この美少年、生気がまるでない
僕の中学入学と同時に両親が満を持してマイホームを購入した。父はごく一般的なサラリーマンなので、その道はなかなか気の遠くなるものだったのではないだろうか。僕はそんな父のことを尊敬している。ちなみに母は専業主婦である。つまりこの渋谷家は普通も普通な普通の家庭である。いやこのご時世に専業主婦をやれている母は、もしかすると恵まれているのかも知れない。そう考えると僕はますます父を尊敬せざるを得ない。
「真ぉーご飯!」
母が一階から二階の僕の部屋に向かって大声で言う。母よ、僕はご飯ではない。と授業中に「先生トイレ!」と言われた教師のようなツッコミを心の中で済ませると、僕は宿題を中断し
「今行くー」
と大声で返した。
食卓に並んでいるのは主食主菜副菜に味噌汁を合わせた、日本人の一般的な家庭料理といった感じである。
僕の周りのクラスメイトは非凡人になることを夢見るものが多い。特に何とかしゃちょーみたいに好きなことで生きていく人間になりたいだとか、最終兵器何とかみたいに毎日ゲームばかりして暮らしたいだとかそういうのが多い。あと、漆黒の〜だとか、神が〜だとか、邪竜の〜だとかよくわからないことを永遠に言っている者もいる。竜とは架空の生物であり、邪とは日本語で正しくないという意味を持つ言葉であるが、架空の生物に正しいも正しくないもあるのだろうか。疑問である。ちなみに僕は中学へ入学してまもないので中一である。僕の将来の夢はそれなりの会社でそれなりの給料をもらってそれなりに幸せに暮らすことだ。僕はそれなりというやつをそれなりに愛している。事実、僕は今のそれなりの生活が気に入っている。
だがしかし、僕の愛すべきそれなり人生が今初めて尋常ではない事態に陥っている。入学式から一ヶ月、未だ友達が一人もできない。中学入学と同時に引っ越してきた僕は完全に出遅れた。僕の通う中学は住宅街に囲まれ、その中には中学校以外にも幼稚園、小学校、高校がある。それが何を意味するか。すでに人間関係は完成されているということだ。初めは珍しがって多くの人間が話しかけてくれていたが、いずれのグループにも入ることができないまま、今ではさっぱり飽きられている。だから僕は教室の端で目立たないように大して好きでもない本なんかを読み耽る毎日である。それなりが欠けた日々がここまでそれなりではない苦痛をもたらすとは。やはりそれなりこそ至高である。ああ、それなりに友達が欲しい。
友達がいないことに慣れてくると、僕は退屈な休日を新しい街の探検に使うことにした。つまりはただの散歩だ。ちなみにそれなりに真面目な僕は大体金曜日の夜に宿題を済ませてしまう。
探検と大げさに言ってみたところで、ただ歩き回るだけでは退屈に疲労が加わるだけなので、僕はコンビニで地図を買ってきて神社のマークがある場所を目指すことにした。
したのだが、神社というものはそんなに多くはないので思いついてひと月が経つ頃には徒歩圏内の神社は制覇してしまっていた。それからというもの発想力の乏しい僕は行ったことのある場所を適当な順番を決めて何度も訪れるという、探検とはあ名ばかりの、ただの健康志向な人間のルーチンワークのようなものへと成り下がっていた。
そして今日も僕は見慣れた神社へ散歩に来たのだが、あまりにも退屈すぎていつもは無視して通り過ぎる、神社の由来が書かれた汚い看板を読んでみることにした。
読めなくなっている部分もあったが大体はこんなことが書かれていた。大昔、この周辺はなぜか作物が上手く育たず、人々は貧しく、死人も多かった。ある日、誰かの夢に神様が出てきて、社を二つ建てろと言った。一つは今この神社がある場所。もう一つはこの神社の東に当たる場所。夢で神託を受けた人間もまた大変貧しかったが、何とか小さな社を二つ建てると、突然作物が実り始め、人々は貧しさから救われた。
「東……?」
