第四話 いざ都市へ
昼の日差しが照り付ける緑の草原の中に、一つの小さな影があった。
「もうそろそろだと思うんだけどなぁ……」
『チュチュー』
「やっぱりブッチに頼ったのが間違いの元だったかなあ……」
『チュチュッー!?』
『ふぅ』、と溜息をつくベルルに、白いネズミは心外だと言わんばかりに荒ぶる。
育った故郷ともいえる森を抜けたベルルは、地図と老婆から聞いていた話を照らし合わせてひたすらに進んでいた。
が、それも今日で七日目。
未だそれらしき物は見えてこなかった。
それもその筈で、ベルルは目的の都市のある方角とはまるで見当違いの方へと進んでいたのだ。
この大陸は陸続きに広く、そのため老婆の家に元からあった地図もそれに合わせた尺度になっていた。ということは、つまり細かい地形等が殆んどろくに載っていないのである。
元より方向音痴な人間がそんなものを使えばどうなるのかは最早一目瞭然な事だろう。
そんなこととは露ほどにも思わず、いっそ清々しいくらいに自分を信じきっていたベルルは、間もなく見えてくるだろう都市を想像しながら歩き続けるのだった。
ネズミを肩に背嚢を背負い、羽織った外套を時折風に靡かせながら歩くその姿は、キリリと真剣そのものである。
が、何の偶然かそれとも神のお導きなのか、更に暫く歩く続けたベルルの視界に、うっすらとだが人工物らしきものが見えてきた。
「なんか見えてきたっ」
『チュチュッ』
やっと見えてきた都市らしきものに興奮するベルル。ブッチも嬉しさから短い尻尾をしきりに振っていた。
「はぁー。ドキドキするね、ブッチ!」
『チュ、チュチュ!』
ベルルは視界の先に見えるものが当初目指していた都市とは全く違う都市だという事実には毛ほども気付かずに、その高い壁に囲まれた想像以上に大きな建造物を見てブッチと共に、それはもう目を輝かせていた。
「うわぁ…………おっきいねえ……」
「チュチュー」
漸く街に辿り着いたベルルを出迎えたのは、眼前にそびえる巨大な石壁と幾つもの木を使って造られたであろう門だった。
ベルルは改めて間近で見た都市というもの巨大さに思わず感嘆の声を漏らす。
遠くで見るのと近くで見るのとはまるで違っていた。
と、ベルル達がその見事な光景と見入っていると、
「次……おいっ君達」
「――あ、はいっ」
目を奪われていた自分を呼ぶ声にベルルはハッとなる。
目をやると、声の主は門の傍で人の出入りを監督する門番のものだった。
列に並んでいたベルルの入門の順番が回ってきたのだ。
体格のいい門番の男は見定めるような目をベルルに向けながら言う。
「……身分証か通行許可証は?」
「いえ、持っていません。初めてなんです」
「そうか。それならば入税として三〇ペソトかかるが持っているか?」
「はい、大丈夫です。………いち、に、はい三〇ペソトです」
強面の見た目や武骨な口調とは裏腹に、年齢以上に幼く見えるベルルに対しどことなく気遣うような態度の門番。
その彼に、ベルルは腰に下げた巾着の中から三〇ペソトを取り出して渡した。
このお金は老婆がベルルの為にと遺してくれたもので、金額にしておおよそ二〇〇〇ペソトがあった。
ベルル一人なら一か月、節約すれば二か月は暮らしていけるだろうこの金額が今のベルルの全財産だった。
「……うむ、たしかに」
硬貨を確認すると男は、無言で顎をやってベルルを先へ促す。
ベルルもそれに、ありがとうございますと一礼して先へ進んだ。
そうして、外界と内とを隔てる石壁を潜ったベルル達に目に、いざ街の風景が。
「わあぁ……すごい。……人が、建物がいっぱいだあ……」
そうベルルがつい声に出してしまうのも無理はなかった。
視界には、門と同じ様な石造りの建物がひしめくように建ち並び、その合間合間を縫うようにして沢山の人間が横行していた。広い街道、軒を連ねる看板の類い。
ベルルは思わずその喧騒に足を止めてしまった。
(これが街かぁー……)
感動するベルル。
ベルルは街の匂いを肌で感じながら深呼吸した。森で暮らしていたベルルの初めて嗅ぐ匂い。
「――あ、いつまでもここに立ち止まってちゃ迷惑になるよね」
一頻り感動していたベルルだったが、ハッと我に返ってみ自分の居る場所を思い出す。
これ以上突っ立っていてもしようがないと、土地勘も当ても何も無いまま取り合えず足を進めた。
「はぁー……へぇー……ほぉー……」
賑わう人の波の間をぶつからないようにちょこちょこと歩くベルル。それでも視線はしきりに周囲に向けられていた。
ブッチも絶えず耳と鼻を動かしている。
しかし、物見遊山に興じているだけにはいかない。
なにしろベルルは今日都市を訪れたばかりで、夜を過ごす場所すら決まっていないのだから。
(取り合えず泊まる処……宿を探さなきゃいけないよね……宿ってどういう建物がそうなんはだろう……?)
