第七話 探索者(一)
「ふあぁー……」
朝日が昇って暫く経った頃、
盛大に寝癖をつけたベルルは、眠い目を擦りながら目を覚ました。
「うーん、よく寝たぁー……」
昨日、人の街というものを初経験した疲れからか、もう少し寝坊したい誘惑にかられたが、今日はもう一度ギルドに行かなければいかなければいけないとベルルは頬を叩いて目を醒ました。
軽く身仕度を整えたベルルが一階の食堂に降りると既に何組かの客が座っていて、その中に昨夜振りの見知った顔ぶれを見付ける。
「やあベルル、おはよう」
「おはようございます。グリーンさん」
お互いに爽やかな朝の挨拶を交わす。
「おはよっ、ベルルくん」
「……おはようベルベル」
グリーンと一緒に朝食を取っていたテファとユンもベルルに気付くと挨拶してくる。
『……ここに座るよろし』と、ユンに言葉少なに手招かれベルルは自然と三人のテーブルに混ざって座った。
ベルルが朝食を女将さんにお任せで伝えると、卵を口に運びながらグリーンが訊ねてくる。
「それで、ベルルは今日もう一度ギルドに登録しに行くんだっけ?」
「はい。今日はちゃんと説明をして誤解を解いて登録してもらうつもりです」
「そうか、登録できるといいな」
「うんうん、頑張れっ」
「……ミルク沢山飲んでから行けば大丈夫だよ……きっと」
特に不安がる素振りもなく純心な瞳で予定を告げるベルルに対し、グリーン達もそれぞれがベルルを応援するような言葉を返す。
いま食堂には、ベルルとグリーン達の他にも何組かの客が席に座って朝食を取っていた。それぞれ男女が入り混じっていたが、皆総じて年若い頃の者達が殆んどだった。
客達は身なりからしてグリーン達と同じく探索者だろうと想像出来た。それも歳から見て大半が探索者になって未だ日の浅い。
昨日とは打って変わって、皆は安心して美味しそうに朝食を食べていた。今朝のセットメニューは炒り卵に野菜スープ、それとパンだった。どうやら、昨晩のポトフ等の凝った料理ではなく朝食の様な当り障りのないものならば安心して食べられるということを客達も解っているのかもしれない。
ちなみに、ブッチ用の朝食はチーズの欠片を出して貰っていた。
ベルルがグリーン達と今日の予定や世間話的なこと喋りながら、二つ目のパンを食べ終えようとした時、
「――あれ? あれって……」
指に乗せた炒り卵をブッチに与えて餌付けしていたテファがおもむろに食堂の入口を見て何かに気付いたように声を上げる。
「?」
ベルルもつられてテファの視線の先を追う。すると、
「リュック?」
そこには昨日ぶりの見慣れたキャスケットが。
キャスケットの主は、此処からでははっきり見えない入口の扉の陰に、壁を背にしてもたれ掛かっているようだった。
キャスケットの隙間からは特徴的な赤い髪が覗いている。
(あれ? 特に約束とかってしてなかったよね?)
昨日の記憶をベルルは思い返すが、特に約束らしい約束はしていなかった筈だ。
一体何の用事だろうと不思議に思いながらも、ベルルは口に含んだ朝食を水で流し込むと席を立った。
「やあ、おはようリュック。 朝から此処で何してるの? もしかしてボクに何か用事だった?」
ベルルがそう、所在無さげに地面を蹴っていたリュックの背後から声を掛けると、それに気付いリュックも振り向く。
「あ、ベルル兄ちゃん。おはよう。朝早くにごめん……ちょっと兄ちゃんに相談したいことがあってさ……」
「相談? なんだろう……大人っぽく見えるコツとかだったらボクじゃあ相談には乗ってあげられないと思うんだけど……」
リュックから相談という言葉を聞いたベルルが意味不明な事を口走る。
「へ……? い、いや、別に大人っぽくとかは別に興味がないっていうか……」
リュックはベルルの戯言を軽く流しつつ続ける。
「……ベルル兄ちゃんは今日もギルドに行く予定なんだよね?」
「うん、一応そのつもりだけど」
「だよね。 で、それについて、話っていうか……提案があるんだけど、ここじゃあちょっとあれだから……」
「? よく分からないけど ……取り合えずボクの部屋で話すかい?」
「うん、ありがとう」
ベルルは、何やら歯切れ悪く要領を得ないリュックを取り合えず部屋に迎えることにする。
ベルルはグリーン達三人に途中で退席する断りを入れた後、リュックを連れて二階の自室に戻った。
部屋にはベッドくらいしか腰掛けるような物がないため、二人はそのベッドに隣り合わせで腰を下ろしていた。
「それで、提案だったっけ? どんな提案なんだい?」
あらためてベルルが訊ねる。
