お見舞いフェスティボー④
〈タマキ〉
「吉岡くんって妹さんがいるんだね。羨ましいなあ」
本当に羨ましいよ。吉岡くんと一つ屋根の下、衣食住を共にできる妹さんが、ね。
さっき吉岡くんの家の玄関から出てきた女の子は、どうやら吉岡くんの妹らしく、事情を説明すると家に招き入れてくれた。なぜかはじめは、すごく疑いの眼差しを僕に向けてきたけど……僕が来る前に何かあったのだろうか?
それにしても、吉岡くんの家から女の子が出てきたときは驚いた。すでに吉岡くんは女の子と同棲を始めるに至っていたのかと焦燥したけれど、家族で安心したよ。(それでも嫉妬はするけど)
灯台下暗し、という言葉があるけれど、僕は今までずっと失念していた。吉岡くんに姉や妹がいる可能性をまったく考慮していなかったんだ。
ーーえ、なんだって?家族なら恋愛に発展する心配はないだろうって?馬鹿な!あの吉岡ヨシオくんだよ!?相手が妹であっても、恋愛関係に発展しないなんて言い切れない!
いや、今はこんなことを考えている場合ではない。状況を整理しよう。
場所は吉岡くんの家、吉岡くんの部屋。
視線を前にやると、そう吉岡くんがいる。
今は何よりも、この貴重な時間を、全身全霊を込めて享受することのほうが重要だ。
とはいえ、吉岡くんは今、風邪にかかっている。僕だってそのお見舞いに来たんだ。吉岡くんの身を案じない軽率な考えや行動は控えなければならない。
自分を律する一方で、そういえば吉岡くんがずっと黙ったままだということに気づいた。見ると、彼は膝を抱えていわゆる体育座りの形で丸くなっていた。
「やっぱりまだ具合が悪いのかい?横になっていなよ」
元気がなさそうな吉岡くんの姿を見て、僕は心底不安になった。
しかし吉岡くんは「いや、心配には及ばんよ。体調はすっかり平気でな、急に藤巻が来たもんだから驚いてさ」と言った。
もしかしたら僕は、吉岡くんの体調よりも自分の「吉岡くんに会いたい」という気持ちを優先して、かえって吉岡くんに迷惑をかけてしまっているのかれない。
「急に来てしまったからね、ごめんよ」
僕は吉岡くんに頭を下げた。そして自分の愚かさを反省した。なにが今のこの状況を享受する、だ。馬鹿か僕は。
これ以上吉岡くんに負担はかけられない。そうだ、今すぐにでも帰ろう。そう思った僕を引き止めたのは、吉岡くんの言葉だった。
「いやいや、来てくれたのは嬉しいよ。けどちょうどさっきまで成瀬も来ててさ、そこで藤巻の話題が上がってたから、噂をすればなんとやらって」
……待って待って、処理が追いつかないよ。まず、そうだね。吉岡くん、今嬉しいって言ってくれた?僕が来たことが嬉しいって?
なんてことだ……僕が来たことは迷惑じゃなかったんだ!僕の胸は躍り狂い始めようとしていたが、それもまた吉岡くんの言葉に阻まれた。
成瀬くんも来ていただって……?吉岡くん、きみはどれだけ僕の心を弄べば気が済むんだい。僕に甘い言葉をかけたのと同じように、成瀬くんにも優しく接したに違いない。いやそれどころか、成瀬くんと話していた「僕についての話題」ーーきっとそれは、きみの掌の上で踊る僕を二人で笑っていたんだろう!
ーーなんて被害妄想が、そのとき僕の頭を支配したけれど、同時にそんなことありえないと一蹴する僕もいた。しかし成瀬くんと一緒に、僕について何かを話していたのが気になるのは事実なので、「嬉しい」と言ってくれたことに喜びを感じつつも、僕は複雑な気持ちで「成瀬くんと、僕の話題……?」と訊ねた。
すると吉岡くんはバツが悪そうに「あー、えっと、いや俺らも藤巻みたいなイケメンだったらなあ、って僻んで盛り上がってたんだよ」と言葉を詰まらせながら答えた。
火を見るより明らかーーそう明らかだった。吉岡くんが動揺しているのは、間違いなかった。
まさか、僕の容姿を褒めるのが照れくさかった……?いや、そんなのは僕の希望的観測だ。けれどもし本当にそうだとしたら……?ああ駄目だ。何より褒められたのが単純に嬉しくてもうどうでもいい。
吉岡くんの真意はどうあれ、言われた僕のほうが照れくさくなってしまい、「そんなことないよ」と返事をするのが精一杯だった。
そう言った僕の顔は、きっと真っ赤になっているに違いない。だけどそんなふうに高揚する僕の気持ちを図らずも抑えたのは、ある事実だった。その悲しい現実が、僕に冷静さを取り戻させた。
「それに吉岡くんはそんなこと気にしなくても女の子にモテモテじゃないか」
思わず僕は口に出してしまっていた。
僕から見れば吉岡くんの容姿も素晴らしいものだけれど、そんな些末なことを抜きにしても、吉岡くんは女の子にモテモテだ。それに、いくら僕の容姿が良くても、吉岡くんは僕に振り向いてくれるだろうか……?
