一〇八八の結界
レドリアーノたちが、干上がった湖へ向かう。
「おい……お前ら……」
未だ驚きの色を隠せない様子のディエゴが、かろうじて声を絞り出す。
「大丈夫ですよ、ディエゴ先生。アレを使います」
レドリアーノが言う。
「待て。勝手な真似は許さんぞ」
「あそこまで馬鹿にされて、黙ってられないっしょ」
ラオスが指をポキポキと鳴らす。
「そこで見ててよ。あいつをコテンパンにしてくるからさ」
ハイネが飛び降りると、レドリアーノ、ラオスがそれに続く。緋色の制服を纏ったジェルガカノンたち全員が湖の底に着地した。
「待たんかっ。オレは許可していないぞっ。勝手に学院別対抗試験を始めていいと思っているのかっ」
「それでは只今より、勇者学院選抜クラス『ジェルガカノン』対魔王学院1回生クラス、アノス班による、学院別対抗試験を始めます」
ディエゴの代わりに、<思念通信>で開始の合図を飛ばしてきたのは、メノウだ。
「祖先の名誉と誇りを汚さぬよう、正々堂々と戦ってください」
「メノウ先生、勝手な真似は謹んでいただきたい」
「あら? 先程ご自身で3回生の後にジェルガカノンと対抗試験をするとおっしゃったでしょ? それとも、負けるのが怖いからやめておくってことかしら?」
「そういうことではなく、湖の結界がなくなった以上、ガイラディーテに被害が及ぶことも考えられる」
ディエゴの台詞の途中で、俺は干上がった湖の蓋をするように大規模な反魔法と魔法障壁を展開した。
「さっきよりも安全にしてやったぞ」
そう<思念通信>を送ってやる。
「反魔法を展開しながら戦うのは、うちの生徒の方が不利だと思うけど、これだけハンデをあげても、まだ逃げるのかしら?」
忌々しそうにディエゴがメノウを睨む。
「好きにしろっ」
ディエゴは吐き捨てるように言い、今度はジェルガカノンへ<思念通信>を送る。
「おい、レドリアーノ。目的はわかってるだろうな? やるからには手段を選ぶな。絶対に勝て。二度と舐めた口の利けん体にしてやれ。いいなっ!」
「承知しました」
<思念通信>が切断される。
「さて」
俺は再び魔法陣を一門展開する。
「あのね、わたしの分を残しておきなさいって言ったでしょ」
サーシャが隣でぼやく。
「それはあいつらに言ってほしいものだな」
先程と同じ規模の<獄炎殲滅砲>を放つ。
巨大な漆黒の太陽が発射され、水中都市を焼きつくさんばかりに降り注いだ。
「<四属結界封>」
突如、水中都市の東西南北に出現したのは巨大な四つの魔法陣。
それぞれが、水、火、土、風で作られたものである。
四つの魔法陣が反魔法となり、それぞれの魔法陣の効果を相乗的に増幅している。
<獄炎殲滅砲>はその力の前に威力を減衰し、食いとめられている。
バチバチと黒き太陽と結界が衝突する音が鳴り響き、その余波で暴風が吹き荒れる。
瞬間、人影が跳躍し、光が走った。
漆黒の太陽が二つに割れる。輝く光に照らされ、それはすうっと消滅していく。
<獄炎殲滅砲>を斬り裂いた人影が着地する。
遠見の魔眼が捉えたのは、一人の少女。
紫の髪を後ろでまとめ、手には輝く光の聖剣を携えている。
「ふむ。結界の力で<獄炎殲滅砲>の威力を減衰させたとはいえ、ああも容易く斬り裂くとはな」
そういえば、勇者学院の序列1位にはまだ出会っていないな。
順当ならジェルガカノンにいるだろうが、あの少女がそうか?
