お見舞いフェスティボー⑤
〈ヨシオ〉
「きみってあんなに可愛い妹さんがいたんだね。羨ましいなあ」
「もう今日このやり取り三回目なんだけど」
そう答えた俺は頭を抱えた。
……状況を整理しよう。前回から舞台は変わらず、場所は俺の家、俺の部屋。ただし例によって例の如く登場人物が異なる。俺の目の前には、背筋をまっすく伸ばして正座するシノブがいる。
「その様子だと、もしかして僕以外にもだれか来ていたのかい?」
シノブはわざとらしくオーバーなリアクションを取ってみせたあと、「待って」と続けた。
「当ててみせるよ。だれが来たか」
悪だくみを思いついた少年のように無垢な笑顔を浮かべてそう言ったシノブは、正座していた脚を崩した。彼女の細く白い両脚が艶かしく動かされ、俺から見て左手に奇麗に並べて揃えられた。いわゆる女の子座りというやつだ。
思わず俺は、その曲線美に視線を奪われてしまっていることに気づき、咄嗟に目を逸らした。
「うーん、そうだね」と右手の人差し指でいじらしく唇のあたりを触れながら、しばらく考えたシノブは「成瀬くんと藤巻くんだね?」と俺に流し目をした。
「あ、ああ」と俺は言葉を詰まらせながら返事をした。
なぜシノブが的確に来訪者を見抜けたのかはわからないが、いつだって何でも見透かしたようなシノブになら、それくらいのことがわかったとしても不思議ではない。ではなぜ俺は動揺しているのか。それはーー。
「やっぱり風邪、しんどい?」
そう言ってシノブは、ぐいっと顔を近づけてきた。
「っ……!」
突然のことに、俺は身動き一つ取れない。声も出ない。超至近距離で、シノブと目が合う。ただそれだけだ。そう、目と鼻の先にシノブの小さな顔がある。そのとき俺は、普段よく一緒にいるが、シノブのことをじっと見ることがあまりなかったことに気づく。
その小さな顔とは対照的な大きな瞳。じっと見つめていると吸い込まれてしまいそうな、黒く輝く二つの瞳と呼応するように、彼女の特徴的な短い黒髪が妖しげに小さく揺れた。カラーやパーマなどが一切施されていないツヤのある黒髪には少年っぽさすら感じられるが、少し視線を落とすと、白くて細長い首筋が制服の胸元へと続いている。シノブは前屈みになって俺の顔を覗き込んでいるため、彼女の制服の胸元は解放的になっており、女性らしい身体の膨らみの一端が、そこには確認できた。
俺の頬をいやな汗が伝うのがわかる。言葉も発せず、シノブから目を逸らすのがやっとだった。
ーーそう、俺が何に動揺しているか。それはほかでもない。女子の来訪だ。
しつこく声を大にして主張するが、俺は主人公補性を持っている。「女の子にモテまくる」というチート補正を、だ。
が!しかし!先日、俺は女の子に、恋に恐れを抱いているという負の要素をも併せ持つことを自覚した。
だからこそ!この状況はマズい!!自分の部屋に、女子と二人っきりというシチュエーションーー並の童貞であれば、理性を失い獣と化すか、あるいはこの緊張感に耐えきれず血反吐を撒き散らしながらKOされる絶望的な状況だ。ちなみに俺の場合は後者だ。さっきから足の震えが治まらねえ……!
しかもなんで今日に限って、シノブのやつこんな色っぽいんだよ!なんで今日に限って女の子の一面見せつけてくるんだよ!緊張して目も合わせられねえよ!でもいろいろ見ちゃうよコノヤロー!!
……待て待て。冷静になれヨシオ。あくまで平静を装うんだヨシオ。悟られてはいけない。努めてクールに返事をしてみせるんだ、俺。
「い、いやぁ」
やっとの思いで絞り出した言葉はそれだった。ぎこちない笑顔を浮かべてはみせたが、その視線は宙に泳いでいる。
「い、いやぁ」ってなんだよ!と俺は心の中で自分に怒声を飛ばした。こんなにも女の子と会話するのって難しかったっけ……?