いつも、不意に、訪れる。この不安な気持ち。自分を否定しまいたくなるような気持ち。
この恋は叶わないかもしれない。そんなことを思いながらも、不誠実な恋がやめられない。
普段はそんな自分を直視しないように、まるで臭いものに蓋をするように、僕は考えないようにしている。だけど悲しいことに、そんな現実を思い出すのはいつだって吉岡くんのことを考えているときだ。
今だってそうだ。吉岡くんのことを、恋のことを考えていると、大きく間違った自分の姿が思い出される。
そのとき、吉岡くんの部屋の天井からまるで第三者視点で見るように、僕がわかりやすく肩を落とす姿が見られたような気がした。そして、ハッとした。
僕は勝手に吉岡くんの家に来ておいて、何を勝手に落ち込んでいるんだーーそうだ、思い出せ。そうここは吉岡くんの家、吉岡くんの部屋。吉岡くんは風邪をひいて、僕はそのお見舞いに来たんだ。それなのに、僕が自分の都合で落ち込んでどうする。
我に帰った僕は、下に落としていた視線を再び前に戻した。
すると、気まずそうに僕を見る吉岡くんと目が合った。
いま僕が気を落としてる間に、吉岡くんは何か僕に話してかけてくれていたのかもしれない。僕は素直に「ご、ごめん少しぼーっとしてたよ」と取り繕った。
「あ、ああ」と吉岡くんは、短くしかし言葉に詰まった返事をした。
……いや、あるいはーーいま僕は、心が沈んでいるのが顔に出ていたのかもしれない。そしてそれを、吉岡くんは見てしまったのかもしれない。だからこそ、彼は今こんなにも気まずそうにしているのかもしれない。
僕は吉岡くんの家にやって来てから、喜んだり落ち込んだりをめまぐるしく繰り返した。だけど結果的に、どうやら僕は吉岡くんに余計な気を遣わせて、ただ迷惑をかけていただけらしい。
今度こそ帰ろう。そう誓って僕は「じゃ、じゃあ吉岡くんの元気な姿も見られたことだし、僕帰るね」と立ち上がって、吉岡くんに背を向けた。
吉岡くんの「ああ」という短い返事が聞こえた。僕はそれに小さく背中を押されたように、足を踏み出した。そしていよいよ吉岡くんの部屋を出るドアに手をかけた。そのときーー
「あー……藤巻」
吉岡くんが再び僕に声を投げかけた。
「その、なんだ。もう夜は寒いから、俺みたいに風邪ひくんじゃねーぞ」
思わず僕は振り向いてしまった。お見舞いに来た人に体調を気遣われるとは思わなかったから驚いたし、そこまで気を遣わせていることに申しわけなさを覚えた。だけどなによりーー
「うん!ありがとう」
僕は心が晴れたように、それが表出したように快活に答えた。
そして僕たちは、互いに短い挨拶を交わして別れた。そして最後にもう一度妹さんに挨拶をして、僕は吉岡くんの家を出た。
外の空気を吸って、僕は今一度思い直す。そうだ、なによりーーなにより僕はきみのそういうところが好きなんだ。やっぱり僕はきみが好きなんだ。
そして僕はある一つの決心をした。決して曲げないと自分に誓った。
しかしそんな僕の決心など余所に、世界は無情にも高速で廻り続ける。僕が吉岡くんの家を出るのとまるで入れ替わるように、一人の女の子が吉岡くんの家を訪ねやって来た。
いつもの癖で、すぐに帰らないで物陰に隠れて様子を伺っていてよかった。案外きみも抜け目ないんだね。
そう僕は、東雲さんが吉岡くんの家に入るところを見逃さなかった。
時刻は18時を少し過ぎたころーーさあ張り込みの開始だ。