小盛りのキャベツと妹と女心と
〈ヨシオ〉
俺の名は吉岡ヨシオ。
些細なことでも恋愛フラグが乱立し、特に何もしなくても女の子にモテまくるーーそんなどこにでもいるような、主人公だ。
しかし、俺は意外にも恋愛に頭を悩まされている。
今まで俺はその理由を、学校一のイケメン藤巻タマキに邪魔されているからだと思っていたーー否、そういうことにしていたんだ。
俺は女の子にモテまくり、また藤巻に邪魔されることが当たり前になっていたため、恋愛に対しては、常に受け身であった。そのため、ロクに自分から積極的に恋愛に向き合ってこなかった。そして、結果的に、俺は恋愛を恐れるようになっていた。
中途半端な気持ちで、女の子の好意に応えることが、恐くなっていたんだ。
「どこにこんな情けない主人公がいるんだよ……」
今なら特別大サービス!自分こそが世界の中心で物語の主人公だと思い込んでいる、ド痛い男を嘲笑するチャンスですよ!
俺は、聞こえもしない笑い声を全身に浴びせられたような気がしたが、しかし、追い討ちをかけるように自分に鞭を打った。
なぜかーー俺はとうとう長い夜道を歩き続け、自宅へとたどり着いたからだ。
俺はとんでもなく情けない男だが、そんな情けない姿を家族にさらけ出すほど、プライドを捨てたわけではない。
俺は自分の両頬を軽くはたいて、己の背中を押した。そして、玄関のドアに手をかけた。
「おかえり、お兄ちゃん。どうしたの?遅かったね。ショウコ心配してたんだからね」なんて言って、かわいい妹が迎え入れてくれることを夢想していると、それだけで元気が湧いてきた。
「自分が恋愛を恐れている」などという受け入れ難い現実と直面した俺は、少し変なテンションになっていた。だから、俺は今朝起きた、家を出る直前の出来事をすっかり忘れていた。
ガチャ。
玄関の戸を開けると、本当に妹はそこに立っていた。
先刻の妄想通りに、優しく迎え入れてくれるのかと思ったが、現実は違った。
ショウコは気怠そうに腕を組み、それはもう鬼のような鋭い眼光を俺に向けて、言った。
「今朝、なんで無視して出てったの」
疑問符のないその質問は、もはや答えを必要としない言い方に聞こえた。
俺は静かに土下座をした。
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さっきまでの意気込みとは裏腹に、俺は妹に情けない姿をさらけ出してしまった。
妹のショウコが俺にブチ切れている理由は、ショウコが作ってくれた弁当を、俺が今朝持っていくのを忘れそうになった挙げ句、はぐらかして家を出て行ってしまったからである。
毎朝早く起きて作ってくれているにも関わらず、それを忘れそうになった愚かな兄に、怒りの感情を覚えるのは当然のことで、もちろん俺が100パー悪い。
我が家は母子家庭で、母親が夜に家を空ける仕事をしているため、夕飯と朝食の準備は、妹のショウコが担当してくれているのだ。
よって、この後控えている夕食も、俺はショウコと二人きりで食べることになる。
「気まずい……」
俺はそんなことを考えながら、脱衣所に向かった。
賢明なる諸君であれば、ここで服を脱いでいる妹とバッタリ!なんていう展開を予想したかもしれないが、残念。そんなラッキースケベの「ラ」の字もなく、俺は普通に入浴を終えた。
さて、俺の入浴シーンなど1ミリも需要がないため、全カットしたところで、俺は濡れた頭をタオルでガシガシやりながら、リビングに顔を出した。
風呂場にいたときから、ショウコが夕食の準備をする良い香りが漂っていたため、どんどん腹が減り、夕食への期待が高まっていたところだ。
俺と同じように学校に通いながらも、家事をこなしてくれるショウコには頭が上がらない。
台所に立つショウコの背中に「ごめんな。いつもありがとう」と、声をかけた。
しかし返事がない。やはりまだ怒っているのだろうか。
あまり媚びすぎてもかえって逆効果かと思い、「ところで、今日の晩飯って何?」と、話題を変えた。
すると、ショウコは後ろを向いたまま、俺に顔を向けずに黙って、一枚の小皿を差し出した。
その皿には、刻んだキャベツが盛られていた。
俺の頬をイヤな汗が伝う。そのとき、脳裏に浮かんだある予感を俺は口に出した。もしかしてーー。
「もしかして、これ?」
俺は、ちんまりとキャベツが無造作に盛られた小皿を指差して、言った。
「……りない」
かすかな声量だが、ショウコがついに口を開いた。しかし聞き取れなかったので、俺は「え?」と聞き返した。
「ごめんとかありがとうとか、言葉だけじゃ足りない!」
ショウコは怒声を上げて、頬を膨らませた。
どうやら、媚びすぎても足りないくらいだったようだ。
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俺は再び夜道を歩いていた。いや、正確には走っていた。
ショウコの機嫌を取り戻すためにーーコンビニに甘いものを調達するために、俺は家を出た。
濡れた髪を乾かす暇もなく、薄手の寝巻きで出てきてしまった。夏もいよいよ終わろうとしていることもあり、少し肌寒い。というか、普通に寒い。
そんな自分の体を暖めるためにも、また単純に急いで買って帰るためにも、俺は走っていた。
ショウコは無類のプリン好きであるため、コンビニに着くや否や、俺は店内のあらゆる種類のプリンを軒並み購入して帰った。
しかし、大量のプリンを手渡しても、ショウコの顔は晴れなかった。
「そういうことじゃないんだけど……」
ぐさっ。ショウコのその言葉が、今はいつも以上に、俺の心に突き刺さる。
ショウコは妹で家族だが、その前に一人の女の子だ。つまり、今の状況をまとめると、俺は一人の女の子の機嫌も取れなかったということになる。
言葉で足りないのならば、物で誠意を示せばよいのではなかったのか……!?
俺は、今まで適当なこと言っても、女の子にモテてたので、実はこういう実践的なノウハウは、何も身につけていないのである。女の子との接し方に関して、俺がいつも参考にしていたのは、ハーレムアニメが主だ。今みたいなガチの対応は、そこでは学べない。ましてや、主人公補正が効かない妹に対しては、なおのことだ。
自分が、恋愛や女の子と真面目に向き合ってこなかった弊害が、ここでも現れるとは……。俺はまたしても、息苦しくなるような感覚に襲われた。
そのとき、暗くなる俺の視界に光を差したのは、文字通り真っ白なものだった。
「白ごはん……?」
見ると、ショウコが、白米が盛られた茶碗を俺に差し出していた。
どうやら、俺の今晩の夕食は、「キャベツのみ」から、「キャベツと白米」にグレードアップされたようだ。
刻んだキャベツで白米をかっくらうのは困難な話だが、それでも、俺は喜んでがっついた。
完全にショウコの機嫌を取り戻すことはできなかったようだが、少しは許せてもらえたようだ。
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翌朝、俺はベッドから起き上がれずにいた。
体がめちゃくちゃ熱いのに、めちゃくちゃ寒く感じる。
寒くなりつつある晩夏の夜に、髪が濡れた状態で、しかも薄着で外に出たのがまずかったのだろう。
俺は風邪を引いてしまった。