったが、元々のビアンカの精神の持ち主にはこっそりと謝罪もしていた。
彼女のジャン王子への好意は実らせてあげることはできなかった。
もう、原作が大きく変わり始めていること、ここは別の世界になっていることをビアンカは感じ始めている。
「さて、私とフィオナ嬢はこれから、一年にわたり周辺国を巡る旅に出る。新たな見聞を深め、この国に戻ってきた時には更なる成長を遂げてみせようぞ。」
フィオナとイチャイチャしながら演説をしていた第二王子だが、急にビアンカがいる方向に指を差した。
「ビアンカ・クレチマス、ここに。上がってきてくれ。」
は?思わず舌打ちが出そうになる。
いや、何故。もう巻き込む必要はないだろう。2人で幸せに旅してきてくれ。
ビアンカは動きたくなかったが、国王と王妃も見下ろしていることに気がついて渋々階段を上がった。
「ビアンカ・クレチマス、久しぶりだね。」
「えぇ、この度はご婚約おめでとうございます。」
にこにこと、ジャン王子とフィオナに愛想笑いをしながら、ふとバルコニー内の椅子に座る王族の中に混ざって、車椅子の男性がいるのに気がついた。
あれはまさか…。第一王子のルイ王子だろうか?
なんて珍しい。
彼は生まれてから一度も自分の足で歩けたことはなく、治癒魔法も効かず、車椅子生活をしていることで有名だ。
国王は周辺の国から術師を呼び込み、様々な方法で足を治そうとしたがどうにもならなかった。
本人の性格は偏屈で、人付き合いを嫌い、自室にこもってばかりであり、王位継承権を放棄していると聞いているが…。
足さえよければ全ての運命が変わったのに。そう思いながらビアンカがルイ王子を見つめていると、こほん、とジャン王子が咳払いをしたので、慌ててビアンカは現実に向き直った。
そしてジャン王子は衝撃的な一言を言い放った。
「さて、ビアンカ・クレチマス。君にも我々の旅に来て欲しいのだ。」
「え?」
思わず聞き返してしまう。
「私とフィオナと一緒に4カ国を巡ろう。」
「え?」
いやいや、何故。ビアンカはもう婚約者候補ではないはず。旅をしないためにこの1年頑張ってきたのにどうしてそうなるのか。
「殿下、どうしてですか…?2人きりで楽しみましょう、と話をしていたではないですか。」
フィオナを見ると、憎しみがこもった目で見返されて、慌てて目を逸らす。
フィオナは相変わらずビアンカに敵意丸出しである。
「あぁ、フィオナ。安心してくれ。もちろん婚約者候補として、ではなく、あくまでも旅の案内人としてついてきて欲しいのだ。アカデミーで、ビアンカ、君が作った修学旅行のしおりを見た。素晴らしい出来だった。」
いやいやいや。確かにアカデミーで、教員の手伝いをしている時に、下の学年のために旅行のしおりを作ったが。
その旅行とは訳が違うだろう。
「更に君が、周辺国の歴史や民族について大変よく調べているとも聞いた。きっと旅行に行きたかったのだろう?」
いやいやいやいや、それは周辺国に住む民族が、エルフやドワーフなど、あまりにもファンタジーすぎて転生者として気になったからで。
「だから、私はビアンカ・クレチマスに旅行の計画を立ててもらい、案内人としての同行を命じたい。これは国王の許可も取っている。」
もう、ぽかんと口を開けることしかできない。
国王と王妃がにこにことこちらを眺めているのが視界の隅に入る。
いや…ジャン王子とフィオナの2人で仲睦まじく旅行に行けば良いではないか…巻き込まないでくれ…
そんなことを口に出せる訳もなく。
ビアンカは、精一杯の声を振り絞りながら、
「…はい、かしこまりました。」
と言うしかなかった。
こうしてビアンカの平穏に生きる計画は見事に崩れ去ったのだった。
「ビアンカが各国の歴史に詳しかったり、計画をまとめるのが上手なことは、ある人からの推薦で分かったんだよ。誰かとは言えないけど。」
「…本当にそんな特筆すべきことは何もないんですけどね。」
「いやいや謙遜しないで。」
ある人とは誰だろう。ビアンカはアカデミーの教員を思い出しながら、この1年間、自分が原作ルートから離れるために努力してきた、「アカデミーで良い成績をあげてそのまま教員になって、平和に暮らす作戦」が裏目に出てしまったことを痛感した。
更に、元いた世界で、『旅行サイトの運営会社でのライター』として働いてきた経験が、悪い方向に作用してきたことをひしひしと感じる。
確かに周辺国にはいずれ旅行しようと思って調べていたことはある。でもそれはあくまでも一人旅で、だ。
ビアンカが深いため息をついていると、国王とその周辺の従者が動き出す。