街中の交差路で一度立ち止まった
ベルルは宿らしきものを探そうと周辺の建物を見回した。
老婆からこういった街には大体宿があるという話は聞いていた。と、その時、ベルルの前に小さな影が差した。
「おい、兄ちゃん――」
(……やど、宿は、っと……)
「――おいっ、兄ちゃんってば」
(……あ、あれかな? いや違うか)
「おいっ! 無視するんじゃねえ!」
「え? あれ、子供?」
思考に浸っていたベルルが何度目かの自分を呼ぶ声に漸くその視線を向けると、そこには腰に手をあてて頬を膨らませたベルルよりも少しだけ小さな子供がいた。
「あれ、じゃないよ! さっきから呼んでるのにさ……まあいいや。 兄ちゃん、この都市は初めてなんだろ? だったらオレが案内したげるよ!」
やにわにそんなことを提案してきた子供。言って威勢良く『へへっ』と鼻を擦る。
年の頃はベルルよりも一つ二つ下だろうか。キャスケットと呼ばれるような帽子を頭に被り、その帽子の間から赤い髪が覗いていた。
一拍置いてからベルルは少年の言った言葉を理解する。
「え、案内……って、君がしてくれるの?」
「だから、そう言ってるじゃん。 そんな見て分かるくらいにお上りさんしてるんだ。どうせ宿とかの場所も分からないんだろう? だからオレが案内してあげるよ」
「いや、たしかにその通りなんだけど……」
突然の事につい面食らってしまうベルル。右も左も分からないベルルにとっては有り難い申し出ではあるのだが。
見ると、目の前の赤い髪の子供は、短いざんばら髪に加えて衣服も継ぎ接ぎや汚れが少々目立っている。
(どこの子なんだろう)
ベルルがつい子供を前にしてそんなことを考えていると、
「よっし! じゃあ決まりだね。 どこでもオレが案内するよ! じゃあ早速だけど、兄ちゃんは何か探してたみたいだったけど、何を探してたの?」
ベルルが返事もしてないうちに何故か案内を引き受けていた赤髪の子供がベルルに訊ねる。
「……うーん、まずは宿かな」
何となく流れに乗せられてしまった感は否めないが、まあいっかと気にしない事にしたベルルは、顎に手を当てて僅かに考えた後で少年にそう告げた。
「うんうん、なるほど、宿だねっ。了解だよ! ちなみに予算は? 宿っていっても街にはいくつもあるから、もし要望があるんだったら、予算とか出来るだけ条件にあったところを紹介するよ。 兄ちゃんどうせ出稼ぎに来たんだろうから安い方がいいんじゃないの?」
「う、うん、そうだね。 あまり余裕があるわけじゃあないから、出来るだけ安い処でお願いできるかい?」
「うん、任せといてよ!」
馴れた様子で話を進める少年に、ベルルはやや気圧されつつも頷いた。
少年の言う通り、まだ金策の当ても決まっていない以上、祖母の遺してくれたお金は大事にしたかったから。
『じゃあ案内するよ!』とせっつくように早速行動を開始しようとした少年だったが、思い出したように振り返ると、
「――あ、そうだ。兄ちゃん名前はなんてゆうんだ? ちなみにオレはリュックだよ」
と屈託ない笑顔で名乗った。
「ボクはベルルだよ。 あとこっちのネズミはブッチっていうんだ。よろしくね、リュック」
「うん、よろしくね!」
歯を見せて笑ったリュックにブッチも片手を器用に上げて返事をする。
「ここだよ、兄ちゃん。 この“ルフナの宿”が、この街のまともな宿の中じゃあ一番安い宿になるよ」
案内されること暫くしてやってきたのは、こじんまりとした一軒の二階建ての建物だった。
「わあ、これが宿かぁー……」
