愛の魔法
<魔黒雷帝>に飲み込まれ、真っ黒な灰と化したそこに、俺は声を飛ばす。
「いつまで死んだフリをしている? せっかく反魔法も使わずに隙を見せているのだから、さっさとかかってきたらどうだ?」
すると、黒い灰が目映い光に包まれる。
灰を吹き飛ばすようにして、レドリアーノが立ち上がった。
「やれやれ、さすがの慧眼ですね。不意をつこうと考えたのですが、見抜かれましたか。どうやら、あなたとは正々堂々、本気で戦わなければならないようですね」
レドリアーノは眼鏡に手をやり、それを外した。
途端に奴の魔力が膨れあがる。
「言っておきますが、勇者学院の序列1位と2位は、3位以下とは別格です。このように魔法具で力を封印しておかなければ、大きすぎる魔力に自らの身さえ滅ぼしてしまうのですから」
レドリアーノが目の前に魔法陣を描く。
そこに巨大な魔力が集中した、その直後である。背後に殺気を覚えた。
光の聖剣が振り下ろされる。
脳天を狙ったその剣身を俺は右手で受けとめていた。
「力を解放するのを目くらましにして、もう一人が俺の不意をつくか。なかなか潔い正々堂々っぷりだな」
エンハーレの剣身をつかんだまま、俺はゼシアを思いきり地面に叩きつける。
「……っ……!!」
ドゴォォォンッと地面が割れ、大穴が空くも、ゼシアは剣を放さない。
聖剣を奪われれば、勝ち目がないというのをわかっているのだろう。
「ふむ。なかなか頑丈だな」
再度、右手を振り上げ、勢いよく地面に叩きつけてやるも、穴が空くのは地面ばかりで、ゼシアは無傷の様子だ。
「無駄ですよ。聖剣の加護と彼女の反魔法、二重に張り巡らせた彼女の防御結界は、そうそう破れるものではありませんっ!」
レドリアーノは地面に手をかざす。
すると、そこに小さな水たまりができた。
「護りたまい、癒したまえ。聖海護剣ベイラメンテ」
水たまりがふうっと宙に浮かび上がり、それが剣の姿へと形を変える。
大海を思わせる青き聖剣がレドリアーノの手に収まった。
俺はそこに軽く<魔黒雷帝>を放った。
「<聖海守護結界>!」
レドリアーノが全身に魔法結界を纏う。
<魔黒雷帝>が直撃するも、聖剣を盾に彼は踏みとどまった。
「<聖海守護障壁>!」
結界にレドリアーノは魔法障壁を重ねがけする。
「<聖海守護呪壁>!」
更に魔法障壁に魔を阻む聖なる呪いを重ねがけする。
「護りたまえ、聖海護剣。古より生命を守護せし、ベイラメンテ。汝の力、汝の意志を、ここに見せよっ!!」
聖剣の力を全開放し、レドリアーノは重ねがけした魔法障壁の力を数十倍に増幅させる。
「――はああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ベイラメンテを振り払い、彼はまとわりつく漆黒の雷撃を弾き飛ばす。
ドゴォォンッと周囲の建物が<魔黒雷帝>によって粉砕された。
「魔法一発で終わると思いましたか? 人間を舐めてもらっては困りますよ」
すぐさまレドリアーノは地面を蹴る。
ベイラメンテを構え、俺に向かってきた。
「ゼシアのエンハーレを封じたつもりかもしれませんが、反対にあなたの右手が塞がっていますっ!!」
「ふむ。なかなかの魔法障壁だ。それならば申し分あるまい」
俺はエンハーレの剣先をつかんだまま右手を振り上げる。
次の瞬間、レドリアーノは目を見張った。
「な…………」
レドリアーノのベイラメンテを打ち払うように、俺はエンハーレを握ったゼシアの体ごとその刃に叩きつける。
「さあ。序列1位と序列2位、どっちの魔法障壁が頑丈だ?」
ドッ、ガァァァァァァンッとレドリアーノとゼシアが衝突し、二人は数メートルほど吹っ飛んだ。
「ふむ。なるほど。序列1位の方が固いというわけだ」
激突の瞬間、ゼシアはエンハーレの柄を放した。
光の聖剣の威力をそのままぶつけられては、レドリアーノがただではすまなかったからだろう。
だが、これでようやくゼシアの根源を探れる。
俺が魔眼を向けたそのとき、目映い光がまたしても彼女の根源を覆い隠す。
光の聖剣エンハーレがゼシアの手元にあった。
「ほう」
俺が握っていたエンハーレは光と化して、すうっと消えていった。
ゼシアが喚んだのか?
