成瀬バトンタッチ
〈ヨシオ〉
ゴホゴホ。
早朝の我が家に、咳き込む声がこだまする。ほかのだれでもない、俺の咳き込む声が。
あー、しんど。
俺は、かねてより季節の変わり目には弱かったにも関わらず、昨夜、薄着で外出してしまうという大罪を犯してしまったがために、風邪をひいていた。
そのため、今日は学校は休むことにし、大人しく自室のベッドに伏していた。
思考も視界もぼーっとして、どうにも寝付けず、ただ天井とにらめっこをするだけのーーそんな朝。
コンコン。
俺の部屋のドアが、静かに叩かれた。
「おにい、大丈夫?」
妹のショウコだった。それは、昨日とは打って変わって語気が柔らかく、疑問符がついているのがわかる問い方だった。
しかし、俺は喉がガサついているため、うまく声が出せず「お゛ー」と、渇いた返事しかできなかった。
すると、ショウコは少し黙ったあと「入るよ」と、言ってドアを開けた。
はじめは、入り口のあたりでそわそわと立ち位置を決められずにいたが、少しすると俺の枕元へと近寄ってきて、ちょこんと膝をついた。
「あたしのせいで、ごめん」
ショウコは、俯きながらそう言った。
ショウコがしおらしくなっている理由は、どうやらそれらしい。俺が風邪をひいた原因が、自分にあると思い込んでいるようだ。
もちろん、俺自身はショウコのせいだなんて思っていない。むしろ、もとを辿れば俺が悪いのだから。
そう声をかけてやりたいが、やはりどうにもうまく声が出せない。どうしたものかと考えた俺は、代わりにショウコの頭に手を伸ばし、ポンポンと軽く撫でて笑ってみせた。
すると、ショウコは泣き出しそうな顔になったが、ぐっとそれを堪えるように唇をぎゅっとしたあと、俺に笑い返してくれた。
そして、「これ、ありがとう。おにいも食べて」と言って、プリンをベッドの端に置いてくれた。
昨日の晩、俺が買ってきたプリンを、俺のために取っておいてくれたようだ。
ショウコは、すっと立ち上がって、憑き物が落ちたような爽やかな顔で、「じゃあ、行ってくるね」と言った。
ガチャ。
そして俺の部屋は、再び俺の貸し切りとなった。
ショウコ……おまえという子は、なんて優しい妹なんだ。俺は幸せ者だよ。
俺は風邪をひいたことに、むしろ感謝してしまいたくなった。
そう、俺は自分が風邪をひいてしまったことを、実は喜んでいる。
それは、もちろん妹の優しさに触れられたことも理由の一つではあるが、もっと重要なことがほかにある。
そう、俺は単純に学校に行きたくなかったのだ。
昨日の放課後、白石さんとは気まずい別れ方をしてしまったし、何より女の子と出会うのが恐い。
そのため、怪我の功名とでもいうべきか、俺は合法的に学校を休めることにホッとしていた。
ところが俺は、ただただ寝ているわけにもいかない。やらなければならないことがあるのだ。
俺は昨日、自分が女の子を恐れていることに気づいた一方で、別のあることが気にかかっていた。俺はその調査をしなければならない。
しかし俺自身が今このような状態なので、俺は「ヤツ」にそれを依頼することにした。「ヤツ」はこの手の調査は得意なはずだから。
俺はだるい身体をなんとか起こして、スマホを手に取った。
〈ナル〉
俺の名前は成瀬ナルーーって言って、みんな覚えてる?
ほら、あのやたらにモテまくってて自分が物語の主人公だと思い込んでるいけすかないあん畜生や、ミステリアスな妖艶さを秘めているラブリーなボクっ娘の東雲シノブちゃんは覚えてる?
そいつらと同じ学園お助け部の一員にして、部のブレインにして、部のムードメーカーにして部の(ry
ほうら思い出してもらえたかな?このように、魅力を数えだすと枚挙に暇がない男。それがこの俺、成瀬ナル。以後お見知り置きを。
さて、そんな俺は今日も元気に学校に登校だ。今日こそは、美少女との出会いが俺を待っているのではないか。そんな淡い期待を抱いて校門をくぐった。そのときーー。
ブブ。
スマホの通知がなった。まさか、女の子からの連絡!?くじけずに多くの女子にアタックをしてきた俺の努力が、ようやく報われたのか!?
俺の胸が、フロアを沸かせる情熱的なダンスを踊り狂っているのがわかる。
しかし、俺を待っていたのは、美少女とのドタバタラブコメではなく、悪友からのメールだった。
超ド級の落胆をし、ぬか喜びをさせられた吉岡に怒りの感情を抱いたが、身勝手に夢想をした俺が悪いという結論に至り、俺はしぶしぶ吉岡から届いたメールを開いた。
どうやら、例の自称主人公(笑)の吉岡は風邪をひいてしまったようで、今日は学校を休むらしい。
教室に向かいながら、吉岡が休むなんて珍しいな、なんて考えていると、そのメールには休む報告の続きがあることに気づいた。
小さな画面に映し出された文章を読み進めていくと、こう続けられていた。
『頼みがある』
改まって書かれたその言葉の下には、目を疑う一文が綴られていた。
『藤巻タマキのスキャンダルを探ってくれ』
……えぇ。
吉岡が、なんのつもりでこんなことを頼んできたのかはわからんけど、気が乗らないのは確かだ。
あんなイケメンの恋愛事情なんて調査して、なにが面白いというのか。
しかし、そんな俺をよそに、無情にも時間は過ぎていく。俺の尻を叩くように、試合開始のゴングのように、朝のチャイムが学校に鳴り響いた。