見上げて声を漏らすベルル。
ベルルが人生で初めて訪れようとしている“店”というものに対して少しばかりの緊張をしていると、そんなものを関係無しにリュックが
背を押してくる。
「何してんさ、オレはここで待ってるから早く行ってきなよ兄ちゃん、ほらほらっ」
「わ、分かったよ……だから押さないで」
急かされながら扉を開けて足を踏み入れると、建物の中――一階は食堂のようだった。
(食堂になってるんだ。ここで泊まった人達が食事をとるのかなぁ)
なるほど、と一人感心していると、奥から一人の女性が客であるベルルを出迎えに出てきた。
「いらっしゃいませ。ようこそ“ルフナの宿”へ。 お客様はお食事ですか?」
「あ、えっと、宿泊でおねがいしたいんですけど……」
「ご宿泊ですね、ありがとうございます。 それですと……今は大部屋が一杯で空きが個室のみになっていますけど構いませんか?」
「はい、大丈夫です」
「解りました。それならお一人様で二五ペソトになります。あと、お食事はついておりませんので一階で別途注文して頂くか外でとって頂くようになりますが構いませんか?」
「あ、はい、大丈夫です。それでよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げるベルル。
説明を聞いて、なるほど安いなとベルルは思った。食事がついていないということだが、それを差し引いても相場よりも安い良心的な値段だろう。
道すがらリュックから聞いた話だと、個室の場合一泊食事付きで四〇~五〇ペソトが相場のようだった。
どちらにせよ、資金にあまり余裕のないベルルにしてみれば有り難い限りだ。
「ふぅ、取り合えず野宿はしなくて済んだや」
少々大袈裟かもしれないが、リュックに出会わなかったら一人で宿屋までこぎ着けられたかも怪しい。
(リュックに感謝だなぁ)
取り合えず心配事の一つ減ったベルルは心なしか余裕のできた面持ちで宿から外に出る。
「部屋はとれた、ベルル兄ちゃん? オレがどうかした?」
ベルルが外に出ると、手持無沙汰そうに地面を蹴っていたリュックがパッと気付いて少動物のように駆け寄ってくる。
「うん。ちゃんと取れたよ。リュックの言う通り良い部屋だった。 ありがとうリュック」
「――へへっ。いいってこと」
礼を言ったベルルに、リュックは照れくさそうに鼻を擦るものの、直ぐに自分の役目を思い出してベルルに訊ねる。
「それじゃあ次はどこに案内すればいい?」
「うーん……そうだね。 次はギルドっていう所に案内してもらおうかな……この都市にもある?ギルドって」
「勿論あるよ、ギルド。 了解、次はギルドねっ」
ベルルが宿の次に選んだのは『ギルド』だった。
生前に祖母から教えてもらった知識の中の一つにギルドがあった。
ギルドとは様々に存在する職業をそれごとに纏め、その業務を円滑に運営出来るよう管理する都市運営組織のことだ。
もしベルルが一人立ちする時や都市に赴く際には、何の仕事をするにしてもこの“ギルド”を利用することになるだろうと考えて老婆がベルルに話していたのだった。『困った時はこのギルドを頼りなさい』と言う風に。
ベルル自身も少なからず興味を抱いており、いつかは行ってみたいと思っていた。
「ギルドはここからだとちょっと距離があるから、はぐれないようにしっかりついてきてよっ。ベルル兄ちゃん」
「うん、置いてかれないよう頑張るよ」
人混みの中、元気よく駆け出すリュックをベルルは追いかけた。