従者はどこからか大きな水盆を持ってきて、階下からもよく見えるような位置に設置する。
「さあ、3名とも、この水盆の前に立ちなさい。安全祈願を行う。」
「はい、父上。」
あの水盆は原作でも見たことがある。この国で儀式を行う際、かならず用いられる魔法の水盆で、願いを叶えてくれると言われている。
「祈願の方法は簡単だ。水盆に向かって手をかざし、自分が一番得意な魔法を発動させなさい。水盆はその魔法を吸収する代わりに願いを叶えてくれると言われている。」
内心阿鼻叫喚だった。ビアンカは魔法が得意ではない。
魔法の威力はあるのだが、コントロールが効かず、いつも誤作動を起こす。
水盆を壊したりしてしまわないかとひやひやしていた。
「さあ、3人とも用意はいいかね?」
国王が促すと、ジャン王子とフィオナは手をかざす。
ジャン王子は恐らく風の魔法、フィオナは光の魔法だろう。
緑と白の光線が水盆に吸い込まれていく。
「クレチマス嬢?」
国王の有無を言わさぬ目に、ビアンカは慌てて手を出す。
まあ壊れようとどうだっていい。旅自体がまず嫌だというのに安全も何もない。
ビアンカが得意と言えるのは雷の魔法だ。
ビアンカはどうにでもなれと手に力を込めて、そして…
チカチカチカ…!
確かに魔法は発動した。水盆に当たり、何故か跳ね返る。光は一直線にどこかに飛んでいく。あまりにも眩い光に思わず周囲は目を瞑り、そして。
「…くっ、う、ぎゃあああ」
大きな悲鳴が背後から上がり、ビアンカや国王は振り返った。
あの、車椅子のルイ王子が、光に包まれていた。
顔は驚きと痛みのようなもので歪んでいたが…
「…え、立っている…???」
階下の人間の誰かがそう言って、皆が彼の足に注目した。
なんと、ルイ王子は車椅子から立ち上がっていた。
「…どういうことだ!?」
国王が驚きのあまり腰を抜かしそうになっているのを従者が助けている。
王妃は慌てて駆け寄ろうとするが、ルイ王子は首を振り、まず一歩、足を踏み出した。
痛みはあるようで相当辛そうだが、でも倒れるほどではない。
ルイ王子は生まれて初めて自分の足で立ち、歩くことができたのだった。
そこから先は儀式どころではなく、医者が呼ばれ、術師が呼ばれ、王族中が混乱する騒ぎとなった。
あの雷魔法がきっかけかと疑われたビアンカは、魔法研究者達の質問攻めに合いながら、別室でとりあえず待機となり、ジャン王子とフィオナも何故か同じ部屋でひたすら水盆を眺めている。
来訪していた有力貴族達は家に帰らされることになったが、大ニュースだと沸き立ちながら馬車を走らせた。
いつの間にか、アンヌが両親と兄を部屋に呼んでくれて、両親は困惑していたが、兄は何やら意味深な顔をしてビアンカの肩を叩いた。
どうやら原作通り、兄は重い罰にはならなかったようだ。
「殿下…犯罪者が近くにいるのは怖いですわ。」
フィオナが何やら言い始めているが、ジャン王子は上の空だ。
「あぁ…」
と適当な返事をしながら、考え込んでいる。
ルイ王子が復活するとなると、全てがひっくり返るのはジャン王子だろう。
誰もこの後起きることが予想できない。
気まずい空気の中、しばらく立っていると、バタンと扉が開き、王の従者たちがゾロゾロと入ってくる。
そして、国王夫妻と共に現れたのは、杖をつきながらも歩く、ルイ王子その人だった。
ルイ王子はまっすぐとビアンカの前まで歩き、そして一礼した。
「ありがとう、クレチマス嬢。俺は健康そのものだ。そうつまり、ただ歩けるようになった。それは素晴らしいことだ。」
淡々と、しかしどこか感慨深げにルイ王子は話す。
表情は変わらず、笑顔ではなかったが敵意は感じない。
実質ルイ王子とは初めましてのビアンカは、少しドギマギしながらも慌てて深いお辞儀をした。
「私はお礼を頂くようなことは何もしておりません。私に治癒の才能はありませんし、きっと水盆のおかげですわ。」
ここで、治癒のスペシャリストのように祭り上げられるのは逆に困る。
原作でもルイ王子が歩けるようになるなんて記載は一個もなかった…否、芽衣子はシリーズを全部読破したわけではないので、100パーセントとは言い切れないが、原作でも2行くらいしか登場していない人間だ。
こんなビッグイベントが起きて良いはずがないのだ。
必死に水盆を指差すビアンカを見ながら、ルイ王子はふっと微笑んだ。
「君がきっかけなのは間違いがない。」
王子の笑みを直接浴びて、ビアンカは脳内で叫んだ。
《何このイケメンー!?》
偏屈で変わり者で引きこもりの王子がこんなに美男子だとはとても想像していなかった。
これはジャン王子よりもイケメンなのではないか?
