十五. みゅーず NEW BORN
道行は、冷凍庫のドアを開け放つと、所狭しと保存されていた肉やら魚やら冷凍加工食品やらを、片っ端から放り出していった。内部を区切っているクリアトレーまでをも全て引き抜く。天井から床底まで、筒抜けのがらんどうにした。
冷凍庫の内壁は、肉厚の霜氷によって、雪国の道路脇にうず高く集積された雪壁のようになっている。いつもは物を取り出すときにガリガリと削れて、手をひっかかれたり床を汚されたりして迷惑なコイツが、ついに役立つ時が来たのだ。
これだけ霜氷があれば十分足りるだろう。
安心感で気抜けをした途端、廊下の向こうから「オギャー」と泣き声が上がる。
浴室の脱衣所からタオルをひっつかんで、台所に戻ってみれば、製氷室に格納していたコオリさんの血色が復活していた。しかめっ面に取り付いている唇は、スカイブルーに染まっているし、つるつるしていた頭には黒ゴマをまぶしたような毛が生えている。
そのやわらかくて冷たい〝新生児〟を、道行は揺るぎない手で優しく包み込んだ。
☓ ☓ ☓
「頼みますよ。元通りに戻ってくださいねぇ」
泣きじゃくるコオリさん(新生児状態)を、霜氷の壁にもたれかけて座らせる。
冷凍庫の扉を閉めきり、封印した。
一応の追加処置として、冷凍庫の急冷スイッチを押し、万策を尽くしてから、道行は廊下にへたり込む。
冷えたタオルで顔をおさえて、祈るように待っていると、ほどなくして、泣き声は途絶した。
冷凍庫が精を出す駆動音に混じって、硬質なものが擦れ合うような、シャリシャリという音が零れてくる。しばらくのうち、絶え間なく聞こえていたが、その音も鳴き声と同様に、はたと止んだ。
「……あの……もしもし……コオリさん?」
ドアパネルをノックをして耳を当ててみるが、機械音しか伝わってこない。
「開けますよ……」
様子見のため、道行は扉に手をかけた。
密閉されていた冷凍庫に隙間が生じると、暑苦しさを打ち消すような凛とした空気が噴出する。次いで、ドライアイスを水に浸したときに発生するスモークじみた煙の帯が、内側から大量に這い出てきて、周辺の床に散乱している冷凍食品を飲み込んでいく。
わずかな割れ目からでは、雲が詰め込まれているような内部を見ることができなかったため、扉をゆっくり開いていった。すると、気流によって渦を巻いた白煙の合間から、確固とした個体の白と黒が垣間見えたので、扉を一思いに開放。
濃霧が外界へと雪崩れ込み、床をなでつけ、無数の白蛇がモゴモゴのたうつがごとく蠢動する。
冷蔵庫の内壁は、へばりついていた霜氷が影も形もなくなった状態。引き抜いた仕切り板と同質の、クリアな壁になっていた。――そして、道行と同じ高校生ほどに成長した(戻った)コオリさんが、その中に膝を抱えて座っているのだ。
ミルクで構成されているような総身には、あますところなく霜が降りている。微細な氷針の群れによってコーティングされた白肌が煌めき、とても神秘的だった。髪の毛は透明度0%の墨汁色に染まりきっている。肩や胸脇にしだれかかり、床底まで蛇行して軽くとぐろを巻いてた。
「コオリさん、もう平気ですよね!? これで元通りになったんですよねぇ!?」
「…………んっ……んんん……」
小さな誕生の呻きが鼻からもらされ、彼女はコールドスリープから目を覚ました。
二重まぶたがしずしず上昇し、一度のぼりきってからパチリパチリと二回まばたいて、はっきりとした意志で開眼。それから両手を開いたり閉じたりして、再構築された身体の具合を無表情でチェック。最後に、みずみずしいマリンブルーの宝石瞳が、きょろっと動き、廊下にしゃがんでいる道行を捉えた。
「アイスクリームってどこにあるの?」
と、流星のような眉毛をピクリとも動かさず、無表情かつ無感動に、しれっと言い放つ。
今の今までの珍妙奇天烈なドタバタ劇など、まるで無かったかのような平然たる口ぶりである。さんざん「助けて」だの「死ぬ」だのと喚き散らしておいて、いざ、溶けた氷体が正常化したら、「あ、元に戻っている。良かったな」ていどの認識で、はい終了。
何食わぬ顔で、命の恩人に対し、礼を述べずに欲を述べてきたのだ。
「コオリさん……この場面で、そのリアクションって、なんか違いません? そうじゃないですよね。本来はもっと感動したりなんかするシーンじゃないですか。ワッと盛り上がるところですよ。それが、いきなり冷めちゃいましたよ。やけに冷え冷えとしましたよね?」
「?」
言っていることが理解出来ません、とばかりに、コオリさんは体育座りのまま小首をかしげた。
「……ま、いっか」
どうあれ、彼女は消滅することなく、今ここにいるのだから。