この神社の東側に神社なんてあったか?いやない。少なくとも地図には載っていなかった。だからあったとしても行ったことはない。僕は久しぶりにこの探検にワクワクを感じていた。これは探すしかない。
しかし東とは言っても東のどこなのか全く見当がつかない。この神社を西とした時、東側にはちょっとした山が広がっている。恐らくあるとすればこの山の中だろう。だがいくらちょっとしているとは言え山には違いないので遭難でもしたら大変なことになる。調査が必要だ。
どうするべきか僕はすぐに思いついた。確か中学の図書館に誰かが寄贈したらしい古地図があった。こんなもの一体誰が読むのだろうとは思っていたが、それと照らし合わせればおおよその場所がわかるに違いない。僕も伊達に毎日昼休みに図書館通いをしていたわけではないのだ。まあ友達がいないせいではあるのだが。明日は月曜日だ。早速調べてみよう。
僕は運が良かった。考えてみれば古地図にも載っていない可能性はあった。しかしそれらしきものを僕は見つけることができた。予想通り東側の山の中に最近の地図には載っていない神社の場所が確かに記されてあった。僕は週末が楽しみになった。
そして週末。ここで月曜日からいきなり週末まで話が飛んでしまうのは友達がいないからである。察して欲しい。僕は山登りに必要であると思われるものを持ちまだ見ぬ神社を目指した。
山とはいえそこまで高くない山なので割と緩やかで、ちゃんと道のようなものもあった。これはきっと神社の参道の名残なのであろう。しかし道がまだあるということは知る人ぞ知る場所として、わりと人気スポットであったりするのかも知れない。
30分くらい登り続けただろうか。ようやく植物に覆われた鳥居らしきものを見つけた。
「本当にあった……」
さらに少し歩くともう一基鳥居があり、そこからは階段になっていた。百段くらいありそうなその階段を何とか登り切るとさらに鳥居があった。それを潜ると左手に手水舎があり、正面奥には小さめの本殿らしき建物があった。不思議だが、手水舎と本殿は古くはあるが綺麗だった。誰か管理している人がいるのかも知れない。
僕は手水舎で作法に則り手と口を清めると、本殿へ向かった。僕が賽銭を入れると硬貨が底に打ち付けられて、木の乾いた音がした。どうやら僕以外に賽銭を入れたものはいないかとても少ないらしい。
まずは二礼。次に二拍手。目を閉じて一応祈っておく。
「どうか友達ができますように」
そして一礼。
「ガラッ!」
頭を深く下げていると正面で扉の開くような音がした。
「ヒィッ?」
僕は上半身を起こすことも忘れ首だけで顔を上げた。
「友達が……欲しいの……か……貴様……正気……か……」
人……なのだろうか?痩せているというかやつれている、今にも死にそうな何かが、まるで遺言を絞り出す死にかけの老人のような喋り方で話しかけてきた。
「……生気が……まるでない!」
「何だ……私は正気だ……失礼な奴……め……祟る……ぞ」
人間の男のように見えるそれは今にも気絶しそうで、白目を剥きながら言ってくる。
「しょうきではないと言ったのではなくせいきがないと言ったんです!というかもう喋らないで下さい!」
僕がそう言うとそれはふわっと糸の切れたように僕の方へ倒れそうになる。僕はとっさに手を伸ばして支えようとする。しかしそれは僕の手を借りずにどうにか一人で持ち直した。
「いやあ……しばらく何も……食べていな……いのでな」
「大丈夫……なんですか……?」
それは笑っているように見える。
「てかこれ食べます?」
僕は非常食にと持ってきていたバランス栄養食と水を取り出す。
「いら……ない」
「いや死にますよ?」
僕は無理矢理押し付ける。
「ポトッ」
「あ、何か落ちましたよ」
それの着ている服からカードのようなものが落ちた。
