九. バンプ・オブ・マキ
帰ると見せかけておいての不意打ちだった。
某ライダー風キックをもろに食らった道行が、「ごふっ!?」っと呻き、名もなき悪役戦闘員のように盛大に吹っ飛ぶ。坂道での大回転につづき、歩道上でもゴロゴロ転がることになってしまった。ドラマの中なら爆発必至の直撃である。
「チッチッチ。アタシを出し抜こうなんて甘い甘い。十億万光年はやいんだよ」と指をふる真紀ちゃんが立っているのは、バス停小屋の目の前。「幼馴染の恋人を見極める義務があるからね」
「意味わかんないし! っていうか、ほんと待って! ダメだったら!」
「ではでは~、ご開帳~♪」
歩道上に這いつくばりながら手を差し伸ばすも、真紀ちゃんは聞く耳持たず、もみ手をしながらのほほん顔で小屋に踏み込んでいく。
道行は不届き者を引っ捕らえるため、全速力で舞い戻った。
が、時すでに遅し。
「キャーッ!!」
屋内から金切り声が上がったかと思うと、銃を突きつけられた人のように、真紀ちゃんが震える足で中から後退してきた。口元を両手で覆い、元々丸い目を真円にして驚愕している。「冗談だったのに……」とつぶやきながら歩道上の道行に戻された視線は、ケダモノでも見る目つきだった。
「中に、裸の女の子ががが……」
と零された声に、道行も内部を確かめる。
度肝を抜かされた。
中学生ほどに見えていた氷女さんが、小学校の中~高学年ほどになってしまわれている。
小屋の内部は浸水状態だ。
壁に寄りかかるコオリさんの足の裏は、もう地面に届いてはおらず、宙ぶらりんになっている。ロングストレートだった髪の毛も、やや短くなっていた。横腹に見えていたクビレはなくなって、子供のような寸胴体型。平たくなった胸の谷間を、水玉が下り、ぺこぺこと苦しそうに膨縮をくりかえすお腹のヘソ穴に溜まっていく。
「『取り込み中』って……小学生と!?」
「ハァ!? なに言ってんの真紀ちゃん! 違うからね、誤解だよ!」
いつも愉快なはずの真紀ちゃんが真顔かつ真声で噛みついてきたので、道行が全身全霊をもって全面否定していると、暗がりのベンチから儚げな声がしぼられる。
「……助けて……はやく……」
コオリさん(小学校高学年体型かつ裸状態)は、純粋に、救助を要請しているだけである。また一段階キーが高くなっている声音で、溶けゆく体をどうにかして、と訴えているのだ。……しかしこの状況下で、てんで事情を知らない真紀ちゃんがいる前で、「助けて」という言葉は激マズワードだった。
「まさかミッチー……小学生をむりやり!? つまり強姦!?」
「違ああああう! 断じて違う!」
「鬼! 悪魔! 人で無し!」
こうなっては隠し通すのは無理だ。
一部始終を曝け出してしまうほかない。
「真紀ちゃん、すこしの間、真剣に聴いて。人で無いのは彼女のほうなんだよ」
と道行はベンチに座るコオリさんを指差す。
「彼女、体が氷で出来てるらしいんだ。さっき坂道で行き倒れていて、暑さで溶けかかっていたところを、僕がここまで連れてきたところだったんだよ。発見したときは高校生くらいの見た目で、セーラー服だって着ていた。それがバス停に着いたころには、体が溶けてきたせいで、中学生くらいになっちゃってて、服も……ご覧のありさまで……今ではどういうわけか小学生くらいになっちゃってるんだ」
「ミッチー……あなた気でも狂ったの?」
「真紀ちゃん……ここは信じるところだよ?」
「嫌っ、こっちに来ないでロリコン!」
「ロ、ロリ……真紀ちゃんもう一度彼女をよ~く見て! 薄暗くてよく見えなかったんだよね? ほら、目や唇は比喩じゃなくて青色だよ。スカイブルー! 肌の色なんて真っ白だよ! 白い息も吐いてる。どう見たって普通じゃない!」
「ノーマルじゃないのはミッチーでしょ、この化け物!」
「だから化け物は僕じゃないんだってば……」
コオリさんの体をしっかり改めてくれれば歴然とするのだけれど、及び腰になっている真紀ちゃんは、再確認しようとしない。道行が手をつかまえようとすると、おびえた子犬のように一歩後退して、「こっちこないでよ変態! 変態変態変態変態変態変態!」と、たいへんな大連呼をやり出してしまう……。
あまりに変態と連呼するものだから、名前だと勘違いしたのだろうか、小屋の奥からコオリさんが、「はやく助けて……ヘンタイ?」と呼びかけてくる。
「僕の名前はヘンタイじゃないですから! 道行です!」
訂正するために一瞬でも目を離したのがいけなかった。
道行が顔を戻すと、真紀ちゃんの姿が目の前から忽然と消えてしまっていた。
「待っててね! 今すぐ助けを呼んでくるから!」
と言う彼女は、縁石わきに止めてあった自転車にまたがり、一文字ハンドルのグリップを握っている。お前が待てよ!、と道行が訴える間もなく、猛然とスタートが切られてしまった。
呆気に取られて立ち尽くすしかすべをなくしているうちに、立ち漕ぎで離れていく真紀ちゃんから大音声。
「お巡りさ~ん、どこですか~!? ここにイカれてしまった変態が居ま~す! ミッチーが――中学まで同級生だった有賀道行くんが、いたいけな小学生をバス停の待合室に連れ込んで[ピー!!]してま~す! ●●高校一年二組の有賀道行くんが、かよわい無抵抗な女子児童を、バス停の暗がりで[ピーピーピー!!]してますよ、お巡りさ~ん!! 繰り返しご連絡いたしま~す! 有賀道行くんが――」
どえらい文面をチリ紙交換のように、ありとあらゆる方角へ振り撒いていく……。