八. バトル・オブ・バス停
「ま、真紀ちゃん!?」
中腰から反射的に立ち上がった道行が、バス停小屋の出入り口に立ちふさがる。外から内が見えないように目隠しとなった。
小屋は四方がトタンにおおわれていて、道路側正面に、開き戸がおさまるくらいの幅の穴がポッカリと空いてるつくりである。ドア代わりに起立してしまえば、光を遮って大半が闇に埋没してしまう。
「やっぱりミッチーだ! こんなところで何してるの? バスでどこか行くの?」
どうやら真紀ちゃんは陸上部の練習からの帰りのようだ。歩道上に停車している自転車のカゴには、エナメルスポーツバッグが入っている。制服のスカートから小麦色に日焼けした片足が伸びて、縁石にローファーをのせた格好。
道行とは幼小中と同じ学校の腐れ縁なのだが、彼女が女子校に入学したことにより、高校からは別々。そのため、入学前の春休み以来の顔合わせだった。
「え? あぁ……え~っと……」
不味いことになった、と道行は言葉をつまらせる。人に会いたいときに会えず、遭いたくないときにバッタリと遭ってしまう田舎の負の特性発揮である。それも、一番会いたくないような人物に出遭うという不運。
返答に窮していると、新たな質問が快活に発せられた。
「あれれ? ずいぶん汗だくだね。どったの?」
「あ、ああ、これ?」と道行はお腹のところのワイシャツをひっぱる。「これは、ほら……学校から歩いて来たんだよ。部活に行く途中にパンクして……修理するため帰りに自転車屋さんに寄ったんだけど、すぐには無理だってことで、置いて歩いて来たんだ……そしたら家を目前にしてバテちゃって、ちと休んでた」
「ほんとに!? そりゃ大変だったねミッチー。ここは岩手の遠野だってのにさ、今日は埼玉の熊谷なみに激ヤバだもんね。もう体が溶けちゃいそうだよ。きっと遠野人の人工の何割かは人知れず溶けてるよ」
「まさにだよ……、一人くらい溶けててもおかしくないよね。ハハッ」
片手で額に庇をもうけて、もう一方で赤いリボンの付いた白いブラウスの胸元を扇ぎ、空を見上げている小麦色の真紀ちゃんは、むしろ清々しそうにも見える。生暖かい微風で揺らされるポニーテールは涼風にもてあそばれているようだ。
対峙している道行は小屋内をチラ見し、みなぎってくる脂汗でヒヤヒヤである。
「会うの久しぶりだね。前に会ったときは桜が咲いててさ、今ではセミが鳴いてるもんねぇ。――元気してる? 何も変わったことはない?」
「まずまず元気にやってるよ。変わったことは……無かったね」
ついさっきまでは……。
今は現在進行系で大事変の真っ只中である。
真紀ちゃんは自転車を傾けると、身をバス停側に乗り出し、興味津津の大眼で道行を見据えた。
「ぼちぼち彼女が出来たりする時期じゃないのかね? ン~?」
「いやぁ、出来ないねぇ」
「じゃあ、まだ童貞かよぉ~」
「あのさ真紀ちゃん……女の子がそういうことを口にするのは、」
「かく言うアタシも処女だけどね、アハハハッ」
「……ハハハッ……はぁ……」
幼い頃からの歯にボロ衣も着せぬ天真瀾漫さは、従来どおり健在のようだ。
真紀ちゃんから畳みかけられる言葉攻めに四苦八苦するあいだも、コオリさんは着実に小さくなっていっているはずである。申し訳ないが、即刻、立ち去っていただきたい。
さてどう切り抜けようか、と思案する間も無しに、
「でさあ、後ろに隠してるの何? 声かけた時にチラッと見えたよ」
いきなり懐を突かれ、道行がキョドる。
「……だ、誰もいないよ!」
「誰も? ってことは、誰か人が居るんだね。――ひょっとして彼女!?」
しまった!
「誰も居ないないし、何も無いから!」
と、否定しつつ、覗き見ようとする真紀ちゃんに対し腕をバタつかせて必死にディフェンスする。その時点で、肯定してしまっているのと変わらないのだが、防御せずにはいられない……。
「かたくなに拒むっていうところが怪しすぎるよね。このバス停小屋は薄暗いからなぁ……さては恋人を連れ込んで、真っ昼間からにゃんにゃかニャンニャンしてたんじゃないのかニャ~?」
「そんなことするわけないだろう!?」
「それじゃあさ、中からチョロチョロ聞こえ続けてくる水音はなーに?」
コオリさんが溶ける音だ……。
やばい、早くこいつをなんとかしないと!
「ベンチに置いてたペットボトルが倒れただけだから!」
「……ゲフッ……ケホケホケホッ」
第三者の咳き込む音に、真紀ちゃんが不敵に笑い、道行は固唾を飲む。
「今、中から聞こえてきた『……ゲフッ……ケホケホケホッ』っていうのは?」
「スマホのぉ着信音……だよ」
「そんな面白い着信音を出すスマホ、この目で見なくちゃなんねぇーぞっ!」
真紀ちゃんが喜び勇んでサドルからお尻を持ち上げたので、万事休した道行は切羽詰り、泣く泣く最後の手段――なんちゃってブチ切れを発動する。
「あああああもうッ! いい加減だまれよ! 今取り込み中なんだよ! そのくらい察しろよ! すこぶる邪魔なの! さっさと帰れ! あっちいけ!」
徹底的に罵詈雑言を叩き込んだ。胸の内では「ごめんなさい」を連呼し、お経のように唱えていた。心痛極まるが、経験上こうまでしなければ彼女は撤退してくれそうもないのだ。
自転車から降りた真紀ちゃんは、喉に物を詰まらせたかのようギョッとして棒立ちする。道行はそれを夜叉の形相で睨めつけるが、内心、泣きっつらである。本当に済まなくて心苦しいのだけれど、退散していただかなければならない。
「……お、おう……わかったよ。帰りますよ。……べ、べつに全然気になったりしないしね……老兵は死なず、ただ消え去るのみ……」
平静を装おうとはしているものの、真紀ちゃんの言葉はつっかえ、著しく動揺しているのは一目瞭然だった。
意味不明なセリフを残し自転車を引き連れてトボトボ歩き出す猫背の背後に、道行は、目をギュッとつむり、両手を合わせ、ごめん、今はこうする他に方法がないんだ、と一所懸命謝罪の念波を送る。
はがねのような神経を所有する真紀ちゃんでも、さすがに傷ついてしまっただろう。後日、彼女の大好物である葬式饅頭を携えて陳謝しに行こう。
タタタタタッ
不意に足音が近づいてきた。
道行が目を開けようとした刹那、
「セリャーーーーーーーーッ!」
気合を入れる掛け声と同時に、強い衝撃が脇腹に走る。
めりこんでいるのはローファーの靴底だった。
満面の笑みを浮かべ、壊れた傘のようにスカートをめくり上がらせ、ショーパンをむき出しにしながら、某ライダーヒーローじみた殺人的飛び蹴りをかましてきたのは、もちろん真紀ちゃん、その人ある……。