表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/26

7話:塚田家の引越とヤフー株

 1995年は、株価を注視しながらき喫茶店の仕事をしていた。8月、ソニー株が2千円を切ったと知ると、父が1900円で3万株、5700万円で買った。1996年にヤフーというソフトバンクの関連会社が上場するという情報が入った。


 その話が、証券会社から入り、あらかじめ決めていたようにIPO・新規公開株購入のため証券会社に数社に応募した。その後も1996年7月10日、子、塚田美恵子1997年9月10日に6子、塚田貴子が生まれ6人の子供に恵まれた。


 その後、アパートが手狭になったので、塚田守が、実家の父に、実家の離れをリノベーションして、使わせて欲しいと言うと、父が。了解してくれ、木造2階の6LDKの家を3千万円で改築し、与えてくれた。


 6LDKといっても、子供部屋は、1つの大部屋「9-10畳」を間仕切りで2つに分けて、小さな子供達の個室を4個作ったので、実際には大きめな4LDKと、同じ大きさだった。完成後、子供達は、個室ができて、喜んだのは言うまでもない。


 1997年11月30日に完成して入居した。やがて、1998年を迎えて、新居に入った塚田家では全員で、阿豆佐味天神社、立川水天宮に初詣でに行き、家内安全と健康祈願と学問成就をお願いした。


 その後も、喫茶店は、塚田守が、アルバイト学生と共に、運営していた。その後、塚田一郎が1997年9月に、ヤフーの新規公開株1株70万円で2株購入できた。塚田守は、1株を70万円で1株買えた。


 その後、ヤフー株の上場初日、初値が、1株200万円となった。その後、シティバンクが1998年からインターネットバンキング「シティダイレクト」を開始した。その時、インターナショナルキャッシュカードの発行。


 その他、シティゴールド・メンバー「富裕層の優遇」、シティティゴールドメンバーを招待しての海外金融商品の勉強会を毎月、無料で一流ホテルで行い、招待すると言われた。その条件が気に入り、ゴールドメンバーになった。


 すると「東京帝国ホテル、ホテル・オークラ、パレスホテル、ニューオータニ、ハイアット、パ-クハイアット、ヒルトン」などで、最初の頃は、昼食付きの投資勉強会の招待状が届いた。また、新規にゴールドメンバーを紹介すると2~3万円の賞品をもらえた。


 さらに、シティドルカードは、直接、海外で、米ドルを使えるメリットなど、破格の条件である事を知った。そこで、塚田一郎と、塚田守が、ゴールドメンバーになり勉強会で、以前、日本国内では得られない情報を教えてもらった。


 まず、海外のヘッジ・ファンド、海外優良ファンド、海外の銀行などの貴重な投資情報を得られた。塚田一郎は、シティバンクの企画したチャイナファンドを購入。数年かけても大きな利益を得たいと考えた。


 そうして1999年を迎え、ソフトバンク関連株の関連株、ソフトバンク・テクノロジーが1999年7月に上場が決まり、ソフトバンクインベストメントが2000年月12に上場することが発表された。


 しかし、1999年6月には、既にネット関連株は、人気化して高すぎて、新しく買う気がせずに見送った。以前、購入した、ヤフー、ソフトバンク株は、爆上げして、塚田一郎、塚田守とも破顔一笑であった。


 そうしてるうちに、いろんなパニックが予想されたが大きな混乱もなく新しい21世紀のはじめ、2000年を迎えた。ソニー株が上昇して2000年1月4日に15000円で3千株を売り4950万円で売り、3900万円の利益を上げた。


 その後、ソフトバンクが2000年4月25日に3分割を実施すると情報が入り、分割後、下げ始めたら、売ろうと、塚田一郎が考えていて、売り場を探っていた、3分割し、分割後の初値が19100円となった。


 翌日、4月25日の初値が20890円で、2.1、2.3、2.5、2.7、2.9万円と上値を切り上げていき2000年5月2日、29670円で下げてきて、すぐ成行売りを入れ、29500円で7200株売り、約1.6億円の利益をあげた。


 その後、ヤフー株が、天井知らずの勢いで上昇して、ヤフー株が2倍分割を3回して、持ち株数が8倍になり、塚田一郎が16株、塚田守が8株になり、分割後、高価で売ろう考え1株16700万円で売り塚田一郎が41600万円、塚田守が20800万円を手に入れた。


そして、塚田守は、すぐに、借りた金1千万円を父に返し、父が、儲かったからはいらないと言ってくれ、塚田守の資産が24700万円になった。そして、塚田一郎は、ソフトバンクとヤフーで10億円以上の利益をあげた。


 長女の和美ちゃんは、2000年に、立川郊外の公立中学に入学して、英語と、絵が好きな女の子で、苦手の数学を克服するために問題集を熱心に勉強し将来は語学を生かせる仕事に就きたいと話していた。


 2001年、長男の肇も同じ中学、2002年に次男の二郎も同じ中学に入った。2001年6月、NTTは光回線接続サービス「bフレッツ」の提供開始を発表して、8月に、喫茶「美鈴」光回線を入れた。


 有線LANで4回線を結び、高速インターネットが使える様になり、翌年の2002年には、無線LANが普及して、無線LANでも5台同時にインターネットが使える様になり、喫茶「美鈴」が急に混み出した。


 そのため、アルバイト学生を常時、2人から3人、4人へと増やして行った。そうして、店が繁盛してきて、少しずつ、店の売上と利益が増えてきたので、もう1回線、光回線を増やして、パソコン16台一緒に、インターネットを使える様になった。


 すると、さらに、お客さんが増えて、儲けが大きくなった。やがて2003年が空けた。肇君は、理数系が得意で、数学はセンスだと、得意げに語り、英語もでき、学年でもトップスリーに入る程で、国立高校をめざした。


 次男の二郎もソロバンが得意で、計算が速く、将来はコンピューターソフトウェアを勉強したいと、兄の肇君に負けじと、勉強して、国立高校をめざしていた。その後、長女2003年の高校入試で、武蔵野地区の名門、立川高校に合格した。


2003年4月から立川高校へ徒歩で通うようになった。2004年の肇君が国立高校に合格し、続いて、2005年に二郎君も合格した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