なぜなろうには似たような作品ばかり書かれるのか? 3つのネガティブな理由
読みやすさを重視した簡潔な文章。同じ設定や展開ばかり……
そうなる理由は「ネット小説しか読まないような読者」と、「多くの小説を読む読者」の双方から叩かれるからだ。
最近思うのは、流行の偏った作品群ばかり評価し、オリジナリティのある作品を評価しないことがつづけば、そりゃ外部の(一般の)読者からばかにされてもしかたがないってこと。
いくら「なろう系をバカにするな」と叫んだって、現状を作り出している人たちがオリジナリティを否定しているんだから。自由な創作の場であるはずなのに、その自由を作者から奪っている。自分たちはなろう系以外の作品を否定しているくせに、なろう系を否定するな、なんて虫がよすぎる。
小説家になろうの作品の多くは「タイトルからして長ったらしい」ものであったり、「口語体で書かれたゆる~いタイトル」が乱造されている。
さらには設定や世界観がそっくりだったり、それどころか、物語の内容まで同じようなものまで……
こうなるともはや「流行」ではすまされない。
まずは似たような作品ばかり書かれる3つの理由について簡単に提示しておく。
① ネット小説ではさっと読めて、簡潔な文章のものが評価されやすい。それもコメディ要素のあるものが中心(ジャンル「ホラー」ですらギャグ系タイトルって……)。それ以外の作品には露骨に低評価を付ける人もいる。
② 流行のジャンルやキーワードを使ったものがPVが増えやすいと知った作者が、こぞってそうした流行のものを書く。
その大きな理由は書籍化、アニメ化されたいと考える作者が似たような作品を書くから。
③ 流行にとらわれない作品を書いても、評論家を気取る読者から低い評価を付けられ、作者が書くのを止める。
だいたいこんな感じ。
①と②は要するになろうの大きな読者層に合わせる作者が多いという理由による。
別に読者の好む作品を書くということを否定はしない。しかし、ゆきすぎたそのような作者の態度は、かなり歪んだものを発生させる。
書きたい作品のない書き手によって産み出された作品は、○番煎じの内容や、あるいは丸パクリかと言われるようなものになりかねない。
そうした偽造作品を書くのは、作者としての品位も問われるだろう。
(そしてこれはランキングにあるものしか読まないような読者が多いことにも起因する)
③は、そうした流行に対し反感を感じた読者が、タイトルから選択していわゆる「なろう系」じゃない作品を読んだのに、評論家目線をして、作品を否定するように低い評価を付ける。
(こうした評論家様は、はじめから高評価をする気がない)
最悪な部類になると、物語や文章については納得しているのに、まえがきなどで作者が顔を出す──なんらかのコメントを載せる──だけで低い評価を付けていったり……(そもそもこういう評価の付け方をする人は、自分が作品ではなく、自分自身の感情にしか向き合ってないということを理解していない。=その評価に正当性はまったくない。
作者が顔を出すのが嫌なら、AIの書いた作品だけ読んでれば? というか、一般的な書籍でもあとがきには作者や解説者のコメントが書かれるものだよ?)
作者がなろう系でない作品を書いて投稿しても、なかなか読まれないうえに──読まれたとしても、なろう系しか読まない人からは「描写ばかりでうざい(展開が遅い)」とか、「文章が気取っていてむかつく(本格派のファンタジー作品とかはそういう文章が基本)」とか言われて低い評価を付けられる。
そこへさらに自称「読書家」様の通ぶった態度からおこなわれる、最初から「なろう作品に高い評価を付けない」と決めつけた態度によってさらに追い込まれる作者……
いわば「なろう系」を好む読者から攻撃され、さらには味方であるはずの、オリジナリティを求める読者からのフレンドリーファイアを食らう。
それがなろうで起きている現状。
それでは誰もオリジナリティのある作品や、なろうテンプレからはずれたシリアスな作品は書きつづけられない。
作者からすれば「ああ、せっかく書いたのに☆1付けられた。もう書くのやめよう」となるか、あきらめて評価をもらいやすい「なろう系」の作品を書くようになる。
読まれるキーワードを使った作品。
評価されやすい内容の乱造はこうして起こる。
「悪役令嬢」や「婚約破棄」でタイトル検索してみた? タイトルだけで似たり寄ったりな名前ばかり投稿される異常事態。
「なろう系」と呼ばれる作品があふれるのは、そうした読者の態度が集積された結果。
似たり寄ったりな「なろう系」なんて読む気がしない。そんなふうに考えていながら、そうじゃない作品に厳しい評論家目線で点数を付けて、作者を応援せず、結局「なろう系」を量産させる手伝いをしている。いい加減そのことに気づくべき。
つまりこういうことだ。
多くの読者は簡単で、ありきたりな作品を高評価し、オリジナリティを認めない。
似たり寄ったりな作品を嫌う自称「読書家」からも、「この程度の作品」という考えを抱いて作者を応援せず、スルーするか☆1をなんのためらいもなく付ける。
そうなれば作者は読まれにくいシリアスな路線を捨て、PVの増えやすい内容のものばかり書くようになる。
読者と作者の両方が個性的な作品を排撃し、個性を廃した「無個性の作品」を量産するよう活動しているわけだ。
一番危惧していることは、この「ネット小説」という書籍ではできないことを表現できる場が、何やら「書籍と比べて」だとか、「ネット小説特有の簡潔で読みやすい文章」などとカテゴライズされてしまうことだ。
書籍では削られるようなものを書いて、いったい何が悪いと言うのだろう?
