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みなしごベルル  作者: 春野ただじ
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第二話 予兆

 灼銅の風景。


 黒の太陽の照らす地上を、くすんだ錆色の風が吹き荒れる。ありとあらゆるものを砂に変え、塵に変えて。

 灼熱の毒の空気は、血の通う肉を、生命すらも霧に変えてしまう。生きとし生けるもの全てに対し。


 其処は渇いた死の大地。闇よりも深く、空よりも近くにある混沌。


 その暗い深淵で、もうすぐ消え行く存在があった。

 “堕ちて”なお強大な力を持ったそれは、金色の瞳を暗闇の空へ向ける。此処ではない空の何処かへ。


 金色の瞳が閉じる時――その空の何処かで黒の星が生まれ出づる。



 ◇◇◇◇◇



 「おばあちゃーん、行ってくるねーっ」


 春の麗らかな日差しのもと、

 元気よく手を振ってみせる少年がいた。一見普通の(、、、、、)どこにでもいる少年。


 昔の面影のまるで消えた少年は、この数年で立派に成長していた。少年の手を振る先、老婆の元で。玄関では両手に木編みの籠を持った老婆が優しい顔で少年を見送っている。

 成長したとはいっても老婆にとってはまだまだ可愛い子供に変わりなかった。


 「はいはい。気をつけるんだよベルル。あんまり遠くまでいかないようにね」

 「はーいっ」


 老婆の声に少年はいつものように明るく返事を返す。


 「ブッチ、ちゃんとベルルを見ていてあげるのよ?」

 『チュチュ!』


 いつものように小さな相棒にも声を掛けることを忘れない老婆。

 少年同様――立派に丸く成長した白いネズミも定位置の少年の肩に乗ったまま、二本足で立って胸を張る。

 一人と一匹は今日も今日とて日課の散策に足取り軽く向かう。


 少年が老婆と出会ってはや十年近くの歳月が過ぎようとしていた。


 正確な歳は定かではないが少年は今で一応十三歳、ということになっている。

 これは名前と共に老婆が少年につけてあげたものだった。


 出会ったとき少年は、その身には何一つ纏わずただ本能のままに森を徘徊していた。さながら薄汚れた黒い獣の様な風体であった。

 しかも驚くべきことに、少年は未だ小さく普通の人間(・・・・・)でいえば三つ頃の幼児といってもおかしくはない子供だったのだ。

 ただでさえ小さな子供が、それも一人で森の中に。しかもその子供は、普通の子供ではなく異形の姿をしていた。

 だが老婆はそんな子供を引き取った。怖れることも気味悪がることもなく。

 二人の時間はその日から今日までに至る。


 初めは言葉も話す事ができなかったため後で分かったことだが、少年――ベルルは所謂捨子であった。

 老婆が出会った頃のその見た目から悪魔憑きとして忌まわれ、生まれて間もなく親から捨てられたのではないか、と老婆はベルルの僅かな記憶を元に考えていた。

 ベルルが覚えていたのは、両親らしき人がいたというそれだけだった。


 老婆は、なにか理由あってのことなのか、人気のない森の奥のその中にまるで隠れ住むように一人住んでいた。

 老婆は其処で何一つ人間らしいことを知らない少年に様々なことを教えた。時には叱り、時には笑い合い、優しく慈しみを持って暖かくベルルを見守ってきた老婆。

 そして少年も、まるで実の祖母のような存在の傍で、健やかに心優しく育っていった。



 「おばあちゃん今日は一匹も釣れなかったけど、明日は一杯獲ってくるから期待しててね」


 手に持った木製のフォークを持ったベルルが、庭の畑で育った芋を頬張りながら老婆に話し掛ける。


 「あらそう。うふふ、じゃあ期待して待ってるわ。 明日はご馳走ね」

 「うん!」

 「でもあんまり遅くならないようにね? ベルルは一生懸命になるとすぐに時間のこと忘れちゃうから、ブッチが気をつけてあげてね?」

 『チュチュッ!』


 老婆に水を向けられると、ブッチという名のネズミが芋をかじる手を止めて威勢良く手を上げ、任せろと言わんばかりに答える。


 「あはは。 そんなこと言ってブッチはいつも眠てるじゃない」

 『チュチュチューッ』


 からかうベルルにブッチは心外だと言うように抗議する。


 「あらあら、喧嘩はだめよ」


 夕食に蒸かし芋と山菜と干し肉のスープという献立を囲んだ二人と一匹の食卓は、いつものように賑やかだった。



 「あらベルル。まだ起きてたの?」


 居間で編み物をしていた老婆がそう言って、部屋に入ってきた未だ小さな孫のような存在に柔らかい笑みを向ける。


 「うん、なんか眠れなくて」


