二千年の憎悪
ミーシャは神殿の前に転移した。
<魔王軍>の魔法線を通して、俺とミーシャはつながっている。
遠見の魔眼が届かぬ場所も、彼女の魔眼を通して見ることができる。
きょろきょろとミーシャは辺りを見回すが、エレオノールの姿はない。
――こっちだぞ――
微弱な<思念通信>が届く。
ミーシャはその魔力の発信元を辿り、神殿へ魔眼を向けた。
ぱちぱちと二度、彼女は瞬きをする。
その神殿の異質さを感じとったのだろう。内部から魔力は感じられない。中にいるはずのエレオノールの魔力さえ、まるで見えないのだ。
「待ってて」
ミーシャは神殿の扉に手を当てる。
<施錠結界>の魔法で施錠されていた。
――開けられる?――
「大丈夫」
ミーシャはその魔眼を<施錠結界>に向ける。魔法の鍵を外すにはその魔法構造、魔法術式を正確に分析しなければならないが、彼女にとっては造作もないことだろう。
すぐに<施錠結界>の解析を終え、ミーシャは<解錠>の魔法を使った。
いとも容易く魔法の鍵は外れた。
ミーシャは扉に手をあて、強く押す。
ギィ、と錆びた音を響かせ、それは開いた。
「…………」
中に入ると、ミーシャは少し体が重たそうにした。
彼女は頭を振り、前へ進む。
柱が立ち並ぶ神殿の奧には厳かな両開きの扉がある。
地面と天井、壁に魔法陣が描かれ、大量の水の球体が、宙に浮かび上がっていた。
聖水で作られたものだ。
部屋の中央に浮かんだ大きな聖水球、その中にエレオノールがいた。
彼女は全身から魔力を放つように光り、その輪郭はぼやけている。
体に纏うようにいくつもの魔法文字が浮かび上がり、彼女の周囲を漂っていた。
「あれ、ミーシャちゃんだ……?」
俺が来たと思っていたのか、不思議そうにエレオノールは言う。
「アノスの代わり。わたしじゃだめ?」
「うぅん、大丈夫だぞ」
エレオノールはそう笑った。
「ボクをゼシアのところへ連れていってくれる?」
「……彼女を止める?」
「うん。ボクにしか止められないから。ごめんね、今は自分の力じゃ動けないんだ」
ミーシャが首をかしげる。
「魔法を使ってるから?」
「正確にはボクが魔法だから、だぞ」
ミーシャはぱちぱちと瞬きをした。
エレオノールが口にした意味がわからなかったのだろう。
だが、すぐに言った。
「つれていってあげる」
ミーシャはエレオノールに近づき、聖水球の中へ手を伸ばす。
そうして、彼女に触れた。
<転移>を使うつもりなのだろう。
足元に魔法陣を描く。
「勝手な真似をされては困るな」
神殿の入り口から声が響き、光の砲弾が飛んできた。
<聖域熾光砲>だ。
「氷の盾」
ミーシャが一瞬にして巨大な氷の盾を<創造建築>で構築する。
即席の盾の強度は知れている。光の砲弾の前にそれは脆くも崩れるが、壊れたそばから彼女は次々と氷の盾を創り続けていく。
<聖域熾光砲>の破壊力を、ミーシャの<創造建築>の創造速度が上回り、光の砲弾はやがて消滅した。
「ルール違反」
ミーシャが呟く。
神殿の入り口に姿を現したのは、勇者学院の学院長ディエゴだった。
「舐めた口を叩くな、魔族が。ここはガイラディーテ、ルールは私が決めるのだ。言っておくが、ここで起きたことは外には漏れぬぞ」
再びディエゴが<聖域熾光砲>を放つ。
今度はミーシャではなく、神殿奧に向かって。
聖なる砲弾は、厳かな扉に吸い込まれていった。
次の瞬間、その扉に魔法陣が浮かび上がり、輝く光を発し始める。
「開け、聖なる門よ。かの封印を解き放て」
ゆっくりと両開きの門が開いていく。
そこから、膨大な魔力とともに、神々しい光が漏れる。
それは、白く、白く、どこまでも白い――
魔の存在を一切許さぬ神聖なる輝きだった。
「ミーシャちゃんっ!!」
エレオノールが悲鳴のような声を上げる。
神聖なる光がミーシャの反魔法を貫通し、彼女の体に突き刺さる。
ミーシャは苦しげにその場に膝を折った。
「この聖域では、魔族の力は無に帰す。<転移>はおろか、反魔法を纏うことすらできないだろう。助けは来ぬということだ」
「だ、だめだぞっ! ディエゴ先生っ! ミーシャちゃんにひどいことしたら、許さないぞっ!!」
「失敗作は黙っていろ」