いや、違う。
今、確かにエンハーレは二本に増えた。
その後に、俺の持っていた方が消えたのだ。
「……ゼシア、アレを使います。奴はわたしたちが格下だと侮っています。本気を出していない今こそが勝機。一気に片付けます」
ゼシアはこくりとうなずく。
そして、二人は足元に聖なる魔法陣を展開した。
ひどく懐かしい魔法術式だ。
二千年前の勇者が、俺と戦うとき、必ず行使していた。
「<聖域>か」
人々の心を一つにし、その希望や願いを魔力に変換することのできる大魔法だ。
『がんばれっ、ジェルガカノンッ!』
水中都市に、声が響いた。
沢山の声が。
『アゼシオンの希望っ! 世界平和の象徴っ!』
『よそ者に負けるなっ』
『いつも通りっ、圧勝するところを見せてくれっ!』
対抗試験の様子が伝わっているのか、聞こえてくるのはガイラディーテの住人たちの声援である。
「……さすがは、転生者といったところでしょうか……。どうやらこの魔法もご存知のようですね。しかし、昔のことには詳しいかもしれませんが、あなたは人間を侮りすぎている。二千年前と今とでは決定的に違うことが一つあります」
街中から溢れた光が、ゼシアとレドリアーノに集う。
二千年前の勇者がそうしたように、二人は<聖域>を体に纏った。
「二千年前、大戦により犠牲者が増え続けたガイラディーテの人口は約一〇万人。平和になり、湖の外にも街を拡大し続けた現在、その人口は百倍の一千万人ですっ!!」
<聖域>の光を聖剣に集め、ゼシアとレドリアーノは左右から俺を睨む。
「人々の応援がある限り、我々ジェルガカノンは絶対に負けませんっ! 見せて差し上げます。そして、あなたは思い知ることでしょう。力しかない、強いだけの魔族とは違い、人間には心があるということを。この愛は、二千年前、我々の祖先である勇者カノンが世界に平和をもたらしたことで、更に大きく広がったのです」
世界が平和になり、人の人口は増えた。
人の想いも、愛も、それだけ増えたと言いたいわけか。
「二千年前は、魔族と人間は互角だったかもしれませんが、この平和があなた方とわたし共に決定的な差をつけたのですよ。かつて暴虐の魔王を倒した勇者の力が、今は百倍です。もう二度とあなた方は人間に太刀打ちできない。この平和な世で、魔族に勝ち目などあるわけがないのですから」
ふむ。その平和をもたらしたのは俺なのだがな。
といっても、聞く耳は待つまい。
「この愛こそが、二千年前も、今も、我々人間に勝利をもたらすのですっ!」
二千年前なら、ガイラディーテの人間共を先に始末しているところだが、対抗試験でそれをするのもな。
奴らのことだ。ただ応援しているだけの住人に手を出したと、言いがかりをつけてくることも十分に考えられる。
そもそもだ。
奴らのプライドをへし折ってやらねばつまらぬ。
「愛だの、なんだのと、的外れなことを言う奴だ」
ふっとレドリアーノは俺の台詞を鼻で笑う。
「まだおわかりになりませんか? だから、あなたは負けたのです。寿命の長い魔族が、転生に追い込まれたことこそ、人類の愛が勝利した証左に他なりません。転生で頭が鈍っているのでしたら、もう一度、それを思い出させてさしあげましょうっ」
二人の勇者が同時に地面を蹴った。
左から聖海護剣ベイラメンテが突きを繰り出し、右から光の聖剣エンハーレが袈裟懸けに斬り下ろされる。
それらに対して、俺は聖なる光を両手に纏い、真っ向から受けとめた。
「な……んですって……? これは…………?」
レドリアーノの表情が険しく歪んだ。
俺が使ったのは<聖域>の魔法だ。
「どうした? 魔族に愛がないとでも思ったか?」
驚きをあらわにしていたレドリアーノだったが、すぐに冷静さを取り戻したように、鼻で笑った。
「愚かなことをなさるものです。いくら魔法行使ができたとしても、魔族に心は、愛はないのですから。あなた方にあるのは、他者を欲する醜い欲望、嫉妬や憤怒、怠惰だけです。それは歴史が証明していますし、それを愛などとは決して呼びません」
勇者学院の教育の賜物か、よくもまあ、そこまで思い込んだものだ。
「それでは、<聖域>の真の力を使いこなすことはできない。そもそも、こちらは一千万人。百人にも満たない魔王学院の応援など、質でも量でも圧倒的に凌駕しています」
「一千万か。それがどうした? こちらは八人で十分だぞ」
<思念通信>で俺は彼女たちに話しかける。
「ミサ。そちらはどうだ?」
「はい。水中都市に入り、ジェルガカノンを捜索中ですよー」
「しばらくそこで待機するがいい」
「え、はい。わかりました」
「エレン、聞こえているな?」
「は、はいっ、アノス様」
「ジェシカ」
「はいっ!」
「マイア」
「い、いますっ!」
「ノノ。シア。ヒムカ。カーサ。シェリア」
名を呼ぶ毎に彼女たちは大声で返事をする。
「一つ、応援合戦をすることになった」
ファンユニオンは俺の言葉を心して聞いている。
「向こうは一千万人いるそうだが、なに、取るに足らぬ。お前たちの俺への想いが、たかだか一千万人分以下とは到底思えぬからな」
<思念通信>の向こう側は静まり返っている。
だが、強い決意が微弱な魔力の変化を通して伝わってくる。
「歌え。お前たちの愛を俺に寄越すがいい」
そう口にした瞬間だった。
俺が纏った<聖域>が荒れ狂う竜巻の如く立ち上り、天地をつなぐ光の柱と化していた――
一千万人VS八人……さすがにこれは……だが、それでもファンユニオンなら、きっとファンユニオンなら……!