六. 刻々消失メトロセーラー
平坦になった道を急ぎ足でたどり、T字路の直前に架かっている小さな橋を渡って、ついにバス停が面している県道に出た。
だが、都合よく車が通りかかってくれることはなさそうで、人影も見えない。
ひとまず、コオリさんをバス停のベンチで休ませることにする。……というよりも、その実、休憩したいのは道行のほうだった。重みによる肉体疲労ではなく、あまりの冷たさに辛抱しきれなくなっていたのである。
☓ ☓ ☓
トタン張りのオンボロ待合所に入ると、小汚いコンクリートの床に腰掛けが一つだけ据え置かれていた。背もたれに『森永アイスクリーム』という印字のあるレトロなベンチだ。
「降ろしますよ……」
返事がなかったけれどベンチの前に立って、後ろむきで注意深くしゃがみ、彼女のお尻を座板にのせる。
きちっと座らせると、道行は弾かれたように立ちあがった。同時に右腕と左腕を肩と腰から背中にまわし、血行をうながそうと盛んにこする。それほどに冷えきっていたのだ。
ひとしきり摩ってから腕に目をむけると、霜焼けのように赤く腫れている箇所が見受けられた。コオリさんの太ももを抱えていた部位である。指でふれれば、大福型アイスをさわっているのと似た触感がした。
セミがミンミンジージー喚き散らす中、かじかんだ腕にハァハァと吐息を吹きかける。端から見ている人物がいたら「あっ、バカがいる」と思うことに相違ない、おかしな珍百景。
いくらなんでも度がすぎている。
妙だ。
コオリさんの体の冷たさは、ただごとではない。
真相を究明すべく、彼女が座るベンチのほうに回れ右をする。
「え? ……ドユコト?」
目を疑う信じられない光景が、眼前に出現していた。
古めかしいベンチに、枯れた花よろしく、ぐたっと頭を垂れ、背もたれに寄りかかっているコオリさん。その背筋は丸まっていて、体のわきに脱力した両腕があり、はだしの足が無造作に投げ出されていた。そして、あるまじきことに、――
制服の前正面が、跡形も無くなっている。
首下の胸当て部分から、膝上のスカートの裾までが、さながら、魔法の消しゴムをかけたかのごとく、きれいさっぱり拭い去られたようになって見えているのだ。
道行は、一瞬、我が腐れ目についに透視能力が備わったか!、と思ったのだけれど、そうではない。
目に映るとおりなのだ。
服の前正面だけが、なぜか完全に消失しているのである。
したがって、セーラー服の上着は、ジャケットのように左右にはだけられたようになってしまっており、セーラーカラーは首の正面部分だけが無い状態で肩にのっている。下半身のスカートにいたっては、太ももの前表面が露出しているので、股の間から、お尻側の生地の裏面が見えている状態。だから通常では決して人目に晒されないような部分の地肌とか、青色をした下着とかが、ぜんぶ丸見えになっているのである。
見てはマズいと顔を覆っている場合ではない。
「どどど、どうしたんですか、その格好!?」
指をさして大絶叫するが、コオリさんは項垂れたまま辛そうに肩を上下させるだけだ。その体は雨に打たれたかのようにびしょびしょで、テカっている。首筋やふくらはぎを透明な雫が何個ものたくっていた。着席している座板は、三枚の細い板が並べらて組まれたもので、その板と板の間からは、つた、つた、つた、と、水の点滴が一筋、床にしたたってもいる。
おもむろに、沈痛な顔が上げられた。
「……形状が……保てなくなっている」
痙攣する瞼を片方だけどうにかこうにか開いて発話すると、背筋を伸ばして真上を向き、後頭部をトタンの壁にあずけ、ゼェゼェと喘ぐ。投げ出されていた脚が少し開かれ、外太ももに張りついていたスカートの切れ端がめくれ落ち、座板の上に広がった。腰から下は、局部以外、全部剥き出しの裸同然。
「ケイジョウ……形状が、保てない、ってなんですかそれ? ……いや、というより、というよりもですよ――」道行は頭を抱えて髪の毛をくしゃくしゃにしながら強かに問う。「コオリさんは、コオリさんですよね? さっき僕が背負っていたコオリさんですよね? 路上で倒れていたコオリさんなんですよね!?」
ひどく取り乱すのには相応の訳がある。
さきほどまで高校生に見えていたコオリさんの顔立ちが、今では中学生ほどの少女に見えてしまっているのだ。
錯視などではなく確実に、若干幼くなっている。シャープだった彼女の頬には、ほんのりふっくらと肉がついていて、顔のパーツはやや中央に固まった風貌に変化していた。そればかりか、坂道でひっくり返っていたときよりも、全身の骨格が、あきらかに一回り小さくなっているのだ。
「なんかさっきと違くないですか? 背が縮んでません? 二三年くらい、若返ってませんか? 声のキーも高くなってますよね? 全体的に幼くなっちゃってますよね!?」
「……これを……太陽の光に……当ててみて」
と、セーラーカラーの大きな襟に隠れていたスカーフをつまんで引きずり出し、道行に手渡してくる。
群青色のしっぽが掌にのると、氷のごとき無慈悲な冷たさにびっくり。
道行は不明瞭な意図に困りつつも、身悶えしている彼女から話をきくのは困難と判断。ともかく、日陰になっているバス停小屋から歩道に出て、スカーフを太陽への供物とばかりに掲げてみた。
「うそだぁ……」
陽の光りに照らされると間もなく、艶のあるしなやかな布地が日射しを屈折させはじめ、クリスタルのような光沢をキラキラと放ち出す。輝きが増すにつれて、受け皿となっている道行の両手には冷冷たる水が溜まった。
深い青をしていた色は、徐々に薄まっていき、スケールもぐんぐん縮小する。やがて手のひらの指紋が透けて見えるまでになり、最後には完全に透過。手皿には無色透明な液体だけが残った。
スカーフは見る影もなく、完璧に溶けたのだ。
なんじゃそりゃぁ!?