それぞれの答え
〈ヨシオ〉
すっかり暗くなってしまったーー学校から家に帰る道を、俺は走っていた。
それは、まるで何かから逃げるような、何かに怯えるような走り方だった。
きっとあのときーーそう、白石さんに手を引かれたとき、はじめて俺は折れないフラグが立てられるような気がした。つまり、白石さんに告白さえしてしまえば、成功して付き合えるような気がした。
だが、俺はそれをできなかったーー否、俺はそれをしなかった。
……いや、違うなーー。
してはいけないような気がした。
何も考えずに、白石さんに手を引かれるままにその先の未来へと歩き出せば、ずっと俺が望んできた青春の扉を叩けたことだろう。
だが、俺はそれを拒んだ。夢見てきたはずのものに、なぜか俺は恐怖してしまった。
今思えば、ツンデレ後輩の如月さんのときも「そう」だった。如月さんについては、俺とのフラグが立つことすらなく藤巻にかっさらわれてしまったが、俺はなぜかそのことに安堵していた。
そう、いつのまにか俺は、女の子との間に恋愛フラグが立つことを恐れるようになっていたようだ。
……たぶん、いやきっと俺は、その恐怖の正体に気づいている。
だが、俺はそいつと直面したくなくて、考えたくなくて、必死に今走っている。まるで、「それ」から逃げるように。
そう、逃げるようにーー俺は白石さんからも逃げるように、その場を立ち去ってしまった。そのとき、俺は彼女と目を合わせることができなかった。向き合うことが恐かった。
俺は夜道を一心不乱に走った。何も考えられなくなるくらい、息苦しくなって頭がぼーっとしてくるくらい、ただ走り続けた。
俺は、見えないフリをしている「それ」の正体に気づいている。どれだけ走って自分の考えを誤魔化しても、「それ」は俺の頭を支配する。
……きっと、藤巻の邪魔がいつも入っていたからだろう。
藤巻にフラグを折られることが当たり前になっていたから、俺は女の子とフラグが立ちそうになっても、その後の藤巻の登場を前提に考えていた。
だから、俺は「それ」と向き合ってこなかったんだ。ずっと。
ーー俺は、主人公補正だとかフラグだとかいう言葉を使って、ずっと遊び半分な気持ちだったんだ。
そう、俺は真剣に「恋」と向き合っていなかった。
俺はそのことに気づいて、中途半端な気持ちで白石さんと向き合うのが恐くなった。
俺は逃げ出したんだ。自分が夢見ていた「恋」から。
とうとう俺は、走るのをやめた。
下らない自分との鬼ごっこに、俺は負けたんだ。
馬鹿みたいに息を切らしている自分の姿を俯瞰して、思った。
「何が主人公だよ。みっともねえ」
〈タマキ〉
「女の子を悲しませちゃいけないよ」
東雲さんのその言葉に、僕は何も言えなかった。
黙殺する僕に対して、東雲さんを見ると、先ほどまでの真剣な眼差しはまばたきとともに消え去り、いつもの軽快な彼女に戻っていた。
「無回答、ね。意外と男らしくないんだね。別に意外じゃないけど」
東雲さんは、そう毒を吐いて爽やかな笑顔を見せた。セリフと表情がまるで一致していなくて、違和感すら覚える。
答えを出せなかった僕は、彼女に頭を下げた。
「……すまない」
「謝る相手は僕じゃないだろう」と、東雲さんは鋭くそう言った。
「その通りだね。すまない」
僕はまた頭を下げた。
「また謝っちゃった。イケメンのこんな姿、見るに堪えないねえ」と、東雲さんは両手で目を覆っていたけど、よく見ると指の隙間から、僕のことを見下ろしていた。
東雲さんのそういうところが苦手だ、と僕は思った。
本心は見せずに、いつもふざけたような態度で表面を取り繕うーーきみのその姿勢がね。
理由はわかってる。きっと、同族嫌悪ってやつだ。
きみが、その内に何を秘めているのかはわからないけど、僕もきみと同じように、ずっと表面では嘘をついているからーーそんな自分と重なるから、僕はきみが苦手なんだ。
そんな僕の気持ちも見透かしたような目で僕を見た東雲さんは、しかし次の瞬間にはくるりと僕に背を向けて言った。
「じゃあ、僕帰るよ。藤巻くんへの用も済んだし、これ以上遅くなると危ないしね。ほら、僕って女の子だから」
そして、彼女は暗闇に向かって歩き始めた。一歩一歩、僕から遠ざかっていく途中で「忠告はしたからね」と、静かに言った。
東雲さん、きみは人と顔を合わせずに話したほうが、きっと、きみの本意が伝わると思うよ。
額から生温い汗が流れるのを感じながら、僕はそう思った。
気づけば、コートには僕一人だけだった。