奥に潜むもの
「さて」
俺はミーシャの元へ近づいた。
<総魔完全治癒>をかけておいたが、傷は治っていない。
次第に効いてくるとは思ったが、なかなかどうして、この神殿を覆っているのは<四属結界封>とは比べものにならぬほど強力な結界だ。
<四界牆壁>をもってしても、その影響を完全に防ぎきれないのだからな。
「あの奧か」
扉から漏れ出てくる神聖なる光に魔眼を凝らす。
魔力の余波だ。それだけで、俺の魔法を制限するとはな。
恐らく、あの奧にあるのは、俺の想像通りのものだろう。
「……行って……」
ミーシャが呟く。
「……わたしは大丈夫……」
俺が神殿の奧を気にしているのがわかったか、健気にもミーシャはそう言った。
「待ってる」
「余計な気を回さぬことだ。お前より優先するものなどない」
<四界牆壁>で扉を塞ぐ。
それでも、なお光はうっすらと漏れてきている。
一旦離れた方が治療するのは早いだろう。
その前に、<破滅の魔眼>で近くにあった真っ白い聖水球を一睨みする。
水が弾けるように飛び散り、中からエレオノールが現れた。
「……ごめんね、アノス君。助かったぞ……」
エレオノールは歩こうとして、しかし、足に力が入らないのか、そのまま倒れ込む。
彼女の体を腕で支えてやった。
「あ……」
「無事か?」
エレオノールはうなずく。
「あ、ありがと」
さして傷を負っているようには見えない。
閉じ込められていただけだろう。
「こ、こら……あんまり見るんじゃないぞ……」
エレオノールは一歩下がり、自らの体を隠すように抱く。
彼女は裸だった。腕からは隠しきれぬ平和の証が覗いている。
ふむ。どういうわけかは知らぬが、このままでは、さすがに不憫か。
「無事なようでなによりだ」
彼女の体に指を伸ばす。
「えっ……? ちょ、ちょっと……」
指先を鎖骨の辺りに触れた。
「じっとしていろ。勇者学院の制服の形は覚えておらぬ。お前の体に聞く」
エレオノールに<創造建築>の魔法を使う。
その体に魔法陣が展開され、次の瞬間、彼女は勇者学院の制服を纏っていた。
「わお……あ、ありがと……」
俺はミーシャのもとへ行き、彼女を抱き抱えた。
「ディエゴ先生は?」
「滅びた。根源ごとな」
「……え?」
いつもはのほほんとしているエレオノールも、さすがに深刻な顔になった。
そうして、周囲に魔眼を向ける。
根源を直接見られる彼女だ。ディエゴの根源が完全に消え去ったことも理解しただろう。
「……すごいんだ、アノス君は……」
少々、意外な反応ではあった。
「師を殺されて、吐いた言葉がそれでいいのか?」
僅かに彼女は目を伏せる。
「ぜんぶ、ボクは知ってるんだ。ディエゴ先生が、みんなに<根源光滅爆>の魔法を仕掛けたことも……ぜんぶ……」
暗い表情でエレオノールは言う。
「この勇者学院の生徒で、ボクだけが唯一、勇者たちの正しい歴史を知ってる。ぜんぶじゃないけどね……。でも、そんなの、誰も信じないんだぞ。勇者カノンが人間に殺されたって言っても、頭がおかしいと思われるだけ……」
教科書には載ってないわけだしな。
当然の反応とも言える。
「アノス君だって、ボクの言ってることおかしいと思わない?」
「奇遇だな」
そう言うと、エレオノールはきょとんとした表情を浮かべた。
「なに、俺も魔族の歴史が書き換えられて難儀な思いをしていたところだ。真実を口にしても、信じぬ者ばかりでな」
それを聞き、エレオノールははっとした。
「……暴虐の魔王の名前……」
もしかしてといった風に、彼女は呟く。
「アノス・ヴォルディゴードだ。二千年経ったら、アヴォス・ディルヘヴィアというどこの馬の骨かもわからぬ魔族の名に変わっていたがな」
呆然とエレオノールは俺の顔を見る。
「信じられぬか?」
「うぅん。おかしいと思ってたぞ……だって、アノス君は、強すぎる……強すぎるなんてものじゃないぞ……。それなのに、殆どの魔族がアノス君を認めていないから。すごく歪な光景で……」
呟くように、自分に言い聞かせるように、彼女は言葉を漏らす。
