教え子の願い
「リーベスト様っ。どの部隊からも応答がありませんっ」
魔王城では、リーベストの配下が<思念通信>が通じないことに慌てふためいている。
「いかがいたしましょう? <思念通信>が通じないとなれば、交戦中か、すでにやられた可能性があります。偵察部隊ではなく、本隊で攻めるべきかと」
「いや、どうもおかしいですね。彼らが<思念通信>を使う隙もなく、ただやられるとは思えません。外にはなにか罠があると見た方がいい。迂闊に動けば向こうの思うツボでしょう」
敵の手札が見えない以上、まだ待つべきだとリーベストは判断したようだ。
「業腹ではありますが、籠城しましょう。打って出るのは、敵の手札がわかってからでも遅くはありません」
魔王城にいれば地形効果もあり、魔王であるリーベストの力も及ぶ。籠城戦こそが、<魔王軍>の真骨頂だ。
「魔力を溜めておきなさい。奴らが姿を現した瞬間、目にものを見せてさしあげます」
「承知しました!」
悟られぬよう、密かに大魔法の準備をしながら、リーベスト班は敵が来るのを待つ。
しばらくして――
「ふんっ、ようやく見えたか。とっと終わらせようぜ」
魔王城の東、目視で確認できる距離にラオスが現れる。
「気が早いなぁ、ラオスは。少しは遊んであげないとつまらないよ」
西にはハイネが、
「お二人とも、油断はいけませんね。まだなにが出てくるかわかったものではありません。慎重に事を進めてください」
北側にはレドリアーノがいた。
「見えましたっ。北、東、西の方角に、それぞれ勇者ですっ!」
リーベストの配下が声を上げる。
「一人を強化するのではなく、三人に分けましたか。しかし、同じことです。さあ、いきますよっ! 魔王学院の力、奴らに思い知らせてやりなさいっ!」
「了解!! <絶水殲滅砲>準備!」
「<絶水殲滅砲>準備っ! 魔法陣展開開始っ!!」
魔王城に巨大な魔法陣が現れ、それが一○門の砲塔と化す。
「魔力供給開始っ!!」
込められた魔力に、魔法陣が起動し、砲塔に光が集った。
「発射準備完了!!」
魔法の照準がそれぞれ、ハイネ、ラオス、レドリアーノに向けられる。
「行きますよ。<絶水殲滅砲>、発射っ!!」
リーベストが毅然と言い放つ。
――そのときだった。
湖が白く、聖なる光に包まれたのは。
ラオス、ハイネ、レドリアーノを頂点として、魔法線で三角形が描かれている。
その中心に巨大な魔法陣が浮かび上がり、まるで魔王城を覆うかのような光が立ち上っていた。
「……り、リーベスト様っ。魔力がっ、魔力供給量が、急速に減少しています。魔法陣を維持できませんっ!」
魔王城に展開された<絶水殲滅砲>の魔法陣が消える。
それどころか、魔王城の周囲の渦潮さえ消えてしまった。
「……ま、魔力が出ませんっ。このままでは、魔王城がっ……!!」
築城主が声を上げた直後、ポッキリと魔王城が半分に折れ、水流に流されていく。
「う、うあああぁぁぁぁぁぁっ……!!」
外壁や床、天井がみるみる内にバラバラになっていき、中にいたリーベストたちは城の外へ放り出された。
魔王城の崩壊により、湖は荒れ狂う。リーベストは<飛行>の魔法で水中を飛び、なんとか体制を立て直した。
「皆っ、落ちついて敵の攻撃に備えなさいっ。すぐに助けますっ!」
「へーえ。できるかな?」
リーベストの背後にハイネがいた。
「お兄さんが、魔王ってことは、将来魔皇になるんでしょ」
「それがどうしました?」
ハイネはふふっと笑う。
「あれをご覧よ。わかるかな?」
ハイネが指さした方向を、リーベストは振り向く。
チカッと、チカッと光るものがあった。
崩壊した魔王城の瓦礫が水中に散らばる中、放り出された生徒たちめがけ、水底から聖なる炎が幾度となく発射されている。
「だ、だめだ……反魔法もまったく使えな……ぐあああぁぁっ!!」
「ぎゃああああぁぁぁぁっ!!」
水中を阿鼻叫喚が木霊する。
かろうじて働いている<水中活動>の魔法が、彼らの声を弱々しくリーベストに伝えていた。
「はっ! 弱えっ! こうなっちまったら、弱えもんだなっ、魔族って奴はっ!」
ラオスが<聖炎>を連発し、次々と生徒たちを焼いていく。反魔法も回復魔法も結界により封じられた彼らはなす術もなく、水中に散った。
「あはははははっ、無様だねぇ。笑っちゃうなぁ、こんな情けない人が、将来の魔皇だなんて。魔王学院って、いったいなにを教えるところなの? 仲間を見殺しにすること?」
あははっ、と笑うハイネに、リーベストが視線を鋭くする。
鞘から魔剣を抜こうとするが、しかし、魔力が足りず、抜くことができない。
「どうして君たちの魔力が弱くなってるか、教えてあげよっか?」
まるで遊んでいるようにハイネは言った。
「この湖に溶けている聖水はね、特殊な魔力場を作り出すんだ。うまく力を引き出せば魔力源として使えるけど、そうじゃなかったら逆に魔力を使う妨げになるんだよ。って言っても、君にはできないよね、こんなに難しいことは」
ハイネがわざとリーベストにもわかるように、魔法具として聖水を行使する。