これは保険証か?やはり人間だったのか。祟るぞだなんて言うもんだからてっきり人ならざるものかとちょっとビビった。それに目の前にいるそれはとても綺麗な白髪をしていて、長く、サラサラとしていた。肌も透き通るように白い。瞳の色はどことなく黄色っぽい。とにかく全体的に色素が薄い。まさに美少年と言った感じであった。それになぜか狩衣のようなものを着ている。これでは僕がそれを人間ではないかもしれないと思うのに無理はないだろう。ちなみに身長は僕よりまあまあ高い。
「野中陽子、女、1979年……えっ??は??てか女??!」
彼、いや彼女?が落としたのは保険証だった。しかも1979年ってことは今年何歳だ??少なくとも30代後半??それにこんな見た目して名前だけ急に俗っぽすぎるだろ。
「これは、誰のですか?」
「私のものだ」
そんな馬鹿な。あり得たとしても20代前半。そうでなければこれは化物だ。
「本当に?」
「本当だ」
保険証によると野中陽子らしいそれは僕のあげたバランス栄養食をむしゃむしゃ食べながらそう言った。さっきはいらないって言ってたくせに結局食べるのかよ。
「チョコレートもいります?」
「頂こう」
野中陽子は僕のあげたものを一通り食べ終わると立ち上がり、扉の奥から持ってきた浅沓を履いて手水舎へと向かい、そこで豪快に顔を洗い始めた。
「何をしているんですか??!」
「見ての通り顔を洗っているのだが。何だ俗世に生きる人間は顔も洗わんのか」
「洗いますけど?!いやそういう意味じゃなくて!神官がそんなことしていいんですか!」
「私は神官ではないぞ?」
「は?」
栄養を補給し、顔を洗った野中陽子はようやく生気と思考を取り戻したようだった。
「貴様は誰だ?なぜこんなところにいる?わざわざこんなところまで友達ができるように祈りに来たのか?」
さっきまで白目むいてたくせに聞こえてたのかよ。てか覚えてんのかよ。恥ずか死にたい。
「そ、そんなわけないじゃないですか!」
そんなことはどうでもいいと言わんばかりに野中陽子が続ける。
「で、貴様は誰だ?」
野中陽子と目が合った。綺麗な顔。僕は何となく怯んでしまった。
「渋谷 真……です……」
「何だ、偽名みたいな名だな!」
野中陽子はゲラゲラ笑いだす。人の名前を笑うとはかなり失礼な奴だ。でもまあ僕自身ちょっとそう思っている。
「あなたには言われたくないですね」
「何を言っている?私も名乗ろう。幸 光明だ。幸でも光明でも好きに呼べ。そしてここは私の家だ」
本殿へ向け両手を広げて言う。ドヤ顔である。あとちょっと手とか顔とかから水が飛んできた。初対面の僕にもわかる。ここが絶対にお前の家ではないってことが。もしかしてこの人は馬鹿なんじゃないだろうか。何かさっきまで死にかけてたし。とにかく普通じゃない。
「いや、まあわかってましたけど野中陽子さんではないんですか?」
光明は明らかにしまったという顔になる。
「そうだった。陽子だヨ!よろしくネ!」
「いや今そうだったって言いましたよね?てか明らかに口調変わりましたよね?」
「そんなことないヨ!」
光明はわざとらしく高い声で喋る。そして必ず語尾で首を傾げる。いやマジで野中陽子なら逆に痛いぞ。年齢的に。
「光明さんですね。わかりました」
「おい」
やっぱこの人男だろ。低くはないけど声男だし。顔はちょっと女の人みたいだけど。
「ちなみに光明さん女性でもないですよね」
「いや、そんなことはない」
ニコニコというかニヤニヤしながら光明は答える。
「じゃあ玉なしなんですか?」
初対面の人にいきなり玉なしとか言っちゃう僕もわりとどうかしてる気はするが、このふざけた人間相手になら許される気がした。
「いや、そんなことはない」
相変わらず光明はニヤニヤしている。
「じゃあやっぱり」「私はフタナリなのだよ。筆下ろししてやってもいいぞ」
光明は僕の言葉を遮ってとんでもないことを言ってくる。
「なっ!」
「ちと少年には刺激が強すぎたかな。冗談だ」
どこからが冗談なんですか??!とは聞けなかった。
それが、おそらくは住所不定、年齢不詳の美少年、幸 光明と、それなりの人生を送るごく普通の男子中学生、渋谷 真との出会いだった。