「うん……兄ちゃんはこれからギルドに行って、もう一度登録するんだよね?」
「うん?そのつもりだよ?」
「……その事で……兄ちゃんには言いづらいんだけど、……多分また断られると思うんだ」
「……え」
ベルルの時が一瞬で止まった。
「あ、いやっ――た、多分断られるんじゃないのかなっていうことであって、絶対じゃあないよっ、勿論!」
ベルルのこの世の終わりかのような顔を見てリュックが慌てて言い直す。
「……たぶん……断られる……」
しかしながらリュックのフォローになっていないフォローに、ベルルの顔色が更に悪くなっていく。
ベルルの肩に乗ったブッチも、目を見開き口を半開きにさせたまま固まってしまっていた。
「あ、あの、ベルル兄ちゃん……? 大丈夫?」
「……」
リュックは、突然壊れた人形の様に動かなくなったベルルを心配して覗き込むが、ベルルは虚ろな目のまま心ここに在らずの様子だった。
(まさかここまでショックを受けるとなんて……)
一応想定通りとはいえ、目の前のベルルの落ち込み様を目にして、ちょっと直接過ぎたかもとリュックは若干後悔するが時既に遅し。リュックも最早口火を切ったからには止まれなかった。
リュックは本題となる話切り出す。
「それでさ……こっからが提案なんだけど……一つだけギルドを通さなくても探索者になれる方法があるんだ……」
「え、そんな方法が?」
リュックの切り出した言葉に、ベルルが呆けていた顔をバッと上げた。
「う、うん」
「そうなんだ、そんな方法があったんだね……で、そのギルドを通さない方法ってどうすればいいのかなリュック?」
頷きを返しながらリュックは、さあいよいよこれからだ、とギュッと拳を握る。
ベルルの方は、先程のリュックの話で一瞬愕然とした気持ちに見舞われたがその後の、他にも方法があるという言葉によって新たに光明を見いだしていた。興味深そうにリュックを見詰め話の続きを待っている。
リュックはその方法についてをベルルに教えるために口を開く。
買い物客や通り交う人で賑わう中心街からは外れた裏通りの片隅に、栗色の髪の少年ベルルと赤毛の少年――もとい少女リュックは居た。
そんな裏通りに、とある一軒の建物。
二人はその建物の前までやって来たると、ギィと建て付けの歪んだドアを押し開けた。
ベルルはリュックに続いて建物の中へと足を踏み入れる。
見回してみるが建物の中には誰もいないようで、薄暗さとカビ臭さだけが充満していた。
そんな無人の部屋で、誰に言うともなくリュックが声を上げる。
「――ハンザのおじさん、いる?」
声が二人以外誰もいない部屋に響く。
(誰もいないのかな……?)
声に対し何の返答も無いことからベルルがそんな疑念を浮かべているところ、ややあってから部屋の奥の扉が開いた。
そしてその扉の中から人影が――
「だれだ……ん?……なんだ、お前か……どうしたんだ、何か用か?」
ぬッと姿を現したのは禿頭の熊人間の様な男。男はリュックと面識があるようで、出てくるなりリュックに気付くとぶっきらぼうに言葉を発した。
生えている無精髭の所為で年齢はよく分からないが中年一歩手前といったところだろうか。
そう、二人が此所を訪れたのはリュックの言っていた“提案”が理由であり、またこの目の前の熊の様な男が、リュック曰くその提案を可能にすることができる人物だった。
リュックは、不機嫌そうな強面の男に若干及び腰になっているベルルを余所に、男に対して用件を告げる。
「ちょっとおじさんに頼みたいがあって――」
「……前にも言った筈だが、此処はお前みたいな子供がくるところじゃねえぞ」
そう言って、熊の様な顔を更に厳しくしてリュックを見据える男。
男はチラリと横のベルルに視線を向ける。
「……このボウズは?」
男は探るような視線をベルルに向けたままリュックに訊ねた。
「この人はベルル兄ちゃん。 頼みたいことっていうのは、このベルル兄ちゃんのことでなんだ」
と、リュック。
「ふん……で、ボウズが俺に何の用だ?」
ハンザと呼ばれた男は、変わらず睨むようにベルルを見ながらも用件を訊いた。
訊かれたリュックは一瞬躊躇う素振りを見せたが、ベルルを一瞥すると決心したかのように覚悟を決めて口を開いた。
「その……ベルル兄ちゃんは探索者になるためにこの都市に来たんだけど、年齢制限で引っ掛かって登録出来なかったんだ。それで……」
「そういうことか……。年齢制限に引っ掛かったんなら諦めるしかねえだろうが。 ボウズの実際の歳がどうなのかは知らねえが、此処へ来たってことはどうせ保証人になってくれそうな人間もいねえんだろう。だったら登録出来るようになるまで待つしかねえってことぐらいは、わざわざ俺が言わなくても解ってる筈だが」
