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茨の中で見る夢

作者: 青木りよこ

男がいた。

男は生まれてすぐ深い深い森を抜けた先にある湖のほとりに捨てられていた。

腕は確かだが世才に乏しい魔術師が男を拾った。

魔術師の妻は子供がいなかったので、とても喜び男を大事に育てた。

男はすくすくと育った。

魔術師は男にとてつもない魔術の才能を感じていた。

余程高名な魔術師のご落胤かもしれないと思ったが、生憎世間との繋がりがなかったため魔術師の想像で終わってしまった。


数年の月日が流れると魔術師は突然この世を去った。

生活のため魔術師の妻は奉公に出ることになった。

とある貴族のお屋敷の台所の下働きの口を遠い親戚がみつけてきてくれたのだ。

男は魔術師の妻に手を引かれ田舎を後にした。

男は魔術師の妻と二人貴族のお屋敷に住まわせてもらえることになった。

とある貴族は王室に娘を嫁がせることのできるような家柄だった。

この国の始まりに高名な魔術師を輩出した家柄らしい。


貴族の屋敷には子供が沢山いた。

男は一番下の娘と同い年だった。

男は娘の遊び相手となったが無口なため余り喜ばれず、いつも娘が危ないことをしないように見張っているだけの係となり、娘が大きくなるとそれもなくなった。

そんな頃屋敷に美しい女の赤ん坊が誕生した。

赤ん坊はリーティアと名付けられた。

リーティアは炎の魔力を身に纏っていた。

おかげで誰もリーティアを抱き上げることができなかったが、男がリーティアを抱っこすると自然と炎は止んだ。

その日からリーティアの世話は男がすることとなった。

リーティアは男とだけ遊んだ。

男は相変わらず喋らなかったがリーティアはそれすら面白がった。

リーティアが八歳になる頃屋敷の主人が男に妻をもつよう勧めた。

その前の年魔術師の妻は病気でこの世を去っていた。

男は主人に言われるまま妻を娶り屋敷の敷地内に家を構えた。

妻が身ごもるとリーティアは喜んだ。


「良かったわね、リフ。早く見たいわ貴方の赤ちゃん。男の子だといいわね」


男は別段良かったとも悪かったとも思っていなかったが、リーティアが見たいと言うなら今すぐにでも見せたいと思ったし、生まれてくる子供は男の子でなくてはと思い魔術によって性別を変える方法はないものかと熱心に調べたりした。

生まれてきたのは女の子だった。

男は人知れず落胆した。

リーティアに申し訳ないと思った。

妻を伴い出産の報告に行くとリーティアはとても喜び、抱かせてとせがんだ。

赤ん坊はリーティアが抱くと突然火が付いたように泣き出し、リーティアは慌てて男の妻に赤ん坊を返した。


「ごめんなさいね」


リーティアが心底申し訳なさそうにするので男はリーティアにこんなことを言わせた自分の子供を酷く忌々しく思った。

男の妻が帰りにリーティアのことを美しいと褒めたので何を当たり前のことを言っているのかと思い、わかり切っていることをわざわざ言葉にせずとも良いと思ったが何も言わなかった。


