恋の女神がほくそ笑む
〈ヨシオ〉
なーにが「デレただろ?」だ。デレてねーよ、ボケ。
なーにが悲しくて、女の子にイケメン紹介して感謝されなければいかんのだ。
俺は前回及び前々回の自分に心からキレた。しかし、キレられた俺をかわいそうだとは思わない。なぜなら、今の俺が一番かわいそうだからだ。
今回に関してはフラグすら立たなかったな、と呆れたが、なぜかそのことにホッとする自分がいた。
よくわからない自分の気持ちに苛立ちを覚えたが、イラついている理由はほかにもある。
俺としたことが、学校にノートを置き忘れてしまっていたのだ。
普段なら「そんなもの捨て置け!」と、心の中の豪胆な俺が声を張り上げるところだが、明日は小テストがあるらしく、ノートがなくては復習ができないのである。
「ついてないな」と、ため息をつきながら、学校までの長い道のりを、日も暮れかかっているというのにトボトボと歩き続けた。しかし、何も考えずぼーっと足を動かすのが、今の自分にとっては少し心地良かったりもした。
学校に着くころには、いよいよ日も沈んでおり、校舎内はすっかり薄暗くなっていた。
廊下は黒く染まっていたため、俺はスマホの灯りをたよりに、2-2の教室を目指した。
俺の教室は二階にあるので、この階段を登り切ったらいよいよ見えるぞ、と思ったとき、二階から光が差しているのが見えた。
「こんな時間に、だれか残ってるのか?」
よく聞くと、人の声もガヤガヤと聞こえる。それも、結構な大人数だ。
しかし、盛り上がっていたのは俺のクラスではなく、手前にある2-1の教室だった。
そのときは呑気に、「なにやってるんだろう」くらいに思っていたが、ハッと気づいた。
マズい。2-1って、白石さんのクラスじゃねーか。
「昨日フラグ折れたばっかだぞ。会いたくねぇ……」
俺は、基本的にフラグが折れた(藤巻に折られた)女の子とは、顔を合わせないようにしている。
理由は単純だ。クソ恥ずいからである。
ちょっとカッコつけて気を引こうとした挙げ句、フラグが折れた女の子と、どの面下げて会えというのだ。俺は自分が主人公であるという自負はあるが、恥知らずを自覚した覚えはない。
学校一のマドンナのあの子も、陸上部のボーイッシュなあの子も、幼馴染のあの子も、転校生で帰国子女のあの子も、俺は気まずくて、フラグが折れて以来、まともに会話すらできていない。
だから、隣のクラスの学級委員長である白石ミユも、例外ではないのだ。マジで会いたくないのだ。
「ふー……」俺は静かに深呼吸した。
なに。難しいことではない。教室の前を通り過ぎるだけだ。幸い、生徒はみんななんか楽しそうしてるし、俺一人、教室の前を通過するくらい、だれも気にも留めないだろう。
階段を登り切らずに止めていた足を、動かした。
簡単なことだ。階段を登り切ったら、角を右に曲がって、2-1の教室を通過。たったこれだけだ。
ゆっくり息を吐き、駆け出した。
「……Go!」
しかし、角を曲がったところで身体に衝撃が走る。
と同時に、可愛らしい「きゃっ」という小さな声が、耳に飛び込んできた。
どうやら俺は、女の子とぶつかってしまったみたいだ。
今はできれば目立ちたくなかったんだけど、俺の不注意が招いてしまったことだ。女の子には悪いことをしてしまったと、反省。
しかしやれやれ、こんなときに主人公補正の息のかかったイベントなんか、いらないんだけどな、なんて考えながら、「大丈夫?」と、尻餅をついたその子に手を伸ばした。
「悪い。痛くなかった?」と、伸ばした俺の手に「うん。大丈夫。ごめんね」と、女の子が小さな手で返事をした。
「「あ」」
そのとき、俺とその子は同時に、思わず口に出していた。
やれやれ。
「吉岡くん!?」「白石さん!?」
マジで自重しろや、主人公補正。
〈タマキ〉
「すごい!決まったじゃないか!」
明後日の方向にしかボールを投げられなかった如月さんが、ついにゴールを決めることができた。
……ほぼ真下からだけど。
それでも彼女にとっては大きな進歩だ。少しの間だけだけど、一緒にバスケをしていたから、僕にはそれがわかる。
「ふぇぇ、やったぁ」
如月さんは喜びのあまり、しゃがみこんで泣き出してしまった。
それほど喜ぶことでもないんだけどな、と思ったけど、そんな野暮なことは、もちろん口にしない。
