3話:何かが見える、店主の交通事故死1
その後、塚田守が多くの株の本や世界情勢を調べると聞いてインターネット関連株の将来について、意見を聞くと、実は、前回の放射線治療の時、何かソフトバンクと関連会社が2つ上場し、その全社の株価が急上昇する気がすると告げた。
塚田守が、父に、放射線照射治療を受けている時に夢の様なものを見た事をノートに書き留めたので見て欲しいと言うとチャートかグラフのようなものをフリーハンドでグラフ用紙に書いた。そのグラフは少し上昇し横ばいになり1999年に急上昇始めていた。
その後、2001年に急降下していた。そして、グラフの右に上に9984と書いてあった。驚いた様に9984を調べるとソフトバンクの証券番号だとわかった。その話を聞き、塚田守が、父に1千万円を借り投資を開始すると話した。
塚田守は、父が、既に長年の投資活動で10億円以上の資産は持っていると想像していた。そして1994年3月にソフトバンク株を塚田一郎が380円で10万株3800万円で塚田守が1万株380万円で購入した。
塚田守は、病院を退院して、自宅のリビングを使って、家庭教師を始めて、土曜、日曜日の午前中10-11時、11-12時、1-2時、2-3時、3-4時、4-5時の6回、3人ずつ、計18名、2日間で36名を月、5千円の月謝で教え、月に18万円を手にして生活費に充てた。ただし、父、塚田一郎の8畳の部屋にベッドと勉強机を入れ無料で住まわせてもらった。
家での食費も無料、オマケに、父や祖父、その他の送迎をするという約束で、父の車も無料で借りられ稼いだ金は、本代、映画代、レコード代、遊興費に使っていて、月に10万円ずつ、しっかり、預金した。
そうして、1994年10月に塚田一郎、守をはじめ、塚田ファミリー6人で、アメリカ西海岸とラスベガスの14日間の旅行を計画した。最初にシアトルに飛んで、有名なカニや、シーフードを食べて、市内観光をして楽しだ。
翌日、列車で国境を越え、カナダ、バンクーバーへ行き、市内観光をし、飛行機で、ロサンゼルス、サンディエゴ、ディズニーランド、最後にラスベガスに5日間滞在し買い物とショー、ギャンブルの旅行をした。
有名な歌手のショーやブロードウェイ、ミュージカルを楽しみ、ブランド品、高級品、宝石類を破格値で買って帰った。その後、父が、インターネット株と同じようにソニーも上昇すると思うと言い買う事にした。
1992年頃から、国立駅の近くの、喫茶店「美鈴」、上手いチーズケーキと、珈琲、紅茶のセットを食べに行くのが、楽しみだった。この喫茶店には、塚田守の好きなタイプの可愛い女性の鹿島美鈴さんと彼女の子供たちがいた。
1994年11月で、美鈴さんの長女、1987年7月7日生、5歳の和美ちゃんと6歳の長男、1988年8月16日生、肇君、5歳の次男、1989年9月20日生の二郎君がいて、保育園、学校から帰ってくると、喫茶店の奥の和室で、大人しくしていた。
その喫茶店では、ケーキ、珈琲、紅茶を出した。その店を鹿島美鈴さん中心に切り盛りして旦那さんの鹿島義朗さんは、材料を買いだしに行ったりケーキを丸ごと1つ・ホール販売していて、コービー豆も焙煎したりしていた。
珈琲豆や多くの種類の紅茶、ウーロン茶、ジャスミン茶、日本茶を小売り、配達、通信販売をしていた。近くの大学生が、喫茶店として使っている場合が多く、駅近くの企業に珈琲豆、紅茶、ホール・ケーキ「ケーキ丸ごと1つ」を売っていた。
そのケーキの味が、評判が良くて、会社や、家族で、かなりの数が売れていた。そのため、旦那さんは、良く店を留守にしていたが、常連さんが多く、奥さんや子供さんたちと話をして楽しんでいた。
ところが1993年2月3日、土曜日、朝から雨が降っていたのが、昼前から、みぞれに変わるほど寒い日で、あまりに寒いので、塚田守が、10時オープンと共に、その喫茶店に入り、遅い,朝食を食べていた。
そんな時、電話が鳴って、鹿島美鈴さんが電話に出て話していると、「えー、本当なの、間違いないの?」と大きな声を出した。そして、その場に、へたり込んでしまった。彼女は、塚田守と目が合うと、鹿島義朗が、スリップした大型トラックと衝突した、
そう言うと、大声を上げて泣き出した。それを聞いて塚田守は、思わず、どうしたら良いと言うと、彼女が、少し我に返って子供達を見ていて下さると言った。そして、病院へタクシーで行きますと言い、慌てて出て言った。
その話を聞いていた子供達3人が、大人しく待ってましょうと話した。それを見ていた店にいた、常連の5人も驚いた。15分位して、店に電話が入り、塚田守が電話に出ると、「鹿島美鈴さんが、泣きながら、主人が亡くなった」と言った。
塚田守が、どこの病院にいるのか、聞くとTK共済病院と言うので子供達は、店にいる5人のお客さんに、頼んで、私も、そちらに行こうかと言うと悪いんですが、そうして下さると言った。わかった、ちょっと待っててと言って電話を切った。
その話を聞いて、店にいる5人の常連さんに子供達を頼んで、病院に行ってくると話すと子供達は,私たちが見てるから、すぐ行ってらっしゃいと言われた。道に出てタクシーを拾って病院へ出かけた。
病院の救急室の前の椅子に座っていた鹿島美鈴さんが見えたので近づいて大変だったねと言うと、彼女が、抱き付いて取り乱して泣き出し、これから、どうしようと叫んだ。そこで塚田守は、冷静になってと言い、まず、何をすべきか考えようと告げた。
救急室の受付に彼女と一緒に向かった。すると受付の人は、この度は、大変でしたねと言い、最初に、何かの書類を見せて、ここにサインして下さいと、言った。聞くと鹿島義朗の死亡の確認書だった。彼女に言ってサインしてと言い書いた書類を受付に提出した。