二年が経った。

王国を巨大地震が襲った。

城の近くにある貴族のお屋敷は皆無事だったが、出産のため里帰りをしていた男の妻は実家が全焼し骨すら残らなかった。

男は妻と娘と生まれたばかりの子供を失った。

丁度三日前に生まれた子供はリーティアが望んでくれた男の子だった。

リーティアは泣いた。


「ごめんなさいね。リフ。貴方が一番悲しいはずなのに」


何故リーティアが謝るのかわからなかった。

男は少しも悲しくなかった。

妻と娘と息子を可哀想だとは思ったが悲しくはなかった。

自分はそういう感情が欠けているのだと思い魔術の研究にいっそう打ち込もうと思った。

妻達がいなくなった家は少し広く感じたがすぐになれた。


リーティアが十三歳になると結婚の話が出た。


「リフ、私ね来年嫁ぐの。貴方も一緒に来てくれるわね?」


一年後リーティアは嫁ぎ先の貴族の屋敷に男だけを連れて行った。

リーティアの炎を押さえることができるのは男だけだったからだ。

リーティアの同い年の夫は美しい如何にも貴公子と言った面立ちでリーティアとは似合いの夫婦に見えた。

一年半がたちリーティアが出産した。

女の子だった。


「リフ。抱いてやって」


生まれたばかりのリーティアにそっくりだった。

嬉しそうなリーティアに男は満足した。

何日も喜びの余韻に浸った。

子供が生まれるということはこんなにも嬉しいことなのかと知った。


三年が経つとリーティアは離縁され実家に戻された。

家督を継いだリーティアの兄とリーティアの夫の父が政敵となったからだった。

大きなお腹を抱えてリーティアは実家に戻った。


「ごめんなさいね。リフ。クランク先生の魔術工房のお仕事貴方楽しんでいたのに」


男はリーティアの嫁ぎ先の近所にある高名な魔術師クランク氏の魔術工房で研究員として働いていた。

確かに楽しい仕事だったが男にはリーティアに仕えること以上の大事はなかったので何とも思わなかった。

それよりもリーティアが無事に二人目を出産することの方が心配だった。

毎日愛おしそうにお腹を撫でるリーティアを見るたびに安らかな気持ちを感じていた。


「お帰り、妹よ」

「お兄様」

「突然すまなかったね。おお、可愛いな。流石お前の産んだ子だ。大丈夫だよ、リーティア。お前の子は必ずお兄様が立派なお家に嫁がせてやるからね。心置きなく二人目も生むといいね。できれば女の子を」