「そうかい?顔色が悪いように見えるけど……」と言ってシノブは、あらゆる角度から俺の顔を覗いてきた。まるで同じ極の磁石同士を近づけたときのように、俺は目を逸らし続けた。
「するとあれかい?成瀬くんと藤巻くんが来たのを僕に見抜かれたことにびっくりしちゃった、とか?」とシノブは再度訊ねてきた。
キタ!今度こそクールに返してみせる!腐っても俺はラブコメの主人公だ。今までだって息を吐くように女の子と会話してきたんだ。これくらい造作もないーーさあ言うぞ。言え、俺!
「い、いやぁ」
……なんなら今度は声が震えた。というかちょっと裏返った。もうダメだ。女の子コワイ。こんなん言ったらキモい、とか思われるかな?とか考え出すと、もう無理。なんも言えねえ。
シノブは不思議そうに俺を見つめたあと、にやりと口角を上げた。
「風邪についてはもう大丈夫そうだね。だけどーー」
一拍置いて「何かあったでしょ?」と続けた。
シノブのこの問いに対しても俺は「い、いやぁ」の一点張り。俺は「い、いやぁ」を口から発し続けるだけの機械と化した。
そんな俺の様子を見て、シノブはやれやれと両手をひらひらさせながら「だってさ」と話し始めた。
「僕が来てから、吉岡くん一度もイキってないじゃん」
……ん?俺の聞き間違いか?今、シノブがイキるとか言わなかったか?
俺の思考がフリーズするのを他所に、シノブは続ける。
「吉岡くん、いつも女の子としゃべるときキザな態度取ってるでしょ?それは僕と話すときだって例外じゃない。それなのに、今日は軽口の一つもないし、なんか自信なさげだよね」
俺が黙殺するのを見て、再びシノブは話し始める。
「とうとう僕のことを女の子として見てくれなくなったのかな?って思ったんだけど、さっきからちらちら僕の脚とか見てるし、それはなさそうなんだよね」
もはや「い、いやぁ」なんて言う余裕もない。答えの割れているトリックを話す名探偵の推理を聞かされているようだ。
「であれば、考えられることは一つ。きみ、女の子絡みでなんかあったでしょ」
そう言ってシノブは、またぐいっとその小さな顔を近づけて俺の目を覗き込んできた。そのとき俺は、必死に目を逸らす努力をしようとしたが、力及ばず彼女の瞳の妖しい輝きに絡めとられてしまった。
〈ナル〉
「なんだ、おまえも吉岡の見舞いか?」
すれ違うあいつにそう声をかけてから、しばらく時間が経っているのにも関わらず、その場所から俺は動けずにいた。思わず身を震わせてしまいたくなるほど、すっかり肌寒くあたりは暗くなっているというのに、俺は街灯の下で立ち尽くしていた。
俺は女の子が大好きだ。恋は盲目という言葉があるけれど、言い得て妙だと思う。俺は女の子のことになると視野が狭くなる。端的に言えば、俺は女の子に負の要素を見たことがないーーいや見られないんだ。どれだけ蔑まれようが、どれだけ避けられようが、俺は彼女らの奇麗なところばかりを見て、彼女らに負の感情を抱いたことがない。
だから俺にとって、さっきの出来事は人生初で、きっとこの先も二度とあることではないのかもしれない。
そう、俺は女の子に負の感情を抱いてしまった。
去り際のあいつの言葉と表情。俺はそれを見て、あいつをきらいになることこそなかったが、そこに不気味な影を見たことは確かだった。
「吉岡くんから、主人公の仮面を剥がしてくるよ」
冷たく微笑んでそう言ったシノブに、俺は静かに恐怖した。