5話:喫茶と葬儀と投資家
11時過ぎ、お客さんが少なくなって、今度どうするのと聞くと、美鈴さんに聞くと、今のうちの商品の在庫がなくなるまでは,店を続けると言い、その後は、今考えてないと言った。もし、その後も商品が入るとしたらと聞いた。
すると、食事を提供しないで、モーニング、ランチセット中心で、他、珈琲、紅茶など、レモン、オレンジ、グレープ、リンゴジュースなど水物で、やっていけば、家族の食費ぐらい稼げると思うと言った。出来るなら、店を続けたりと言った。
人手が足らなれば、女学生のアルバイトでも募集すると言った。塚田守は、俺は、実の所、株の売買を、たまにしてる位で、無職だから、手伝っても言いと話した。そして漫画や古本を店に入れて本棚に並べて、読める様に出来ると、面白いかも知れないと言った。
そして1995年2月6日、お通夜の日、喫茶「美鈴」は、2月6日、7日、8日、休業の看板を出し、立川葬儀所の近くの葬儀屋の会場の2室で、お通夜を行い、8人がやってきて、当日は、男性3人、女性3人が、部屋に泊まった。
2月7日、21人が出席したが、ご焼香だけとい言う喫茶店の常連客が10人も来て、遺影に手を合わせるだけで帰った。彼女と、亡き、御主人の鹿島義朗さんは、秋田の山深い地域の出身で、中学を卒業し、東京に出て、2人とも定時制高校に通った。
喫茶店で修行を積んで、独立したと聞かされた。実家は専業農家で、東京に出てきたのは2人だけだったようだ。特に会社関係の花輪も少ないので、塚田守が、大きな花輪を送った。そして、葬儀の時には、親戚筋の人達には、目立たないようにした。
喫茶店の常連さんと言う事で、紹介して欲しいと鹿島美鈴さんに話しておいた。そして葬儀は滞りなく終了。精進落としをいただいて解散。近くの、お寺に近親者のみが付き添って、それぞれ、お参りしてから、葬式が終了した。
塚田守は、美鈴さんに、もし店を続けるなら、私が、出資者になって喫茶店事業に投資家として、お手伝いして良いかなと言った。それは、ありがたいけど儲からないかも知れないよと言うと構わないよと笑いながら言った。
しかし、私の考えも入れさせてもらうよと言った。それは、出資者だから構わないと美鈴さんが言った。塚田守が、学生に人気の漫画と雑誌を本棚において長い時間いられる様に漫画や本を自由に読め飲食代と合計で3時間で千円。
例えば11時~14時で千円、15時~18時で千円で使える様にしたいと述べた。鹿島義朗さんの生命保険は、休業補償とか、病気、入院、手術の保証だけで死亡保険はなく、ほとんど金が入らない。また残っている預貯金も20万円。
そのうち支払いが半年分の20万円、店に残った残金10万円と経済的には厳しいと言った。24席ある、店が、埋まる様になり4時間セットの客が増えてメニューもホットドッグを増やすと、かなり忙しくなった。
お客さんが増えると、男子学生の市川敏夫さんと、女子学生の石田歩さんが、食事付きで時給500円ならアルバイトしますと言うので鹿島美鈴さんが了解しましたと言った。数日後、勤務表を書いて、常時2人が、店を手伝えるようにすると言ってくれた。
この話を聞き、そりゃ良いと塚田守が言い、それだけ長い時間が喫茶店を使えるのはメリットが大きいと言った。そして、美鈴さんとアルバイト3人で、朝10時と、昼12時、夜の6時前後は、忙しくなるが、何とかこなせる様になった。
その後、売上も伸びてきた。その後、女子学生の石田歩さんが、短大の食物栄養科の学生さんで、実習のために、夏休み、冬休みに、アルバイトしても良いと言い出した。それは大変助かると言い、飲食付き、時給5百円で、雇うことにした。
学生、数人でローテーションを組んで、2人ずつ、働けるようにしてくれるという申し出を受けた。これにより、男子学生1名と女子学生2名のアルバイトが雇えることになり大人が1人出れば、運営できる様になる。
食料品は,買いに行かず、業者に全部運んでもらうようにしてケーキも作れるようになり売るようになった。その後、休みの日には、塚田守は、鹿島美鈴さんと、子供3人と出かける様になり、彼女が1970年3月18日生まれで25歳だとわかり、若いと驚いた。
そして塚田守は、実家を出て1995年3月18日、鹿島美鈴さんの25歳の誕生日から、立川の郊外の3LDKのマンションを借りて鹿島美鈴さんと同棲を始めた。その後、国立駅前の喫茶「美鈴」に出かけて、土日以外、毎日、出かけた。
ラジオ短波を聞いて株投資をしながら喫茶店経営を始めた。毎日、学生のアルバイトさん12人をローテーション働いてもらい運営管理を任せた。やがての鹿島義朗さんの命日、一周忌があけた1994年2月9日に塚田は、美鈴さんと結婚届した。
その後、役所に結婚届を出して夫婦と3人の子供の5人で写真を撮りに行った。そして、亡くなった塚田一郎に報告すると、まー結婚しないよりは良いと言っくれるような気がした。その後、3月のある朝、美鈴さんが、体調を崩した。
もしかしてと思い、彼女を産婦人科に行かせると、おめでたとわかり、1995年2月28日が予定日となった。そのため、奥さんの塚田美鈴さんは、出産のために、喫茶店「美鈴」を休み、全て、塚田守が、店を運営することになった。
そのため食品類はトーストとホット・ドックと珈琲と紅茶のセットだけにした。しかし、漫画や読書、勉強のための喫茶店として若者の人気が高まりバイトさんの給料と店の費用と塚田守の給料が、やっと出る程度の儲けが出た。
塚田守は、もし赤字が続くようだったら、すぐに店じまいする考えで、店を運営していった。その後、1995年2月28日、塚田との初めての子供として、塚田辰男が無事誕生し、4人目の子供となった。