目を細め射抜くような視線をリュックに向けるハンザ。
「……うん、それは分かってる」
リュックは神妙な顔で頷く。
「大体、そんな話はよくあることだろうが。そんなことでいちいち騒ぎ立ててたらキリがねえだろうがよ。 それともなんだ、登録出来なかったボウズに同情して世話を焼いてるのか?」
ハンザはチッと舌打って苛立たしそうに言った。
年齢制限の為に、登録したくても出来ない者等ザラにいる。その度に男の所に来られては男も迷惑だと言っているのだ。
そんなことはリュックだって百も承知だった。だが、その上でリュックも引けなかった。
(なんかよく分からないけど、随分深刻そうな話になってる気が……)
当のベルルはというと、一人蚊帳の外状態で成り行きを心配そうに見守っている。
そんなベルルを尻目にリュックは続ける。
「……同情、してないってゆったら嘘になるけど……でも一番の理由は、オレも……“探索者”になりたいんだ」
「えっ?」
「……フン……そんなことだろうと思ったぜ」
リュックの突然の告白に困惑するベルル。
「そっちのボウズは初めて聞いたって顔だが、どうせここに来た本当の理由も話してないんじゃあないのか?」
「……」
ハンザの半ば確信じみた問いにリュックは押し黙る。
「えっと……此処でギルドの代わりに“探索者”の登録ができるんだよね、リュック?」
「うん……」
ここで漸く、今まで成り行きを見守っていたベルルが訊ねるも、リュックはばつが悪そうに返事する。
「――ちっ、やっぱり説明してなかったか。 いいかボウズ、ここで出来るのは探索者の登録じゃねえ。 出来るのはあくまで、ダンジョンを通れるようにすることだけだ。……正確には“偽造探索証”を作ってな」
此処へ来たということの状況をよく把握していないベルルにハンザは簡潔にそう説明した。
「え……? 偽造?」
「……ごめん、ベルル兄ちゃん。……オレ、どうしても探索者になりたくて……」
頭に疑問符を浮かべるベルルに対し、リュックは目を伏せながら謝罪を口にする。
「……オレ、ずっと探索者になりたくて……だけどまだ十一だから出来なくて……その他にも理由かはあるんだけどさ。 そんな時に同じように年齢制限にベルル兄ちゃんが引っ掛かって……それでもしかしたら一緒になってくれるかもって思ったんだ。
……ハンザのおじさんが言った通り、ここは非合法の“探索証”を作ってくれるところなんだ。 ごめんなさい……兄ちゃんを騙すようなことをして」
俯いたまま、ポツリポツリと絞り出すようにリュックは事情を話す。
(なるほど……そういうことだったのか。 えらく都合のいい話だとは思ったけど……偽造かぁ……ふむむっ)
リュックから事情を聞いたベルルは、おもむろに押し黙り考え込む素振りを見せる。
ややあってからベルルはリュックに、
「――リュックはなんでそこまでして探索者になりたいの? やっぱりお金かい?」
と、探索者に拘る理由を訊ねる。
「それは……」
するとリュックは、自分がこの場所――スラム育ちの孤児であることを含め、己の身の上を語り出した。
孤児であること。世話になった孤児院があって、そこには現在も数人の妹弟達が居るのだが、ずっと苦しい経営でいる事。
そして、その院の為に少しでもお金を工面して力になりたい、そう思って年長であった自分を院を飛び出して来たものの、現実はそう簡単ではなく今のままでは自身が生きるので精一杯なのだと、リュックは淡々と語った。
「……自分から望んで出てきたけど、この先もずっとそんな暮らしが続くって考えたとき……今よりもほんの少しだけでもお金が稼げたらって……そうしたらみんなにも、ほんのちょっとだけでも今よりも普通の生活を送らさせてあげられるかもって――だからオレ、どうしてもお金を稼ぎたくて……」
ベルル兄ちゃんを騙すようなことを、とリュック。
リュックの話を黙ったまま神妙な顔で聞いていたベルル。
(リュックは孤児だったのか……確かに言われてみれば)
改めてリュックの身なりを見ると思わず納得してしまう。
(孤児院と子供達の為にか……)
どうしたものかと悩むベルル。
(何とかしてあげたいんだけど……お祖母ちゃんが悪いことはしちゃ駄目だって言ってたしな……)
ベルルはずっと祖母にそう教えられてきた。
人の嫌がる事や人の迷惑になる事はしちゃあいけないと。
(……そういえば、そもそもなんでボクを誘ったんだろう?)
