十六. 吸着合体
張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れると、安堵感、達成感、滑稽感、……、種々様々な出処から生じる笑いが堰を切り、道行の口から飛び出てきた。
霜氷の化粧をした顔のまま、その様子を冷凍庫内からきょとんと見つめていたコオリさんの、水色をした唇が開く。
「こういう時、私は何かをすべきなの?」
と、時間差で尋ね返してきた。
「助けて貰ったのだから、なによりもまずお礼を言うのが――」
道行の話に耳を傾けようとしたためか、不意に、体操座りをしている氷女さんが前かがみになり、折り曲げている足の太ももへ上体をべったり押しつけた。胸から張り出ているふくよかな二つの球体が、もにゅっ、と潰され、線の細い体躯から、シュークリームの生地からはみ出たクリームみたいに柔らかそうなものが溢れる。
コオリさんは、裸体なのだ。しかし彼女がそのことを気にかけるようすは微塵もない。道行に見られているのにもかかわらずわらず、である……。
ヒトとは違って素肌を晒すことに頓着しないたちなのだろうか。となれば、ここまで修羅場をかいくぐって来たのだから、ちょびっとばかし、見返りを賜っても良いのではないでしょうか?――と、道行は良くないことを思いつく。
「このようなシチュエーションにいたってはですね、コオリさんは、『わ~! 私生きてるッ! あなたが助けてくれたのね、ありがとう! だ~い好きッ❤』っというようなセリフを感動的に口にして僕へと飛び込み、ギュッと力強く抱きしめるところなんです!」
「ふーん。そうなんだ」と、コオリさんは疑問など寸分もいだかず、無垢な瞳でコクっとうなずき、「わー、私生きてる(棒)。あなたが助けてくれたのね、ありがとう(棒)。だーい好き(棒)」と、すべて棒読みで復唱。
感情的には程遠く、心からの成分など1ミリも含まれていない言い回しだったけれど、道行が口にしたとおり、彼女は要望に応えてくれたのである。
もちろん言葉だけではない。
冷凍庫の中から腕を広げ、目先の廊下で膝立ちしていた道行に向かってダイブ。
がっしり抱きついた。
突き出た胸の先端から、道行の胴体にふれていく。
至福の刻、来たれり!、と道行が思ったのは、0.5秒だけだった。
抱きついたのは氷の女である。いや、女の氷? かたや、それを抱きとめる道行は、パンツ一丁に靴を履いただけの、だいたい素っ裸の状態である。
するとどうだろう。
すこぶる冷たい。
冷たいなんてもんじゃない。
冷たいを通り越している!
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああっ!!」
絶叫する道行の耳元で、コオリさんが「どうかしたの?」と冷淡に問いかけてくる。
「つ、つめっ、冷たいっ! はなはなはな、離れてください!」
「わかった」と一度了解されるが、すぐに「やっぱり無理」と却下された。
「なんで!? どうして!?」
「くっついた」
「はっ!?」
コオリさんの横顔を見ようとして、道行が顔を振ると、頬の肉が、とてもソフトで、なおかつ、凍てついたものに接触。ヒタリと吸着した。噛まれるような痛みに面食らって無理に引き剥がそうとすれば、彼女の頬肉が、白いお餅のように伸びてきてしまう。
氷に素手でふれた際、手にくっついてしまうことがあるが、その吸着現象が、ふたりの間で、起こってしまっているのだ。
「はなえはれはい、たすけへ(離れられない、助けて)」
と、頬がひっぱられたままコオリさんが淡々と言い、
「は~、ほう……はれははすへへ!(あ~、もう……誰か助けて!)」
道行は天井を仰ぎ、嘆いた。