金を払って読んでもらっているわけではない。
読むよう強制もしていない。
作者の個性が喪失した創作の場とは何か、一度本気で考えてみるべきではないのか。
個性がなければその創作の場には有象無象の、妥協とあきらめの産物しか生まれないだろう。
なろうの流行に捕われない作風。コメディ要素をなくし、王道でリアルな作品を書きたい作者からすると、そうした作品を読んで低評価を付ける読み手にはこう思う。
「おとなしく(タイトルのクソ長い)『悪役令嬢』とか『婚約破棄』とか『チートハーレム』作品だけ読んでれば?」と。
はっきり言って作者も、読み手を選んで書いてる。
読者からすれば「せっかく読んでやってるんだから感謝しろ」という態度なのかもしれないけれど、べつに(そうした態度の読者に)読むことを強制してない。
むしろきちんと書いたものを読んでくれて、感想や評価をしてくれる読者に(読者が考える以上に)作者は感謝しているもの。
だからこそ路線(内容)をきっちりとしたものにして、物語の世界観を崩さずに書いている。
その内容が気に入らないと思う人は初めからその作品が合ってないだけ。
☆ ☆ ☆
(ここから一部の読者に向けて、文体を変えてお送りします)
☆1を付けて「評価を付けてやったのに文句を言うな」、そんなふうに言う読者もいるかもしれない。
でも考えてみて。
あなたの取り組んでいること(お仕事または趣味など)に誰かがこう言ってくるんだ。
「あんたの仕事ぶりは5点満点中の1点だな」
こう言われてあなたはどう思う?
「そうですか? ありがとうございます!」
そう返答するの?
もしそうなら──その人は、まわりの人との会話が成立しない人だろうね……
もちろん文章がいまいちだったり、物語の展開や設定に不満があることもあるだろう。そういう場合は評価を投げつけるだけじゃ意味がない。
きちんと駄目な点を指摘しないと、書き手には伝わらない。
まあ中には「読者にそんな指摘されたくない」という作者もいるし、逆に「読み手でしかない自分に編集者のような真似を期待されてもな」という読者だっている。
だからこそ相手の気持ちをおもんぱかることが大切だよねって話。
もしかしたら☆1をあげるのは良いことだと言う人もいるだろう。
評価することはいいことなんだけれど、なろうでは少し考えてから評価を付けたほうがいい。
なぜなら作者側には「平均点」というものが表示されるから。
それを知っている荒らしが、機械を使って特定の作者に☆1を自動で付けたりする行為も横行しているのが、このサイトの実状。
読み専の人は、そうしたことも理解した上で「作者を応援する気持ち」で評価してあげてほしい。
逆に言えば、評論家を気取って厳しい評価を付けていれば、そのうちあなたの読みたくなるような作品がなろうに書かれるとでも? まさかそんなこと本気で思ってないよね?
──「そんなわけないじゃん」──
☆ ☆ ☆
まあなによりも、こうした「人気獲得のため」だけに書かれたものが「コミック化・アニメ化」されるから、べつに書きたい物語があるわけじゃない作者は、そうしたものをよろこんで書くよね。
似たり寄ったりな偽物でもよろこぶ読者のために書くという、書きたい物語のない作者が今後も増えるでしょうね。
マンガみたいに誇張されたキャラクターと、つぎつぎに巻き起こる展開の早さ。それがネット小説の売りみたいになっていて、文章に注目した作品ってほとんど見当たらない。
文章による表現に力を入れている作品や、オリジナリティのある作品が評価されるべきだと思う。
このエッセイでいちばん言いたいのは「自分の読みたい作品がない」とか言いながら、自分の読みたい系統の作品に厳しい(ネガティブな)評価をして「自分の読みたい作品を書かれにくくしている」読者がいるってこと。
本編では書かなかったけれど、1番の理由は作品を読んでもブクマも評価も付けないような読者のせいかもしれませんなぁ……