二本の聖剣
黒き稲妻の直撃を受けたラオスたちは広場から彼方に吹き飛んでいき、建物に衝突してようやく止まった。
黒コゲになり、地面にひれ伏した彼らは、最早戦闘の続行さえ困難といった有様だ。
しかし、次の瞬間、その体が目映い光に包まれる。
回復魔法だ。
「ふむ。あの四人が<四属結界封>を維持していると思ったが、違うようだな」
<四属結界封>は魔族の力を削ぎ、人間の力を高める。回復魔法はその効果の一つだろう。この結界内にいれば、死なぬ限りは何度でも瞬時に傷が癒えるというわけだ。
結界魔法は結界を維持するため、常に術式に魔力を送り続けなければならない。あの四人が<四属結界封>を使っていたなら、<魔黒雷帝>の一撃で結界が解かれたはずだ。
「結界を構築しているのは他の生徒?」
ミーシャが俺に問いかける。
「そのようだ」
「探す」
ミーシャがそう口にすると、氷の魔王城が広場に完成していた。
地面には無数の氷の結晶が描かれ、それらが道となったように水中都市に広がっている。氷の道からは氷の樹木や花、建物が生えており、城下町を形成している。
ミーシャは魔王城に指先を当て、魔眼を凝らす。
<創造建築>で作られた氷の城と街は、言わば結界だ。その全域にミーシャの魔眼は行き届いている。
<四属結界封>を構築している術者を探しだし、無力化するつもりなのだろう。
「見つからない」
ミーシャの魔眼から逃れるとは、なかなかの術者だな。
「でも、わかった」
淡々とした口調で彼女は言う。
「ジェルガカノンの生徒たちの中で、わたしから姿を隠せているのは一人だけ」
ふむ。さすがはミーシャといったところか。ジェルガカノンの生徒の人数と顔を頭に入れていたのだろう。つまり、見つからないその一人が、<四属結界封>を作っていると考えて間違いあるまい。
「誰だ?」
「エレオノール」
なるほど。
まあ、根源を直接見られるほどの奴だからな。
四種類の属性魔法を同時に展開する<四属結界封>を、一人で行使していても不思議はないか。
「任せて」
「なかなか手強いぞ」
序列はレドリアーノたちより下のようだが、実力まで下とは限らぬ。
なにせ俺とて不適合者なのだからな。
「がんばる」
ミーシャは左手の指輪を掲げ、氷の城下町に魔力を注ぐ。
<四属結界封>と魔王城、互いに姿を見せぬ場所で、魔法結界の出来を競うというわけだ。
なかなかどうして、見物だな。
「……ち……まったく、化け物にもほどがあるぜ……<四属結界封>がなけりゃ死んでたかもな」
広場から離れた場所で、さっきまで黒コゲになっていたラオスが、何事もなかったかのように立ち上がる。
「……やんなっちゃうなぁ。魔族のくせに結界魔法が効かないなんて、あいつ、ちょっとずるくない……?」
同じく彼方に吹っ飛んだハイネが身を起こす。
「つってもよ……どれだけ強かろうと、こっちは何度やられたって関係ねえからな。あいつが息切れするまで、何度でもつき合ってもらうとしようじゃねぇか」
「残念だけど」
空から少女が舞い降り、ラオスの前に立ち塞がる。
ミーシャが魔王城を完成させた今、魔族に対する<四属結界封>の効果はほぼ相殺されている。
「あなたみたいな雑魚、アノスの手を煩わせるまでもないわ」
サーシャはスカートの裾をつかみ、優雅にお辞儀した。
「ネクロン家の長女にして、七魔皇老が一人、アイヴィス・ネクロンの直系、破滅の魔女サーシャ・ネクロン。覚えておきなさい。今からわたしが、あなたを絶望の淵に叩き込んであげるわ」
ラオスが臨戦態勢に入るように、拳を構える。
「はっ! 上等じゃねぇの。おい、ハイネッ。混沌の世代の一人が現れやがった。ちょっくら遊んでいくからよ、先にレドリアーノと合流しといてくれ」
ラオスが<思念通信>を飛ばす。
「いいけど、さっさと片付けて来てよね。じゃないと、ぼくたちだけであいつを倒しちゃうからさぁ」
「それは無理じゃないかな」
ハイネが視線を険しくする。
ついさきほどまで、彼の目の前には誰もいなかった。
魔法を使った形跡もない。
だというのに、まるで瞬間移動でもしたかのように、白髪の魔族がそこにいた。
「君たちは彼に勝てないよ。君たちだけじゃない。彼には誰も勝てないと思うよ」
爽やかな笑みを携え、レイは一意剣シグシェスタを抜いた。
「へーえ、黒服で七芒星なんだ、お兄さん」
愉快そうにハイネが唇を吊り上げる。
「知ってるよ、混沌の世代の一人。練魔の剣聖、レイ・グランズドリィだよね? ずいぶんと剣が得意なんだって」
「それほどじゃないけど、君よりはね」
カチンときたように、ハイネの笑みが凍りつく。
「だったらさぁ」
ハイネが大聖地剣ゼーレを振りかぶる。