「男の子ならどうなさるおつもりで?」

「どうもしないよ。ただ家には置いておけないな。敵の子だからね。あの家は近々始末するつもりだから」

「最初からそのおつもりだったので?」

「そんなことはないよ。上手くやりたかったよ。お前の舅が悪いんだよ。あのお爺さんがさっさとくたばってくれたらいいものを」

「お兄様・・・」

「リフ。お前もご苦労だったね。まあ暫くゆっくりしなさい」


一か月後リーティアは無事女の子を出産した。

一年後リーティアは再婚することとなった。


「リフ、今度の方はね、お兄様のお友達なの。お互い再婚同士よ。子供達も連れてきてもいいって。貴方も一緒に行ってくれるわよね?」


リーティアの再婚相手は如何にも貴族育ちの鷹揚な男だった。

あのリーティアの兄と友人でいられるのが不思議なほど裏表のない男で、リーティアの子供達も自分の子とわけ隔てなく可愛がってくれて、リーティアのことも大切にした。

兎に角よく喋る男で食事の時間の騒がしさといったらなかった。

リーティアも最初は余り年の変わらない娘の母親になることに戸惑っていたが、明るく快活な娘に次第に打ち解け笑顔を見せるようになった。

二年後リーティアは女の子を出産した。

暫くするとリーティアの夫は男に再婚を薦めた。


「リフ。ミレイのこと悲しいのはわかるわ。でも貴方も一生一人ってわけにはいかないわ。私ね、貴方には幸せになって欲しいの」


男は幸せになりたいなどと思ったことは一度もなかったが、リーティアが自分にそれを望んでいるのなら是が非でも成し遂げねばならないと思い再婚した。

一年後男の妻が男児を出産した。

その半年後にリーティアは女児を出産した。

リーティアが男児を望んでいたので男は何故望んでもいない自分の所に男児が来て切望していたリーティアの所に男児が来ないのだろうと恨めしく思った。

穏やかな日々が続いた。

リーティアは二十四歳になっていた。


リーティアの夫が流行り病に罹り数週間後息を引き取った。

数か月の後リーティアの兄の次男とリーティアの夫の長女が結婚し、リーティアの甥が家督を継ぐこととなり、リーティアは再び実家に帰ることとなった。

一か月後リーティアは兄の側近と再婚することとなった。

夫は何でも最近立派な武勲を立てたらしく、その論功行賞というやつだった。

一年後リーティアは身ごもり女の子を出産した。


「私女の子しか産めないのね」


リーティアは寂しそうに笑った。

出産後リーティアは体調がいつまでたっても回復せず実家で臥せっていた。

リーティアの夫は一度も見舞いに来なかった。

ある日の朝男がリーティアの部屋に行くとリーティアの首から下が茨に覆われていた。


「リフ」


リーティアの声だけが聞こえた。


「リフ」


クランク先生や高名な魔術師を呼んだが原因はさっぱりわからず、茨は男が引きちぎっても引きちぎっても生えて来た。

屋敷にいる兄の家族やリーティアの子供達が高熱を出したが男だけは平気だったので、リーティアと二人屋敷の敷地内の一番奥の家に移った。

リーティアはずっと眠っていた。

時々目を覚ましては男の名前を呼んだ。

食事は茨に覆われてから一度も取っていなかった。

男がリーティアの看病につきっきりになっている間に男の妻は息子を連れて息子の本当の父親であるかつての恋人と逃げ、後日離婚届が送られてきた。

男は判を押し役所に提出した。

数か月の後革命がおこり王政が倒された。

貴族達は処刑を恐れ亡命した。

男もリーティアを抱え逃げたが、途中でリーティアの兄に置き去りにされた。

男は茨に覆われたリーティアを抱え歩いた。

歩いて歩いて、王国の外れにある革命が起きたことすらわかっていない田舎にたどり着くと、親切な老婆がいて離れの二階を貸してくれることとなった。

老婆は白い毛布にくるまれたリーティアのことを特に詮索しなかった。

男は働いた。

リーティアの食事がいらなかったので家賃と自分の食べる分だけで良かったのだが毎日夜遅くまで働いた。


「ごめんなさいね。リフ」


リーティアはそう言って力なく微笑んだ。

そう言われるたびに男はもっと働かねばと思った。

一年が経った。


「リフ。私に何か言うことはない?」


風が吹きつける気持ちのいい午後だった。

ベッドの傍の窓を開け放し、首から下を茨に覆われたままのリーティアが男を見つめ言った。


「何もありません」

「何も?」

「はい、何も」

「そう」


男は考えた。

果たして自分にリーティアに言いたいことなどあるだろうか。

何もないと思った。


「ねえ、本音で話して。私のことどう思っていた?」


男は驚いた。

リーティアをどう思っているかなど考えたことなどなかった。

リーティアは男にとってリーティアなのだ。


「尊敬しております」

「何それ?」


リーティアは困ったように笑った。

だが男にとっては本心だった。

心から尊敬していた。

生まれてから今までリーティア以上の人間などこの世のどこにもなかった。


「私三回も結婚したわ」

「自分も二回しました」

「女の子しか産めなかった」

「皆健康であらせられました」

「そうね。子供達の心配はしてないの。お兄様は悪い人だけど、そこまで悪い人じゃないもの。私なんか本当に駄目よ。ちっともいい母親じゃなかった」

「そんなこと有りません。いつも慈しみの目でお嬢様達を見つめておられました」

「そうかしら。貴方にはそう見えていたのね」

「自分はいい父親でなかったし、いい夫でもありませんでした。自分は思いやりとかそういう情に欠けているのです」

「そうかしら?」

「自分は遂に一度も妻や子供達のために泣けませんでした。捨て子だった自分を育ててくれた両親のためにもです」

「そう」

「リーティア様は違います。自分が最初の妻と子供を亡くした時涙を流してくれました」

「だって貴方の奥さんと子供だもの。当然でしょう」

「そうですか。自分は新しい妻とも上手くいかずリーティア様の御心を痛めたことを申し訳なく思います」

「ねえ、リフ。言って」

「何をですか?」

「本音で話して。私のことどう思っていた?」

「本音?」


思わず聞き返した。

こんな無礼をしたのは初めてだった。


「ねえ、リフ。もう最後よ。私にはわかる。今夜死ぬわ。ねえ、もう最後なの。だから言って。私のことどう思っていた?」


リーティアの瞳から涙が零れる。

美しいと思った。

その瞳が男だけを見ているのだ。


「この世で最も価値のあるものだと思っていました」

「そうじゃないわ」

「リーティア様以上に美しい方を自分は知りません」

「そうじゃないのよ、リフ」

「わかりません。どう言ったらいいのかわからないんです」

「リフ」


リーティアの手が男の頬に伸びる。

男はどうやら涙を零しているのだとわかった。

生れて初めて泣いた。


「リフ。手を」


男はリーティアの右手を両手で取った。

リーティアの顔がぼやけている。

もっとしっかり見たいのに見ることができない。


「リフ。貴方だけだった。何も言わずに傍にいてくれたわ、ずっと」

「話すのが下手なだけです」

「そんなことないわ。貴方がいたから何処へだって行けたの、ありがとう」

「自分に礼などいりません」

「リフ」


リーティアの目にもう涙はなかった。

その瞳に男は何を言うべきなのかやっと気づいた。


「リーティア様をお慕い申しております」

「リフ」

「ずっと、ずっと」

「リフ」

「ずっと、リーティア様を」


男の目から涙が堰を切って流れた。

自分の身体なのに止められないのが酷く忌々しかった。

リーティアはずっと同じ目で男を見ていた。



「リフ。貴方を愛しています」



男は自分にこんな感情があったこと、既にずっと前から持っていたことを理解した。

男はリーティアに覆いかぶさり茨を隔て二人の身体が初めて重なった。



「リフ」

「はい」

「今私が何を考えているかわかる?」

「いえ、何でしょう?」

「今ね、私。このまま貴方と死ねたらと思っているの」







リーティアの両手が男の背を包み、その上を茨が覆っていく。







「俺もです。リーティア」







数日後男の姿を見なくなった老婆が不審に思い離れの二階に上がると部屋には何もなく、窓辺で一輪の白い薔薇が風に吹かれていた。




























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