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マルスル王国王女、グラシェーナは悩んでいた。
原因は、交易先であるキャシテル国の末王女から贈られてきた小説を読んだせいだ。
グラシェーナと同じ歳の頃という事もあり、キャシテル国の末王女とは手紙で頻繁に交流していた。
普段は互いの国で流行りの布や装身具を細々と贈りあっているのだが、今回グラシェーナは小説を贈っており、その礼として届いた物も小説だった。
自国は血湧き肉躍る冒険小説で、あちらは流麗な言葉で紡がれた恋愛小説。書き物一つをとっても、お国柄が現れていて面白い物だとグラシェーナは思ったが、その違いが悩みの種となった。
「この小説、主軸の恋愛以外も楽しめる作品であったな。作家の造詣が深いのだろう。だが……」
しかし、この小説内でただ一点のみ、グラシェーナの理解が及ばない表現があった。
「麗しい貴族令息とは、いったい何だ……?」
マルスル王国の至宝とも呼ばれる王女は、10歳という成人に満たない年齢にして美貌と英知を兼ね備えていた。
麗しい貴族令息───これは、国の学者達も手放しで褒めそやす知力を持つ王女が、生まれて初めて理解が及ばない表現だった。
それもそのはず。
自国民は男女ともに身体が大きい作りをしているのだ。加えて、国の周辺には魔物が多く生息しており、生き残るため特に男性は筋骨隆々な体型が基本装備となっている。
更にマルスル国貴族は民を守る義務がある。それは魔物の討伐も含まれているため、貴族令息は己の身体を鎧の如く鍛え上げる事に余念がない。
半裸の騎士達が「そこまで鍛えるには眠れない夜もあったろう」と互いの筋肉を讃え合う姿をグラシェーナも度々目にしたことがある。
片や交易国キャシテルは比較的魔物の少ない穏やかな土地のため、貴族全体が鍛錬を積む必要性はあまり無かった。
むしろ貴族が頭脳を、民が肉体を駆使して成り立っている国なのだ。
そのため、中には美女と見まごうような貴族男性もいる。
そもそもの前提が異なっているため、理解などできようはずもなかったが、勤勉なグラシェーナは分からないまま捨て置くことを良しとしなかった。
理解が及ばない事があれば、理解出来るまで調べる。
グラシェーナは物心ついた頃からそうして知識を深めてきたのだ。
であれば、今回も過去に学んできた事と同じく、調べ尽くすだけであった。
◇
準備は入念に行われた。
まずグラシェーナの設けた条件に適う令嬢を見繕い、王女主催の茶会に招く。
その際、事前に用意していた件の恋愛小説を配布。
後日、改めて招いた茶会にて各々の感想を聞き、よく読み込んできたであろう令嬢を選び、更に篩に掛けた。
「そうして選ばれたのが其方だ、アリテア・ウルペース男爵令嬢」
「王女殿下の御眼鏡に適いましたこと、大変嬉しく存じます」
アリテアのハキハキとした返事にグラシェーナは気を良くする。
「其方に頼みたい事があってな。聞いてくれるか」
「王女殿下のお役に立てるのは何よりの喜びです。私に出来ることでございましたら、なんなりとお申し付けください」
あからさまな媚に益々上機嫌になったグラシェーナは、本題を切り出すことにした。
「先日の茶会にて配布した小説を覚えているか?」
「勿論でございます。キャシテル国の恋物語は素敵でした。特に殿方の描写が魅力的で……」
「麗しい貴族令息アリトゥラだな」
「はい。殿方といえば鎧のような肉体ですとか、大きく逞しいものと思っておりましたので、女性のような容姿の描写はとても斬新でした」
「ああそうだな。高身長にすらりと伸びた手足、そして艶やかな長い黒髪と海のように深い青の瞳を持つ若い令息……。ウルペース男爵令嬢、まるで其方が男になったような容姿だと思わないか?」
アリテアは、この時になってようやく厄介事に巻き込まれたと気づいたが、もはや手遅れであった。
逃さないとばかりにグラシェーナは続ける。
「其方にアリトゥラを再現を頼みたい。こちらに用意してある服に着替えてくれ」
グラシェーナが指した方を見れば、煌びやかに装飾された男物の衣服が掛かっていた。
我が国の男性はまず着ないであろう、一見すればドレスにも見える華やかな衣装。
なぜ今まで気づかなかったのか疑問になるくらいの存在感と、これを着る緊張感にアリテアは生唾をのみ込む。
王女殿下からすれば着せ替え遊びが人形から人間に変わっただけなのかもしれない。
しかし、いくら男女共に体を鍛える筋肉至上主義のマルスル王国とはいえ。否、だからこそ派手に飾りつけられた男物の服など着たら、周囲からなんと言われるか。アリテアには予想がつかなかった。
迷った末、アリテアは正直にできないと告白する事にした。要するに泣き落としである。
「王女殿下、どうかお許しくださいませ。何か噂でも立とうものなら、私のような男爵家では縁談が無くなってしまいます」
瞳を潤ませ崩れ落ちんばかりに何度も頭を下げ、いかにも哀れなアリテアの姿を見たグラシェーナは鼻で笑った。
「私をなんと心得るか。マルスル王国の至宝と渾名される王女であるぞ。たかが令嬢一人の縁談など、些事に過ぎぬわ」
「そ、そんな……」
震えるアリテアを見遣りながら、グラシェーナはその紅く瑞々しい唇を吊り上げる。
「一生かけても見合いきれない量の縁談を用意するなど、ペガサスを手懐けるよりも容易い!」
「何卒ご慈悲を……えっ?」
「うむ、私は慈悲深いゆえな。其方の希望を聞いてやろう。許す、好きに申してみよ」
てっきりお遊びのために使い捨てられると思い違いしていたアリテアは、鷹揚に頷くグラシェーナを見て、安心から少しだけ欲が出た。
「そ、それでは僭越ながら……。あまり贅沢は申しませんが、まず容姿は整っている方が好ましいです。背丈は私よりも高く、髪は───」
「よし分かった。兄上などどうだ。第一王妃にはできないが、第三王妃くらいであれば取り立てられるぞ」
長くなりそうな話を止め、早々に家族を売るグラシェーナ。
一方、思わぬ好カードを出されたアリテアは、気が動転して謙遜なのかわからない事を口走り始める。
「私のような男爵家では恐れ多いことです! 私はただ、お姿が少しばかり秀麗で、我が家より僅かに豊かな領土の後継者で、ちょっぴり家格が上の殿方を望んでいるだけでございます!」
「くくく……その強欲さ気に入った。其方の願い、しかと叶えてやる!」
「ありがとう存じます! 此度の任、喜んで協力させていただきます!!」
憂いの晴れたアリテアは、泣き言を忘れさせる程きびきびとした動作で衣服を回収し、隣室へ向かっていくのだった。