ディエゴがそう口にすると、エレオノールの周囲の聖水球が真っ白に染まる。エレオノールの姿は見えなくなり、彼女の声も聞こえなくなった。
「さて」
ディエゴが手を伸ばす。
すると、そこに光が集い、剣の形になった。
ゼシアが持っていたものと同じ、光の聖剣エンハーレだ。
「お前の仲間がずいぶんとオレたちをコケにしてくれたようだが」
薄暗い表情を浮かべながら、ディエゴはミーシャのそばに立った。
「覚悟はできているのだろうな、薄汚い魔族が」
エンハーレの刃を、ディエゴはミーシャの頬に当てる。
奧の扉から漏れる光の影響か、彼女は身動きひとつとれない様子だ。
「貴様らに殺された人間の恨みを思い知るがいい」
「……殺してない……」
ミーシャの言葉がかんに障ったか、ディエゴは表情を歪める。
「人間と魔族が戦ったのは二千年前。今は平和。みんな生きてる」
「時間が経てば、忘れると思ったか、このドブネズミがっ!!」
ディエゴがミーシャの顔面を思いきり蹴り飛ばした。
「……っ……」
床に転がったミーシャに向かって、彼は聖剣を握り締め、ゆっくりと歩いていく。
「壁を作り、互いを隔て、千年経てば忘れるだと? すべてなかったことにして平和に暮らせと? ああ、なんと……貴様らの始祖の、なんと傲慢なことか。忘れぬ。決して忘れぬ。千年経とうと、二千年経とうと、貴様らの犯した罪がなくなると思うなっ!!」
ディエゴがエンハーレを振り上げ、ミーシャの胸に突き刺した。
血が噴き出し、彼女の魔力が消えていく。
「……事故じゃ、すまない……」
ミーシャが呟く。
学院別対抗試験中であれば、たとえ死んだとしても事故で処理できる。
だが、元々対抗試験のメンバーでもない人間が、ましてや教師が生徒を殺したとあっては大問題だ。
「それがどうした? 元々貴様ら魔族には誰か一人に死んでもらう予定だった。いや――」
狂気に染まった笑みを浮かべ、ディエゴは言う。
「蘇生もできぬよう、根源もろとも、消えてもらうのだ。さぞ魔王学院の連中は怒り狂うことだろうな」
ミーシャを突き刺したエンハーレの先端に光の魔法陣が現れる。
<聖域熾光砲>の術式が描かれていた。
「恨むなら、貴様の祖先を、暴虐の魔王を恨むがいい。薄汚い魔族よ」
エンハーレの先端に光が集束する。
「<聖域熾光砲>ッ!!」
恨みを込めるようにディエゴが魔法を唱える。
その次の瞬間、エンハーレの剣身が黒いオーロラに飲まれ、消え去っていた。
その漆黒の光は、ミーシャを守るように、その全身を覆っている。
「……な……に…………?」
「見覚えがあるか? 二千年前、世界を四つに分けた壁、<四界牆壁>だ」
<転移>で転移した俺は、ディエゴの肩をつかんでいた。
「…………聖……域では……魔族の魔法は使えぬはず……」
「ほう。では、試してみるか?」
一瞬、息を飲む静寂がこの場に訪れる。
ディエゴがくるりと体を反転させると、<聖域熾光砲>を放った。
「死ねいぃっ、魔族がっ!!」
それを<破滅の魔眼>でかき消すと、俺は奴の顔面をわしづかみにした。
「ぐぅ……ぐおぉっ……!!」
ぐっと指に力を入れると、ミシミシと奴の頭が軋む音が聞こえる。
「つまらぬ小細工を弄そうと、策略を巡らせようと、好きにすればいいがな。お前たちが修正した歴史通り、人間が魔族より上だということを見せつけたいだけならば、平和なものだ。勝手に悦に入っているがいい」
ディエゴの体内に魔法陣を描き、そこに魔力を込める。
「だが、お前は今、なにをしようとした?」
ディエゴが俺の腕を両手でつかみ、振り払おうとする。
だが、びくともしない。
「……だ、ま、れ……」
「なにをしようとしたと聞いている」
ディエゴの体内に直接、<四界牆壁>を叩き込む。
「ぐ・あ・あ・ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
闇のオーロラに飲み込まれ、ディエゴは影も形もなく消滅した。
人差し指を親指の爪で軽く切り、俺はそこに血を一滴垂らす。
<蘇生>の魔法でディエゴの体が蘇生された。
「……な………………」
呆然とこちらを見つめるディエゴに、俺は言った。
「なにを勝手に死んでいる? 俺の前で、死さえ自由になると思うな、愚かな人間」
学院長、お前はエミるぞ。