どこにでもいる主人公
<ヨシオ>
カチカチカチ。
時計が静かに鳴り響く音だけが支配するこの空間は、ある種の緊張感を内包していた。
ここは私立鳳凰学園高等学校。とりわけ大きくもなく小さくもないーーそんな、どこにでもあるような高校だ。
壁掛けの時計は午後6時を指しており、この日の授業は終了しているため、生徒はそれぞれ部活に励んだり帰宅したりしていて、教室には人気がない。
そんななか、2-1の教室には二人の男女がいた。
カチカチカチ。
時計の音だけがうるさいその教室で、女は静かに泣いていた。
男は、涙を流す女に歩み寄って、言った。
「頼られてるからとかじゃなくてさ、おまえの自分の気持ちで行動してみりゃいいじゃねえか」
女は「でも……」と言って、首を横に振った。
「クラス委員長だからって、みんなの言うこと聞くだけじゃなくてもいいじゃん。むしろ、上に立ってんだからさ、好き勝手やってやれよ。それに文句のあるやつがいれば、俺がぶんなぐってやるよ」
「吉岡くん……っ」
女は、目に涙を浮かべて、男の名を呼んだ。
そのとき男には――いや吉岡ヨシオには――もとい俺には、女こと2-1のクラス委員長である白石ミユの胸が、トクンと鳴るのが聞こえた。
もちろんこれは比喩だ。しかしそう鳴っているのはきっと確かだし、そうなっているのはきっと確かだ。
なに?自意識過剰だって?いいやそんなことはない。だって今までも「そうだった」から。
学校一のマドンナのあの子も、陸上部のボーイッシュなあの子も、幼馴染のあの子も、転校生で帰国子女のあの子も、俺の前ではみんな「そう」だった。
言っている意味がわからない?そうだな。では順を追って話そうか。
突然だが、この世には主人公補正というものを持っている人間がいる。
それは数十年か、数百年か、はたまた数千年に一人生まれるかどうか――それくらい希少な者であると思う。
それは例えば、天才的な頭脳を持っていたり、スポーツ万能だったり、超常の能力を持っていたり、あるいは異世界に飛ばされたり――そういった人間が現実世界にもいる(に違いない)。
なぜこんなことを言いきれるか。俺は彼らの存在を確認したことがないにもかかわらず、だ。
かくいう俺も「そう」だからだ。
そう、何を隠そう、俺は異常にモテるのだ。
特段顔が良いわけでもなく、運動神経は抜群でもないし、頭もそれほど良くない。身長も平均くらいだし、秘めたる力を持っているわけでもない。
それなのにモテる。もう笑っちゃうくらいモテる。
ちょっと気取ったことを言ってみたり、ちょっと女の子を助けてみたりすると、それはもうすぐ好かれる。
マンガやアニメ等のサブカルチャー文化に明るい諸君にとっては、珍しいことではないだろう。そう、それだよ。特に何かしたわけでもないのに、やたらいろんな女の子からモテまくるーーそんないけ好かない主人公。それが俺だ。
俺はそんな主人公補正をもって生まれた。だから恋愛には困らなかった――と思うだろう?
