黄金の獅子に、焦がれていた②
シュベーアトとレーヴェの出会いは、シュベーアトが5才、レーヴェが7才の時だった。
特段珍しい話ではないのだが、シュベーアトは、とある侯爵家の主人がその夫人以外の女、それも正式な愛妾ですらなかった平民の女を孕ませた末に生まれた子どもであった。
公爵と夫人との間にはすでに子どもがいたが、魔力は並程度。可もなく不可もなく。しかしシュベーアトは、その子どもたちの軽く3倍以上の魔力をその身に宿し、この世に生まれ落ちた。
魔力の強い者が優遇される世論の中で生まれた「家を継がせるのは、魔力の強い者に」という風習を、侯爵家の主人も支持していたため、その事実は夫人の心に大きな闇をもたらしてしまった。
シュベーアトの母親は夫人からの手切金を受け取ると、早々にシュベーアトの前から姿を消した。
当然だろう。愛したわけではない男の子どもと、これからの生活の安定資金。どちらを取るかは、あの頃の自分にだって理解できた。
そうして独りになったシュベーアトは侯爵家ではほとんどいない者のように扱われ、最低限の衣食住のみを与えられ過ごしていたのだが、ついに5才の時に、夫人の手によって国境を僅かに超えた国外へと捨てられたのだ。
侯爵家の主人も、シュベーアトの魔力を惜しむ様子は見せたが、自らの醜聞を隠す為に、夫人を止めることはしなかった、というのは後日聞いた話である。
幼いながらにも自分の立ち位置がわかっていたシュベーアトは、捨てられた、という現実を早々に理解した。
これはつまり、やはり誰も、自分の生を望んでいないのだ、ということを。
泥に汚れ、手足を痛め、それでもなんとか生きようとして国内へ戻ろうと歩み続けた小さな体の前に、突如魔物が現れた時、シュベーアトは死を受け入れた。
いくら内に宿る魔力が強くとも、使い方を知らぬ5才の子どもに、自らを守る術はなかったから。
怖くはなかった。
悲しくもなかった。
けれど、寂しかった。
魔物の牙と爪が迫っても、シュベーアトは目は閉じなかった。
自分の最後を、受け入れる為に。
────────あぁ、死ぬ。
その時だった。
シュベーアトを中心に紅く輝く魔法陣が浮かび上がり、その淵に沿うように焔の壁が築かれたのは。
「さがりなさい!彼をきずつけることは、ゆるしません!!」
凛とした声が、空気を切り裂くようにして響いたあの時を、シュベーアトは生涯忘れないだろう。
気づいたら自分の目の前に、淡い茶色の髪の小さな少女が立っていた。彼女が身につけているグレーのローブが、魔力の揺らぎに合わせて、バサバサと音を立てて揺れた。
「その身を、焼かれたくなければ、さがりなさい!」
少女の声と共に、少女とシュベーアトを守る焔の壁はその勢いを増し、魔物を強く牽制し、そして、ついに追い払った。
逃げていく魔物の姿が完全に見えなくなった途端に、少女はその場に崩れ落ちるように膝をついた。それと同時に焔の壁も跡形もなく消え、シュベーアトは実感の湧かないぼんやりとした頭で、自分と歳の変わらぬように見える目の前の少女が、魔法で焔の壁を作り出し、魔物を追い払ったことを理解した。
「けがは、していませんか?」
肩で息をしながら、目の前の彼女はゆっくりと振り返って、そして煌めく黄金色の瞳が、真っ直ぐにシュベーアトを見た。
咄嗟に返事が出てこなかったのは、疲労のせいでも恐怖のせいでもなかった。
ただ彼女が、綺麗だったからだ。
稲穂色の柔らかく波を打った髪は、頭の高い位置で一つに結ばれて、陽の光を受けてキラキラと光っていた。
汗が伝う首筋は、磨かれた象牙のように白く輝いていて。
吊り目気味の大きな瞳は、夕陽の様に見る者を惹きつける強さと輝きのある黄金色で。
シミひとつない肌にスッと通った鼻筋も、小さめな口も、すもものような頬も、髪と同じ色の整った眉毛も。
全部が、言葉を失うほどに、綺麗だった。
目を見開いたままで返事を返さぬシュベーアトに、彼女は何を思ったのか、四つん這いになりながら近づいてきた。
きっと、立つこともままならないほどに消耗していたのだろう。腕を伸ばせば触れてしまえる距離まであと少し、というところで、彼女が地面についた腕が、ガクリ、と折れた。
「!!」
固まっていた体は勝手に動いて、咄嗟に伸ばした腕で、彼女の頭を受け止めていた。
意図してのことではないが触れてしまった肌の白さと柔らかさ、サラリとこぼれた髪に、そしてその小さな体から漂う甘く爽やかな香りは、シュベーアトを大変に混乱させた。
受け止めたままで、再び石のように動かなくなったシュベーアトに不信感を表すこともなく、少女は小さく謝罪とお礼を告げると、すぐに身を起こした。
そして、さっきよりももっとずっと近い場所で黄金色を光らせ、
「あなたは、グランツェ国の、こどもですね?」
とシュベーアトに問うた。
動きを止めた体を、なんとか動かし、小さく頷くと、少女は、心底嬉しそうに、ふにゃり、と笑った。
「よかったです、あなたが、生きていてくれて」
花が綻んだ。