ベルルはふと浮かんだ疑問をリュックに尋ねる。
「ねえリュック。 リュックはなんでボクを誘ったんだい? その“偽造探索証”っていうのさえ作ってもらえば、あとは別にボクじゃあなくてもそういう人は今までだって沢山いたんじゃないのかい? そもそもリュックは今十一歳だったよね。だったら、もう一年待てば普通の手順で登録出来るんじゃないの? なんでこんな危ない橋を……」
そう思ったベルル。
ベルルとは違って、リュックの発育はごく一般的だ。むしろややいいくらいで、ともすれば二歳違いのベルルとそう見た目には差がなかった。
「それは……」
ベルルの疑問にリュックが答えようとしたところで、不意にハンザが割って入ってきた。
「それはそいつが“適応者”じゃあないからだろ。〈マナ〉が扱えなきゃあ“向こう”では用事にならねえからな」
「……うん」
「ああ、そういう……」
リュックの事情を知っているらしいハンザの説明にベルルは納得する。
〈マナ〉――それは“向こう側”に、大気と同様に満ちている元素の一つ。人は、“此方側”にはないその元素に対して適応出来る者とそうでない者があり、〈魔物〉の跋扈する向こう側では後者には危険過ぎるのだ。
ベルルはそう祖母から教わっていた。
つまり〈マナ〉に適応出来ないリュックでは、よしんば一年待って無事登録出来たとしても、向こう側においては探索者としてまともに活動することは難しく――となれば待つ待たない如何にしろ、必然的にパーティーを組んでくれる人選も狭まってしまうのだろう。
誰だって一緒に組むのなら戦力になる能力のあるものがいい。それが探索者などという危険と隣合わせな職業なら尚更に。
そしてそれはリュック側の視点でも同じことが言える。むしろ〈マナ〉の扱えないリュックの方がその問題はよりシビアだ。自身が〈適応者〉でない分、仲間となる人間にはそれを補うくらいの能力を求めるのが普通だから。
そう考えるとやはり、なぜベルルなのか、
「まあ、こいつがなんでボウズを選んだかまでは知らねえがな」
今しがたベルルの思った疑問と同じ様なことを、ハンザは『フン』と鼻を鳴らしながら口にした。
するとリュックは少し言いづらそうに口ごもりながら、
「それは……オレも今までに何度か考えたことはあったけど……いなかったんだ。一緒にパーティーを組むのに信用できる人が。 そもそも“非適応者”で探索者になろうとしてるやつと組んでくれる人間なんて滅多にいないしね。
でも、そんな時にベルル兄ちゃんに出会って……まだ兄ちゃんのことも殆んど知らないけど何となく、この人だったら信用できるんじゃないかなって思ったんだ……」
ちらちらと、上目遣いにベルルを窺いながらそう説明するリュック。
それを聞いたベルルは、
(なぜそんな過分な評価を……)
と、思わずそんな事を考えてしまっていると、
「まあそりゃそうだな。 探索者なんて只でさえ危険な仕事なんだ。 そんな仕事をする以上、最低限組む相手くらいは選ばねえと、とてもやっていけねえわな」
ハンザが、そう当然というように言う。
つまりは、ベルルはリュックのお眼鏡にかなった、ということだろうか。
「むむむ……」
つい擬音を口に出して唸るベルル。
(むむむ、なんて言うヤツ初めて見たな……)
そんなベルルをハンザが、珍妙なものを見るような目で眺めていた。
リュックはリュックで、不安げな視線をベルルに送っている。
何故だかはよく分からなかったが、知らない間にリュックに信頼を寄せられているベルル。ベルルも人である以上、そう思われて悪い気がするわけもなく。出来ればリュックの手助けをしてあげたいという気持ちの反面、祖母の言いつけも守ろうとする気持ちがベルルの中でせめぎ合う。
そんな葛藤の中、ふとリュックを見ると、断られるかもしれないという不安からか、瞳を揺れさせ両手をギュッと握ったままプルプルと小さく震えていた。
(えーいっ、なるようになれ――)
ベルルは決心する。後の事は後の事だ、と。
そもそも、自分は十三歳(自称だが)なのに登録してくれないギルドが悪いと、ギルドを非難しだす始末で。
けれど、それでもはっきりとベルルは言葉にした。
「リュックと一緒に探索者になるよ!」
――それが少年の選択。
そして、これがベルルとリュックとの運命を変えた瞬間でもあることは、この時の二人はまだ知らなかった。