深緑の刀身に聖なる魔力が集った。
「このゼーレを、防いでみなよっ!!」
ハイネが思いきり聖剣を振り下ろす。
その刹那、レイの手元が煌めき、閃光が走った。
「…………え……?」
ゼーレを持ったまま、ハイネの右腕が切断され、宙を舞っていた。
ハイネには斬られた瞬間を把握することさえできなかっただろう。
「そんな腕じゃ、剣が泣いているよ。せっかく良い剣なのにね」
「……このぉぉっ……ただの配下のくせにっ、ムカつく奴だなぁっ……!!」
<四属結界封>の効果で、すぐにハイネの右腕は再生する。
彼は足元に魔法陣を三門描いた。
「知っているよ、練魔の剣聖、君の弱点は。魔法が苦手なんだってね。それに、君のクラス、見たところ魔剣士だよね? 身体能力が向上されて、そりゃ僕よりも速く動けるのかもしれないけど、その分、苦手な魔法が更に使えなくなるんでしょ?」
「そうだね」
爽やかな笑みを浮かべ、レイは言う。
「なに笑ってんのさ。ムカつくなぁ。馬鹿なのかな? わからない? つまり、君はさ、ぼくたちの結界魔法を防ぐ術はないってことなんだよっ!!」
ハイネの足元から水が湧き出る。聖水だ。
そこから彼は魔力を吸収する。
「<地震結界>っ!!」
ドドッ、グガガガガガッとハイネの半径三〇メートルほどの範囲だけ、地面が不自然に震動する。
地震により魔族の足を縛り、力を奪う結界魔法だ。
「ほら、動けないでしょ、お兄さん。いくら剣の腕があったって、それだけじゃね」
激しい地震の中、ハイネは悠々と歩き、大聖地剣ゼーレを拾う。
「もう一ついいものを見せてあげるよ」
そう口にし、ハイネは左手を掲げた。
そこに聖なる光が集い、魔力の剣が実体化していく。
「おいで。ぼくのもう一つの聖剣。大聖土剣ゼレオ」
ハイネは右手に大聖地剣ゼーレを、左手に大聖土剣ゼレオを握る。
「教えてあげるよ。ゼレオでつけた疵痕を、ゼーレで斬り裂けば、その疵痕は聖痕になる。そうしたら、もう回復魔法が効かないんだ。斬られた人はみーんな助けてくれって泣き叫ぶんだよ。きゃはははっ」
彼は歪な笑い声を上げる。
「そんなこと言われたって治せないんだけどね。だって、聖痕の治し方なんて知らないんだもん」
ハイネは無造作にレイのそばまで近寄り、双剣を構える。
「ほら、言ってごらんよ。ぼくがこの聖剣を一番うまく使えるんだって。そうじゃないと、お兄さん、大変な目にあっちゃうよ?」
舐めるように彼はレイを見つめた。
「ハイネ君だったっけ?」
「うん、そうだけど?」
「やっぱり、君の剣は泣いているよ」
一意剣シグシェスタが煌めく。
ハイネの左腕が斬り飛ばされ、ゼレオが地面に突き刺さった。
「……あぁっ……痛……このぉ……な……んで…………!?」
驚いたようにハイネが飛び退く。
左腕はすぐさま再生した。
「……どうしてだよっ……!?」
レイが一歩足を踏み出す。
涼しい顔で彼は言った。
「どうかした?」
「どうして<地震結界>の中で動けるんだっ……!? 大した反魔法だって纏ってないのに……!」
「君が<地震結界>の中を自由に動けるのは、聖なる魔力を持っているからだと思ったからね。だから、僕も聖なる魔力を使うことにした」
ハイネが表情を歪ませる。
「この魔剣、一意剣は思うがままに変化する。だから、試しに聖なる魔力を放つように思ってみたんだ。うまくいってよかったよ」
一意剣からは聖なる光が溢れ出ている。
剣身一体と化したレイは、その恩恵を受け、魔族でありながらも<地震結界>の影響を受けないということだ。
「あ、そう。ふーん。だけどね、そんな偽物の聖剣じゃ、ぼくには勝てないよ?」
「じゃ、本物を使おうか」
レイは地面に突き刺さった大聖土剣ゼレオを手にする。
その瞬間、ハイネは笑った。
「あっははははっ! なにやってるの、お兄さん? いいけどさ、魔族が聖剣を使ったら、体が浸食されて大変なことになるよっ? さっきの3回生の人が聖水を使おうとしたところ、見てなかったの? あれぐらいじゃ済まな――」
ハイネの右腕が、レイの手にした大聖土剣ゼレオによって、斬り落とされていた。
「うぎゃああっ、あ、あぁぁぁ……!!」
悲鳴をあげ、斬られた腕を押さえながら、彼は後退した。
「……どうして…………? どうしてだよっ。そんなはずないっ!」
後退するハイネの後を、レイは追う。
「戻っておいで、ぼくの聖剣。真の所有者のもとにっ!!」
再生した腕を伸ばし、ハイネは言った。
しかし、なにも起こらなかった。
彼の表情が絶望に染まる。
「……なんでっ……!?」
「この聖剣は僕のことが気に入ったみたいだね」
「どうして戻ってこないんだよっ! ゼレオッ! おいっ、お前、聞いてんのか?」