そうとしか思えないような微笑みの中で緩んだ黄金色から、ぽろぽろと雫が溢れ始めたのを見て、あの時の幼かった自分は大層慌てたのを覚えている。
そして、そんな自分の前で、少女が途切れ途切れに発した言葉もだ。
「あなたが、ここへ、連れてこられていくのを、見たひとが、いました。その知らせがあって、それからみんなで、あなたを、探したんです………、子どもは、国の、宝です。
傷をつけ、すてるなんて、絶対に、ゆるしてはいけません……。けれど、ごめんなさい。もっと早く、あなたを助けられなくて。この国を、守るものとして、あやまります……、ごめんなさい。もう二度と、あなたが悲しまないよう、守ります。だから、どうか、わたしたちと一緒に、生きてほしいのです」
生みの親にすら捨てられた自分に。
存在すら認められずにこれまで生きてきた自分に。
死を、容易く受け入れた自分に。
生きることを、望む人がいるなんて。
「わたしは、レーヴェ・ベルンシュタインといいます。この名にかけて、あなたを守り、そして、しあわせにします」
美しく誇り高い小さな少女は、溢れた涙を自分で拭い、そしてシュベーアトの汚れた手を取って、そう告げたのだ。
これが、レーヴェとシュベーアトの出会いであった。
それからシュベーアトは、レーヴェと共にベルンシュタイン公爵家の騎士に保護された。
その際の会話によると、どうやらレーヴェは国境の外に捨てられた子どもがいる、という報告を受けた父、ベルンシュタイン公爵に無理を言ってここまでついてきたかと思えば、護衛としてレーヴェについていた騎士たちが、少しばかり目を離した隙に、単身でシュベーアトを探しに出たらしい。
レーヴェがいなくなったことは直ぐに発覚し、シュベーアトの捜索隊は、同時にレーヴェの捜索隊ともなり、皆必死に探してくれていたのだ。
そんな中、シュベーアトの手を引き、自分の力で戻ったレーヴェに、騎士の皆は安堵の息をついたが、ベルンシュタイン公爵はその場にいた全員が震え上がるほどの剣幕で激怒し、「何を考えているのか、ベルンシュタイン家の者として、浅慮にも程がある」とレーヴェを叱りつけた。
その言葉を受け、再びぼろぼろと、しかし反論もせずに静かに涙を溢すレーヴェを見ていられず、シュベーアトはガタガタとみっともなく震える体を、自分の意思で、レーヴェと公爵の間に割り込ませていた。
「お、おお俺の、いのちを、レーヴェはたすけてくれました!」
「………お前は、」
突然割り込んできたシュベーアトに、公爵は眉をよせはしたものの、怒鳴りつけたり、押しのけたりすることはなかった。
レーヴェよりも、濃く暗い、濃金の瞳が、シュベーアトだけを見る威圧感に、ついにシュベーアトの目からも涙が溢れたが、それでも、退がることはしなかった。
「れ、レーヴェは、俺に生きろと、じぶんのなまえにちかって、しあわせにする、といいました」
「…幸せに?」
「俺は!お、れは…、レーヴェが泣いていると、しあわせじゃありません。レーヴェは、なまえにちかった。なら、父親であるあなたも、いっしょの、はず、です…!!」
今考えれば、なんて拙い訴えだろうか。
ベルンシュタインの名を持つのであれば、その名に誓った彼女の言葉を共に背負い、自分を幸せにしろ、と。だから、彼女を泣かせるな、と。
幼すぎる身勝手な訴えが鼻で笑い一蹴されなかったのは、一重にベルンシュタイン公爵が人徳者であり、そして彼が自身の娘を確かに愛していたからなのだろう。
シュベーアトの行動と、更にそれを庇おうとしたレーヴェの姿に怒りを鎮めた公爵は、レーヴェに先に帰るように命じた。レーヴェはその命令に素直に頷いたが、気づけば彼女に握られていたシュベーアトの手は、誰に何を言われても離されることはなかった。
自分より、少しだけ背の高い少女に手を引かれるまま、シュベーアトは歩いた。しっかりと自分の手を握る小さな手は、シュベーアトに熱と共に、「ここにいても良いのだ」ということを伝えてくれているような気がして、振り払おうとは思えなかった。
レーヴェは移動の馬車の中もずっと手を繋いだままで、シュベーアトを公爵家に連れ帰った。
「じぶんからした約束を、やぶりたくない」と言い、その日からレーヴェは常にシュベーアトの側にいて、シュベーアトの心を癒し、笑顔を浮かべられるようになるまで寄り添い続けてくれた。
お腹が空く様になり、ご飯が美味しく感じる様になった。
庭に咲く花々の日々の変化に気がつく様になり、空の色が青だけではないことを知った。
隣にいてくれるレーヴェの話を聞き、言葉を返し、それによってコロコロと変わる彼女が何よりも綺麗だと毎日泣きたくなる様な幸せな時間を過ごし、ずっと見ていたいと思った。
今日をレーヴェの側で過ごし、そして眠り、また明日もレーヴェと過ごしたい、と思う様になり、日々を生きることが楽しくなった。
枯れた木に、水をやる様に。
少しずつ、少しずつ。
足元から染み込んでくるようなレーヴェの優しさは、シュベーアトを確かに救ってくれた。