僕は彼女に歩み寄り、腰を落として、汗で髪が乱れたその小さな頭に、ポンと手を置いた。
「よくがんばったね。たったこれだけの時間で、こんなに成長できるなんて、驚きだよ」
僕は心からの賛辞を、如月さんに送った。もしかしたら彼女には、バスケの才能があるのかもしれない。僕はそれが開花する瞬間に、立ち会えたのかもしれない。そんな興奮があった。
「い、いえ。全部、先輩のおかげです」
如月さんは、言葉に詰まりながら、そう言った。
彼女は、どうも僕と話すときは、ぎこちない気がする。
「きみの話しやすい話し方で接してくれて、構わないよ。僕もそのほうが嬉しい」
僕はニコッと笑って、そう言った。
すると、如月さんはバッと立ち上がって、左手を腰にあて、右手で僕を指差して、見下ろすようにして言った。
「べ、別に先輩がいなくても、あたし一人でなんとかできたんだからね!勘違いしないでよね!」
突然のことに僕が驚いていると、今の勢いはどこに消えたのか、如月さんは真っ赤に染まった顔を両手で隠して、「こんな感じですか……?」と、恐る恐る聞いてきた。
僕は思わず破顔してしまった。如月さんは馬鹿にされたのだと思ってか、さらに顔を赤くしてしまった。
僕は「ごめんごめん」と訂正したかと思えば、「そのほうがずっと自然で、そのほうがずっときみは可愛らしいよ」と、口に出していた。
それは別に、カッコつけてやろうとか、この子に好きになってもらおうとか、そんな邪な気持ちはなく、気づけば口に出ていた。それくらい、ありのままの彼女は魅力的だった。
ありのまま……か。
気づけば眼前には、いくつものバスケットボールを構えて、顔を真っ赤にした如月さんが立っていた。
「へ?」と、口に出す間もなく、僕はボールの海に沈んだ。
「バカバカバカ!そんなこと言われても、嬉しくないんだから!」とボールを投げ切った如月さんは走り去ってしまった。
「な、ナイスシュート……」
僕は、ボールの山から腕を突き出し、親指を立ててみせた。
「……」
僕はまた、一人の女の子の心を、弄んでしまったのだろうかーー。
初めは……いつだって初めは、こんなこと考えないんだ。
吉岡くんに近づく女の子がいたら、我を忘れて飛び込んでいって、「邪魔してやるぞ」って気持ちでいっぱいになる。
けれど、彼女たちと少しでも触れ合ううちに、そんな気持ちはどこかに行ってしまう。
気づけば、僕は彼女たちと触れ合えることが楽しくて仕方なくなっているんだ。
それぞれの女の子の魅力に気づいて、みんなの良いところを知れることが、嬉しくてたまらない。
そして、気づけば、僕は彼女たちを褒めたりなんかして、そうしたらみんな顔を真っ赤にして、あたふたしてしまう。
そのたびにいつも、「ごめん」って思うんだ。
僕にその気はないのに、きみをその気にさせてしまってごめん、って。
きみたちが魅力的なのは、本当だ。
だけど異性として、ではない。
同じーー吉岡くんに恋をする者として、だ。
きっと、きみたちのことが羨ましいから、とても魅力的に見えるのだろう。
きみたちは本当に羨ましい。だって、きみたちは吉岡くんの目に留まるじゃないか。
如月さんが、ツンデレキャラとして吉岡くんと触れ合えたように、きみたちはありのままの姿で、吉岡くんにぶつかっていける。だから、きみたちはキラキラしていて、魅力的なんだ。
如月さんが僕によそよそしかったみたいに、僕はありのままの姿を、吉岡くんに見せられない。
だから、僕はきみたちが羨ましい。
だから、僕はきみたちが妬ましい。
きみたちはずるいよ。僕にはできない「ありのまま」ができるんだから。
だから、僕はこんな歪んだことしかできない。邪魔をして、足を引っ張ることしかできない。
きっと、こんなこと間違ってるって、僕はわかってる。
だけど、僕にはこれしかできない。「ありのまま」を好きな人に見せることもできない弱虫だからーー。
気づけば、辺りは暗くなっていた。吉岡くんもいつのまにか、このコートを去ってしまったみたいだ。
そろそろ帰らないと。そう思って、ボールの山から抜け出そうとしたとき、「あはは」と快活な笑い声がコートに響いた。
「ここにいるだろうとは思ったんだけど、まさかボールに埋まっているとは思わなかったよ」
その声の主は、腰を落として目線を僕と合わせて、そう言った。
「なんできみがここにーー?」
僕がそう訊ねると、彼女は不適に微笑んだ。