だが、聖剣がハイネに応えることはない。
どちらが所有者に相応しいのか、聖剣が選んだのだ。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だっ……こんなの嘘に決まっているっ! それは……それは聖剣なんだよっ……? ただの聖剣じゃない……大聖土剣は、ジェルガカノンでも、ぼく以外の勇者には使えないのにっ……!! 魔族が使っていいものじゃないんだっ!!」
ハイネがゼーレを振り下ろす。
魔力の剣撃がレイを襲うも、彼はこともなげにゼレオでそれを斬り裂いた。
「……な…………!?」
「君はよくわかっていないようだからね。聖剣の使い方、教えてあげようか」
大聖土剣ゼレオをレイは地面に突き刺す。
「……ふっ!」
地面に突き刺したゼレオを一閃する。
瞬間、まるでくり抜かれたかのように広大な範囲の大地が浮き上がった。
地面ごと体をひっくり返され、ハイネの体が宙を舞う。
「……う、わあぁぁ…………!!」
まるで意志持ったかのように、土砂や石、木々がハイネに襲いかかった。
そのどれも大聖土剣によって魔力が与えられ、彼は反魔法と魔法障壁でそれを防ぐのがやっとの様子だ。
「こんな……ゼレオにこんな力があるなんて……ぼくは知らな――」
ハイネが驚愕したように目を丸くする。
レイは一意剣を鞘に収め、代わりに地面に落ちた大聖地剣ゼーレを手にしていた。
「ゼレオの疵口をゼーレで斬り裂けば、回復魔法が効かない聖痕ができる、だったかな」
「なんでだよっ、ありえないよ……。こんなのありえないのにっ。聖剣を二本同時に操れるようになるまで、ぼくが何年修行したと思ってるんだっ!! 魔族なんかにできるわけが――!」
一呼吸の内に二本の剣が煌めいた。
「うっぎゃああぁぁぁぁっっ!!!」
斬り落とされたハイネの両腕に聖痕ができていた。
「……く、くそぉぉっ……くそおおおぉぉぉっ……!!」
ハイネは聖痕部分に魔法陣を展開し、腕ごと聖痕を斬り落とそうとする。
だが、聖痕は疵口に留まらず、みるみるその範囲を拡大していく。
「……なんでっ!? おかしいだろぉっ。こんな力はゼレオとゼーレにないんだよっ……!? ぼくの聖剣になにをしたんだっ!?」
「元々この聖剣にはこれだけの力があった。君が使いこなせていなかっただけだよ」
「だ、黙れよっ! くっそぉぉっ……こんなはずが……ぼくが負けるわけ…………ぼくが、魔族なんかに負けるわけがないんだぁぁぁっ!!!」
ハイネが全魔力を込め、<地震結界>を使う。
一意剣を鞘に収めたレイは影響を受けるはずだと判断したのだろう。
だが、彼が二本の聖剣を地面に突き刺した瞬間、いとも容易く<地震結界>は止まった。
「これが、正しい使い方だよ」
ぐさり、とハイネの体が四四本の刃に串刺しにされていた。
「うっ……ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁ…………!!!!」
甲高い悲鳴が辺りに響く。
地面に突き刺したゼーレとゼレオの剣身が、地中で四四本に増殖し、伸びるようにして再び地面から出てきたのだ。
その疵口はすべて聖痕に変わっていた。
回復魔法が効かない以上、<四属結界封>の影響下でもその傷が癒えることはない。
「……あぁぁ……た、助け……痛い……あぁぁっ……治らな……どうして、ぼくがこんな目に……ああぁぁっ、痛いっ……!!」
あまりの痛みに耐えかねた様子で、ハイネはただただ悲鳴を上げる。
「お、おいっ。お前っ! こ、降参してやるよっ! だから、早く治せっ! これはただの対抗試験で、こんなことしていいと思ってるのか?」
不遜な物言いをするハイネに対して、レイは爽やかな笑みを見せた。
「残念だけど、ぼくは魔法が苦手だからね。降参したなら、邪魔はしないから自分で治せばいいんじゃないかな?」
「……馬鹿っ……できないんだよっ……!! あ……あぁぁっ、痛いっ……痛いよぉぉっ……助け……助けてよぉぉっ……!!」
「そんなに痛いかな? 大した傷には見えないけどね。世の中にはもっと地獄の苦しみがあると思うけど」
「……そんなのどこにあるっていうんだよっ……!!」
レイはにっこりと笑う。
「さあ。なんとなくそう思っただけだよ」
彼は踵を返す。去っていく背中にハイネは言った。
「お、おいっ、待てよっ……どこいくんだっ!! 助けてくれっ! 助けっ、助けてよぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」
水中都市にハイネの悲鳴がどこまでも遠く響き渡った。
もしかして、レイって結界の外で待っている必要なかったんじゃ……。