そんな失礼なことをチラチラとルイ王子とジャン王子を見比べながら考えていると、国王夫妻が何やら目くばせをしながら、従者に何かを伝えた。
そして従者がこほんと咳払いをしながら、口を開く。
「ジャン王子殿下の4カ国周遊について、一部変更を行う。旅には、ルイ王子殿下も参加を求めることとする。」
「え!?」
フィオナが思わず小さく叫んだ。
ビアンカも叫びはしないまでも大きく驚いた。そして肝が冷える。
原作と大きく大きく変わってしまっている。
しかも旅に参加するということは、実質ルイ王子も王位継承者として認めたということになる。
ジャン王子は相当衝撃を受けているのではないかと思い、こっそりと顔を覗くが、ジャン王子はまるで分かっていたかのように笑顔で頷いた。
「大変喜ばしいことです、父上、母上。兄と一緒に歩き、旅することは私の夢でした。兄上、出発までに筋力をつけて、もっと歩けるようにしておいてくださいね。」
「ふん。」
ルイ王子は鼻で笑うが、満更でもない顔だ。
ビアンカは、ふーんと脳内で呟く。二人の仲は別に悪くはないようだ。
王妃はハンカチを出して涙ぐんでいた。
それはもう、嬉しいだろう。一生歩けないと思われた息子が奇跡を見せているだから。
でも、ビアンカの方を見て、更にルイ王子の方も見て涙ぐむのはやめてほしい。ジャン王子の婚約者じゃなくなったからって、ルイ王子に宛てがおうとはしないでくれ。
「では、出発まではあと1ヶ月。4人はそれぞれ準備に励んでくれ。そして、クレチマス嬢にお願いしたいのだが、最初の国であるアガペ王国の情勢に詳しい人間を旅の付き添いとして雇ってもらえないだろうか?」
「え…」
何故、そんな人探しみたいなこともしないとならないのか。大いに面倒くさい。
が、王家からのお願いを断る勇気もない。
「我々はアガベ王国の国王に伝え、現地の案内人は手配いただくようにお願いするが、できれば我々と歳が近くて、我々と同じ目線で話せる人間も欲しい。アガベからの留学生はどうか?」
ジャン王子が口を挟み、ビアンカは渋々頷いた。
「留学生…探してみます。」
「うむ、よろしく頼む。」
留学生、確かに何人かは心当たりはいるが…ビアンカから声をかけても、皆怯えるだけではないのだろうか。
ビアンカの悪女時代のエピソードを、留学生にも噂として広めている人間がいるのをビアンカは知っていた。
「よし、それでは出発までの時間を各々有意義に過ごしておくれ。」
国王はそういうと、王子達を連れて去っていく。
ルイ王子はゆっくりとした足取りだが、もう杖にも慣れた様子で歩いていく。ジャン王子はフィオナの頭を一回撫でると、また冷たい笑みをビアンカに向けて、兄を追いかけた。
一気に静かになった部屋でため息をつくのをぐっと堪えながら、部屋を出る。
両親に大広間であったことをより細かく伝えなければ。
最後までフィオナは恨めしい目線でこちらを見ていたが気が付かないふりをして。さっさと宮殿を後にすることにした。