答えはノーだ。そんなことはない。俺にはいつも邪魔が入った。
学校一のマドンナのあの子のときも、陸上部のボーイッシュなあの子のときも、幼馴染のあの子のときも、転校生で帰国子女のあの子のときも、必ず「ヤツ」の邪魔が入った。
俺が持つ主人公補正にも打ち勝てる者。それは――。
「どうしたの?白石さん」
俺と白石さんの二人しかいなかった2-1の教室のドアを、ガラッと開けて、そいつは入ってきた。
噂をすればなんとやら……と俺は頭を抱えた。そう、いつも必ず俺のフラグをぶち折る「ヤツ」の正体は――
イケメン。
学校一のイケメン「藤巻タマキ」だ。
ヤツの持つ圧倒的イケメン力の前には、フツメンである俺の主人公補正など塵と化す。ほら見てろ。今にも始まるぞ。ヤツのイケメンショーが。
「泣いているじゃないか、白石さん」
やさしく声をかける藤巻に対して、白石さんは理由を説明した。
「なるほど、文化祭の出し物の準備を押し付けられてしまったんだね。よしわかった。僕も一緒にクラスのみんなを説得してみるよ。それでも駄目なら、毎日だって僕が付き合ってあげるから、元気出してよ、白石さん」
「ほんとに……?」と白石さんの表情は、明るくなった。
それを見て、藤巻はこんなことをぬかしやがった。
「やっぱり、白石さんは笑顔のほうが似合ってるね」
トクン。はいもう完全に聞こえた。さっきまで俺にときめいていた気持ちは何処へ。
こんな調子で、俺が築きかけた女の子とのフラグは、いつもこのイケメン藤巻によっていとも簡単にへし折られたのち、これまた藤巻によって再建設される。
見飽きた光景ではあるが、その鮮やかさに見とれるとともに喪失感が俺を襲い、気づけばその場には俺一人残されている。
カチカチカチ。
また時計の音だけが鳴り響く教室になり果てた。
俺は膝から崩れ落ち、両手を思い切り床にたたきつけた。
「おのれ藤巻タマキ……!」
藤巻とは、何の因果か、小学生から続く腐れ縁だ。いつもいつもうまくいきそうなところで、それをかぎつけたかのように、ベストなタイミングで横槍を入れてくる。何の恨みがあってそこまでするんだ。そんなにも俺は、ヤツに嫌われることしたか?
俺の主人公補正をも凌駕するイケメン力、今回もそれに敗れてしまったが、いつか必ず俺は美少女との恋を叶えてみせる!
<タマキ>
「ありがとう!藤巻くんのおかげで助かったよ」
「当たり前のことをしたまでさ」と言った僕は、そこで白石さんの顔が赤らんでいくのに気づいた。
「それに……自分の気持ちにもっと正直になろうって思えたの。だからね――」
僕はそこで、おもむろに鳴ってもいないスマホをズボンのポケットから取り出し、耳に当てた。「うんうん……えっ!?」とわざとらしく驚いてみせたあと、焦った様子で白石さんにこう伝えた。
「ごめん白石さん。急に用事ができちゃって、今すぐ帰らなくっちゃ」
そう言うと僕は「じゃ」と言って、足早にその場を立ち去った。「そんな、待って」という白石さんの悲痛の叫びには、心を鬼にして聞こえない振りをした。
「ほんとにごめん」本当に心を痛めながら、そう思った。
だってあのままだったら告白されそうだったから――。
いつも思う。心の底から申し訳ないと。ひとの恋する心を踏みにじることは、最低だ。
僕も恋しているから、そんなことわかってる。けれど……だからこそ、仕方ないことなんだ。
学校一のマドンナのあの子にも、陸上部のボーイッシュなあの子にも、幼馴染のあの子にも、転校生で帰国子女のあの子にも、本当に申し訳ないと思っている。
だけど、仕方ないじゃないか。
きみたちも吉岡くんを、好きになってしまったんだから――。
そう、僕は吉岡くんのことが好きだ。友達としてじゃない。likeじゃなくてloveだ。
けれど、そんな僕の恋路にはあまりにも障害が多い。性別の壁とかもあるけど、それよりもまず、彼を好きになる女の子の数が異常に多いんだ。それはもうマンガの主人公かってくらい多い。しかもそれが、毎回毎回イイ感じになるものだから本当に困る。
だから僕はいつも阻止する。常に吉岡くんに近寄る女の子に目を光らせて、ぎりぎりのところで、僕が女の子のハートを奪う。
最低なことだってわかってる。だけど、僕だって自分の恋に必死なんだ。
僕は、今まで吉岡くんから遠ざけた女の子たちのことを思い浮かべて、心の中で頭を下げた。
そして、彼女たちにこう誓った。
「きみたちの気持ちは、代わりに僕が成し遂げてみせる。そう、いつかきみを振り向かせてみせるからね。吉岡くん――」