「なかなか面白そうだ」
「で、どうするの? もっと強力な<獄炎殲滅砲>でぶっ飛ばす?」
サーシャがじとーと睨んでくる。
「そうしてやってもいいが、これ以上威力を上げると加減ができんな。根源もろとも吹き飛ばしてしまうかもしれぬ」
戦争ではないのだ。
学院別対抗試験でそこまでするわけにはいかないだろう。
「乗り込むぞ」
ゆるりと足を踏み出し、水中都市に向かい歩いていく。
「魔王城は建てない?」
ミーシャが言う。
「見たところ、水中都市に張り巡らせた結界は範囲が狭い分、強力だ。四つの異なる属性の結界を多重に展開することで、魔を封じる力を高めているのだろう。俺の<獄炎殲滅砲>がある以上、あそこからそうそう出ては来ないはずだ」
魔王城を建てて待ち構えても膠着状態に陥るだけで埒があかぬだろう。
「でも、あの中で戦うのは不利よね? たぶん、リーベスト班と同じ目にあうわ」
「術者を無力化すれば、結界は消えるんじゃないかな」
爽やかな微笑みを浮かべながら、レイが言った。
「たぶん、カノンの転生者だって言う彼らが術者だと思うけど」
「でも、術者は中にいるでしょうから、どのみちあの結界の内側で戦わなきゃいけませんよね?」
ミサが真剣な表情で言う。
ファンユニオンの少女たちがうなずく。
「水中都市の中心に魔王城を建てる?」
ミーシャが提案する。
「魔王城の地形効果で水中都市の結界の効果を相殺する」
水中都市全域に及ぶ魔王城を作れば、術者次第ではあるが、結界の効果を相殺できるだろう。魔力によっては、こちらが有利な状況にも持っていける。
「でも、そんな地形効果に特化した魔王城を建てるのって時間がかかるんじゃない? 結界の中で魔法を使うことになるわけだし」
こくりとミーシャはうなずく。
「三分で創る」
「なら、それでいくか。三分の間、ミーシャと魔王城は俺が守る。他の者は結界の外側で待機。魔王城が建ったら、サーシャ、レイは中に入って結界を張っている術者を倒せ。ミサたちは残りの雑魚を片付けろ」
「了解」
「わかったわ」
レイとサーシャが言う。
「あ、アノス様に恥をかかせられないし、ちゃんとタイミングを見計らなきゃ……」
ファンユニオンのエレンが深刻そうな顔で拳を握る。
「大丈夫ですよ-。そんなに緊張しなくても、魔王城が建ったのは一目でわかりますから」
ミサがそう言うと、
「そうじゃなくて、応援歌のタイミング」
「……あ、あはは……歌わない方がいいと思いますよー……」
ふむ。レイたちはともかく、いきなりでファンユニオンは気後れするかと思ったが、いつもの調子とはな。
なかなかどうして、肝がすわっている。
「機会がくれば、存分に歌え。お前たちはお前たちの流儀で敵の心をへし折ってやれ」
「……は、はいっ!!」
俄然やる気を出したように、エレンたちはうなずいた。
「なら、先に行くぞ」
ミーシャに手を伸ばすと、彼女の指先が俺に触れる。
遠見の魔眼で目的地である水中都市の中心に視線をやった。
<転移>を使い、俺たちは転移した。
風景が一瞬真っ白に染まり、やってきたのは広場である。
ここなら魔王城を建てるのに申し分ないだろう。
結界の影響は感じるが、まあ別段問題あるまい。
「<創造建築>」
ミーシャは祈るように左手を握る。
薬指の<蓮葉氷の指輪>から氷の結晶がいくつも現れたかと思うと、それらが魔法陣を構築し、キラキラと輝き始めた。
「氷の城と街」
広場に氷の結晶が広がる。
凍りついた地面が天に伸びるようにして氷の魔王城が形成された。
だが、まだ未完成だ。
なおも、<創造建築>の魔法は止まらず、氷の結晶は数を増し、水中都市の地面という地面を覆いつくしていく。
「へーえ。<四属結界封>の影響下でそんなに大規模な魔法が使えるんだ」
広場に姿を現したのはハイネだ。
「しかし、まだ未完成のようですね」
続いてレドリアーノがやってくる。
「んなもん、俺たちの陣地にむざむざと建てさせると思ってんのか?」
ラオスが姿を現す。
「…………」
そして、最後、無言で俺の前に立ったのは光の聖剣を携えた、先程の少女だ。
「<四属結界封>とやらがあったとはいえ、俺の<獄炎殲滅砲>を完全に消滅させるとは見事だ。お前の名を訊いておこうか」
俺がそう口にするも、少女はなにも答えない。
「失礼。彼女は喋れませんので、代わりにわたしが答えましょう。勇者学院序列1位。選抜クラス『ジェルガカノン』所属、勇者カノンの第四根源の転生者、聖風の再臨騎士ゼシア・カノン・イジェイシカ」
序列1位。こいつが四人目の転生者か。
エレオノールが四人と言っていたのは、教師を除いての話というわけだ。
しかし、ふむ、我ながら珍しい。
こいつの根源は深淵が覗けぬな。
「なかなか良い聖剣を持っているな。名はなんという?」
「光の聖剣エンハーレです。すべての魔を拒絶し、無に帰す剣の前には、その建てかけの魔王城など一刀両断してしまうことでしょう」
カノンかどうか確かめたかったが、まずはあの聖剣をどうにかしなければならぬようだな。俺の魔眼をその光で暗ましている。
「ねえ、レドリアーノ。お喋りはもういいからさ」
ハイネが手をかざす。そこに魔法陣が浮かび上がった。