「でも、その歪さはボクには少し、覚えがあった……」
正しい歴史が、真実が認められぬ。
エレオノールも俺と同じ経験をしたことがあるのだろう。
「アノス君が、暴虐の魔王?」
「ああ」
「……どうして、勇者カノンを探していたの?」
「約束したからな。今度生まれ変わったときは、友になろうと」
「……そっか……そうなんだ……嘘じゃなかったんだ……」
納得したようにエレオノールが言う。
「お前に聞きたいことは山ほどあるが、今はミーシャの治療が先決だ。死にはしまいが、痛むだろうからな」
俺の腕の中でふるふるとミーシャが首を振る。
気丈なことだ。
尚更、このままにはしておけぬ。
「それと勇者学院の生徒をどうにかしなければな。あいにく魔法の時間を止める<時間操作>の効果は長続きしない。放っておけば、あいつらは全員根源爆発を起こすだろう」
「わかった。それはボクがなんとかするぞ」
「ほう」
一度発動した<根源光滅爆>は、火の入った火薬庫のようなものだ。時間を止めて無理矢理押さえつけてはいるが、正常に戻すとなると至難の業だ。
「できるのか?」
「根源魔法は得意なんだぞ」
人差し指を立て、エレオノールは言う。
「体は?」
「大丈夫だぞ。さっきまではちょっと魔法になってたから、すぐにはうまく歩けなかっただけ」
魔法になっていた、か。
それが一番気になるのだが、まあ、込み入った話になりそうだからな。
ともかく、勇者学院のことは彼女に任せて問題あるまい。
「ならば、急ぐことだ。一日は持つだろうが、あの人数全員の根源を元に戻すとなれば、時間がいくらあっても足りないだろう」
「うん」
エレオノールは走って神殿の外へ向かう。
「あ、アノス君」
思い出したように立ち止まり、彼女はくるりと身を翻す。
「明日、放課後になったら話せるかな? アノス君に頼みたいことがあるんだ」
「構わぬ。だが、勇者学院に授業をしている余裕があるとは思えぬが」
なにせ学院長のディエゴが消えたのだからな。
まあ、殺された現場は見られていない。魔物の死体が一つ残されているだけでは、彼が死んだと見抜ける者もいまい。
明日の段階ではまだ行方が知れぬといったところだろうが、学院交流の授業をする教師がいないのではな。
「大丈夫だぞ。今日はディエゴ先生がいなくてバタバタすると思うけど。たぶん、明日から授業は普通にあると思うから」
代わりの教師がいるということか。
まあ、授業のことはどちらでもいいだろう。
「では明日な」
「うん。ばいばい」
手を振って、エレオノールは神殿から去っていく。
<転移>を使い、俺はミーシャが作った魔王城の内部へ転移した。
ここなら、回復魔法も効くだろう。
<総魔完全治癒>を使い、彼女の傷を癒していく。
「ふむ」
光の聖剣エンハーレに刺された傷はそれなりに深いが、それよりもあの神殿の奧から漏れていた光の影響が厄介だな。
エンハーレでつけられた傷を通り、ミーシャの根源へ入り込んで、彼女の魔力を浸食している。これでは思うように魔法が使えず、動くことさえままならないだろう。
「……少し楽になった……」
俺の腕の中でミーシャが微笑む。
「心配するな。すぐに動けるようになる」
「心配はしてない」
彼女はまっすぐ俺を見つめた。
「アノスがいるから」
「そうか」
こくりと彼女はうなずく。
「神殿の奧」
ぽつり、とミーシャが呟く。
「……強い魔力が見えた……エウゴ・ラ・ラヴィアズより……」
そこまで深淵を覗いていたとはな。
それもあって、なお聖なるものに浸食されたのかもしれぬ。
「……わたしの間違い……?」
「いや、番神は神の中では中位程度だからな。あそこに置いてあったものが、エウゴ・ラ・ラヴィアズより強かったとしても、不思議はない」
「なにがあった?」
「恐らくだが」
ミーシャの問いに、俺は答える。
「霊神人剣エヴァンスマナ」
八八本ある聖剣の中で最上位に君臨するもの。
暴虐の魔王を滅ぼすためにもたらされた伝説の剣だ。
勇者は見つからないのに、聖剣だけ出てきましたっ。