 老婆お手製の可愛らしい寝間着を着たベルルは、部屋に入って来るなりそう言いながら、老婆の腰掛けた簡素なソファの隣に座った。

 寝室では、ネズミがご馳走の夢を見ながら爆睡している。


 「そう。じゃあまたお勉強する?」

 「うん、えへへ」

 「うふふ。ベルルは相変わらずお勉強好きね」


 勉強と聞いて嬉しそうな顔をするベルル。

 森の家では、夜にこうして二人での勉強会がしばしば行われていたのだった。


 木の簡素な小屋のような家の一室で、仄かに明る光源の中隣り合わせに座り書を覗く二人。


 「ねぇ、おばあちゃん。“探索者”ってこの世界の色んな場所に行けるんだよね?」

 「そうだよ。遠くの地やまだ誰も行ったことのない場所を探索するのが“探索者”。 でも最近は、“魔石”の収集が探索者の主な役割りになっているみたいだけど……もう今の時代は魔石無しじゃあ何もできない世の中になっているからね」

 「うん」


 ふんふんと頷きながら純心な瞳で老婆の話に耳を傾けるベルル。


 「そうだよ。この家だけでいっても、あのランプだって毎日の料理で使うお湯だって魔石を使った“魔道具”だろう?」


 室内を照らす明りを指して言う老婆。


 「うん」

 「だけど魔石は暮らしを豊かにする分調達が難しいんだけどね。だからその為に“探索者”なんていう仕事があるんだけどねぇ」

 「魔石は『マナ』を吸収した魔物の体の中にあるんだよね」

 「そうさね。――覚えてるかいベルル?」


 と、老婆が促す。


 「うん、覚えてるよ――この世界に存在する“オド”と“マナ”。

 オドは空気のようにただそこに漂い、マナは恩恵として魔石を生み出す――だよね?」

 「ふふ、ちゃんと覚えてたねぇ」


 自慢気に言ってみせたベルルを老婆は目を細めながら撫でながら訊ねる。


 「ベルルは探索者になりたいのかい?」

 「う~ん、ちょっと興味はあるかな? でもあんまり危ないこともしたくないけど」

 「ふふふ、そうさね。 探索者は実入りがいい代わりに危ないことも多いからね」


 老婆は、そうは言いつつもベルルの褐色の瞳の奥にある興味心に気付いてはいたが、それに触れるようなことはせず優しく微笑んだ。

 そんな老婆にベルルは、


 「ボクはこのままおばあちゃんと一緒に暮らせるのが一番いいよ」


 と、含みのない笑顔で言うと、


 「ふふ、そうかいそうかい」


 老婆は顔に刻まれた皺を深くして頷き、ベルルの栗色の髪を愛おしそうに何度も撫でた。



 そんな暖かな日々のある日。


 台所に立つ老婆がいつものように夕食の準備をしていた時。

 台所に立っていた老婆が突然ふらりと崩れ落ちた。


 「――おばあちゃんっ!?」

 『チュッ?』


 その日、偶々手伝いをしていたベルルが、崩れる老婆を見て慌てて支える。

 抱き抱えたベルルが老婆の顔を見ると、老婆の顔は血の気が引けて真っ青に染まっていた。


 「……あらら……どうしたんだろうね……立ち眩みかな、ふふ……」


 血の気の引いた冷たい肌のまま、何でもないように言う老婆。

 だが、何でもないことは明らかだった。ましてや長年傍にいたベルルには。


 「おばあちゃん大丈夫……? どこか具合いが悪いんじゃ……」

 『チュゥ……』


 泣きそうに顔を歪め心配するベルルとネズミ。

 老婆はそんなベルルの栗色の髪をいつものように優しく撫でると、


 「……よっこらせっ……と。ありがとうねベルル、それにブッチも」


 と、体をゆっくり起こした。


 「おばあちゃん無理しちゃ駄目だよっ」

 「なに、ちょっと目眩がしただけだから、少し座っていればすぐ治るさね」

 「でもっ……」

 「だから、夕食をよそうのを手伝ってくれるかいベルル? ちょうどできあがったところだからね」


 尚も心配するベルルに老婆は笑ってみせる。


 「おばあちゃん……」

 「あらあら……そんな顔しなくても、お婆ちゃん本当に何ともないから、ね? それよりもほら、早くしないとせっかくの温かいスープが冷めちゃうわよ?」

 「……うん。でもボクがやるからおばあちゃんは座ってて」

 「はいはい、じゃあお願いしようかしらねぇ。ふふ」


 ベルルに強引に椅子に座らされて老婆はそれに従った。

 老婆の言う通り、何でもないちょっとした立ち眩みであれば何も問題ない。

 が、その立ち眩みもここ最近でもう何度目かになることをベルルは知っていた。


 それでも、少し休めば良くなるのだと、その内に今日のような倒れた事など忘れて元気になるのだとベルルは信じたかった。



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