「魔王城ができる前に、片付けちゃおうよっ」
レドリアーノ、ラオス、ゼシアが同じく魔法陣を展開する。
「<四属結界鎖>」
四方から地水火風の魔法陣がミーシャが作りかけの魔王城めがけて飛んでいく。
「ふむ。俺を片付けるのではないのか」
反魔法を展開し、<四属結界鎖>を阻む。
その瞬間だ。魔法陣は砕け散り、俺の両手両足に魔法の鎖が結ばれていた。
それぞれ、地、水、火、風の属性を持った鎖である。
「ふむ。どうやら<四属結界封>は聖呪魔法の効果もあるようだな」
勇者どもの使う聖なる呪いだ。
<四属結界封>の内部ではその呪いにより、こちら側に不利な事象を起こさせる。
たとえば、魔法を反魔法で防ぐのをきっかけに呪いが発動し、このように魔法の鎖でつながれてしまうなどだ。
「強がるのはそこまでだよ、お兄さん。<四属結界鎖>につながれて、お兄さんの力も魔力も十分の一以下になっているからね」
ハイネはその手を頭上に掲げる。
「おいで、ぼくの聖剣。大聖地剣ゼーレ」
手の平に光が集い、深緑の輝きを放つ聖剣が出現する。
「ふふふ、命乞いをした方がいいんじゃないかなぁ? 助けてくださいってさ」
「ふむ。命乞いか。いいぞ、そこで頭を下げれば許してやろう」
四肢を<四属結界鎖>につながれながらも、俺はハイネを見下してやる。
「あのさ」
ハイネが不快そうに表情を歪ませる。
「そういう冗談は嫌いなんだよねぇっ!!」
ハイネが地面を蹴り、みるみる接近してくる。
大聖地剣ゼーレを大上段に振りかぶり、思いきり振り下ろす。
聖なる魔法斬撃が俺に直撃し、光の粒が辺りに拡散するように弾け飛んだ。
「ふふふ、あはははっ。どうだい? 実力も出せずにやられる気分は? なーんて、もう聞こえてないか」
「なかなか良い剣だ。魔を封じる<四属結界鎖>も、聖剣なら斬るのは容易いというわけだ」
聖剣の斬撃を利用して、魔法の鎖を断ち切った。
「…………!?」
辺りを覆っていた光の粒が完全に消え、俺の姿が見えるようになる。
俺が無傷なことに彼らは唖然とするばかりだ。
「せっかく敵を捕らえたのなら、もうちょっと攻撃手段を考えることだ」
「……うるさいなっ! だったら、斬れるまでやるまでだよっ!! レドリアーノッ、ラオス、ゼシアッ!」
「わかっておりますよ」
再び四人は、それぞれ、地水火風の魔法陣を展開し、魔王城へ射出した。
「ほら、反魔法で防ぎなよっ。魔王城をやられるわけにはいかないでしょ?」
「ふむ。そうだな」
俺は反魔法を展開し、その魔法陣を阻む。
「ほらっ、じゃ、次は今よりももっと強い魔法斬撃で……な…………」
ハイネが言葉を失う。
俺の四肢は鎖につながれていない。反魔法で防ぐことによって発動する<四属結界鎖>が、発動しなかったのだ。
「……そんな、なんで…………」
「この俺に同じ攻撃が二度通じると思ったか」
一歩足を踏み出す。
恐れ戦くようにハイネは後ずさった。
「そんな……ぼくたちの魔法が……魔族を倒すために、毎日毎日苦しい思いをして鍛えあげた魔法が、こんなに簡単に破られるなんて――」
ハイネは芝居がかった様子でがっくりと膝をつき、拳を地面に叩きつける。
「――なーんて、言うとでも思った?」
ふむ。見抜かれていると、これほど恥ずかしい行為もないな。
顔を上げ、嘲笑するような表情で彼は大地に魔法陣を展開した。
残りの三人も同じように大地に魔法陣を描いている。
「<四属結界檻>」
大地が動き、土が盛り上がり、俺の周囲をまるまる覆っていく。
「わたしどもとて、同じ魔法が何度も通用するとは思っておりませんよ。同じ攻撃が二度通じないとは大した魔眼と分析能力ですが、あなたに我々ジェルガカノンが有する結界魔法の数をお教えして差し上げましょう」
大地の檻が俺を完全に囲った。
「一〇八八個です」
「はっはっはっ! あと一〇八七回、いくらおめぇでも耐えられたもんじゃねぇだろっ」
勝ち誇ったような声でラオスが言う。
その瞬間、大地の檻から黒い雷が溢れた。
「……な、に…………?」
バチバチとけたたましい音を立て、漆黒の雷が大地の檻を中心に広がっていく。
「皆、避け――」
レドリアーノが声をあげた瞬間、四人は黒き雷にまとわりつかれ、反魔法を引き裂かれていく。
「……この……威力、<四属結界封>の影響化で……これほどの大魔法を…………!!」
「だ、だめだっ……ちっきしょうっ、結界魔法を重ねがけしてるってのに……抑え、きれねえ……なんなんだ、なんなんだよぉっ……この馬鹿でけぇ魔力はっ……!?」
「う・あ・あ・あ・あ・あ・ああぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
起源魔法<魔黒雷帝>に飲み込まれ、ハイネ、レドリアーノ、ラオス、ゼシアが弾け飛んだ。
「勘違いしているようだが」
大地の檻は黒き雷で風化し、影も形も残らず消えた。
「同じ攻撃が二度通じないからといって、初見なら必ず効くとは言っていないぞ」
ついでに言うなら、最初の鎖も普通に千切れたぞ。
果たしてアノスがあいつらを全滅させるまでに、ミーシャは魔王城を完成させられるのかっ?
拮抗した勝負になって参りました。