「そういうことですか……。ですが、それは最後まで黙っておくべきでしたねっ!!」
リーベストは、ハイネの魔力の流れを正確に分析し、それとまったく同じように聖水を魔法具として行使する。
それが罠だった。
「…………ぁ…………」
リーベストの根源に直接聖水の力が染み入ってくる。人間には魔力の恩恵を与える聖水は、しかし魔族にとっては毒となる。その聖なる力が、彼の体を内部からズタズタに引き裂く。
彼は全身から血を流した。
「あははははははっ! 失敗失敗っ。やっぱり、魔王学院の生徒には、そんな難しいことはできないよねぇー」
ハイネが嘲笑い、右手を掲げた。
「おいで、ぼくの聖剣。大聖地剣ゼーレ」
彼の手の平に光が集い、みるみる内に実体化していく。
深緑の輝きを放つ聖剣がハイネの手に握られていた。
「ほら、早く反魔法を全力で使いなよ。手加減はしてあげるけどさ。まともに食らったら、死んじゃうよぉっ!!」
ハイネはその場で大聖地剣を振り下ろす。
凄まじい魔力の奔流と、剣圧に水が真っ二つに割れる。
それに使い魔のハヤブサが巻き込まれたか、<遠隔透視>の映像がふっと途絶えた。
「……リーベスト君っ…………!?」
メノウが悲鳴のような声を上げる。
次の瞬間、彼女は睨みを利かせ、ディエゴに詰め寄った。
「早く生徒全員を救出しなさいっ! なにかあれば、勇者学院の責任は免れないわよっ!!」
怒りを発するメノウに対して、ディエゴはこれみよがしにため息をついた。
「そうは言うが、こちらも魔王学院の生徒がこれほどやわだとは思っていなかったのだ。うちの班別対抗試験では自力で戻れなかった者など、この数百年一人としていない。無論、すぐに救出に向かわせるが、自分たちの生徒の不甲斐なさの責任を追及されても困惑してしまう」
メノウは奥歯を噛む。
言いたいことは山ほどあるだろうが、今は生徒たちを助けるのが先決だ。
「喋ってないで早く助け出しなさいっ! なにをしているのっ!?」
「今、使い魔に人を呼びに行かせている。ただ何分急なことで捕まるかどうか。しばらく待ってくれ」
メノウは唖然とした。対抗試験は模擬戦争だ。怪我人は出る。事故も起こる。万が一のことさえ、想定しておかなければならない。
まさか、緊急に備えてすらいなかったとは思ってもみなかったのだろう。
これ以上待っているわけにも行かず、メノウは湖に走った。
「そう焦るな」
飛び込もうとする彼女の肩を、俺はつかむ。
「あの結界の中で、魔族にできることは少ない」
「だからって、待ってられないわっ!」
「五秒もか?」
そう口にすると、彼女は目を丸くする。
湖から倒れた生徒たちが次々と浮上し、空を飛ぶ。そうして静かに地上へ下ろされていく。
「これ、アノス君が……?」
「戦闘中でなければ、引っぱりあげるのは容易い」
魔法で浮かび上がらせた生徒たちを、全員湖の畔に寝かせる。
「……リーベスト君っ……!!」
一番容態の深刻なリーベストにメノウは駆けよる。
彼女はすぐに、<抗魔治癒>の魔法をかけた。
だが、傷がまったく癒えなかった。
「……どうして……? 嘘でしょっ……」
メノウは更に魔力を込めるが、リーベストの体からは血が流れていく一方だ。
「……なんで……お願い、効いて……お願いっ……!!」
「メノウ先生、それは無駄だ。聖痕ができている」
無神経に言ったディエゴを、メノウが睨みつける。
彼女は魔法行使を続けながら、鋭く言った。
「どういうことよ?」
「聖なる魔法で深い傷を負うと、その生徒のように聖痕ができる。そうなればもう回復魔法は効かないのだ。後はもう彼の生命力に賭けるしかないだろう」
「治しなさいっ!」
「説明を聞いていなかったか? 回復魔法は効かないのだ」
「勇者学院の責任でしょっ! 対抗試験でそんな危険な魔法を使うなんて、どういうつもりよっ? 聖水のことだって、さっきから何度も言ってるのにっ!」
「いや、危険な魔法ではないのだ。現に勇者学院の生徒は聖痕などできた試しがない。これは偏に魔王学院の生徒が弱すぎるせいだろう。聖水のことだが、あれは先程から説明しているように、あなたの言うような魔法具ではない。こちらとしては、厄介な魔力場を引き起こす環境と認識している。そちらの生徒が、それに適応できなかっただけのことだろう」
「魔法具だって証拠を見せてあげてもいいわよっ!!」
「それならそれで構わないが、こちらは知らずにやったことだ。故意にというならわかるが、言いがかりをつけられても困ってしまう。まあ、不幸な事故といったところか。お互い、今後の教訓にしよう」
のらりくらりとよくまあ口が回るものだな。
「それに聖水のことを議論するのは構わないが、そちらの生徒をなんとかするのが先決ではないかな?」
メノウが言い返せないでいると、ディエゴはそのまま去っていった。
回復魔法をかけ続けているが、どれだけ魔力が込めても、リーベストの傷は治らないままだ。
「……アノス君……」
メノウが俺にすがるような視線を向ける。
「なにをそんなに心配している? 聖痕ぐらい治せる」
「本当にっ?」
俺はうなずき、リーベストの傍らで片膝をつく。
聖痕ができている箇所、大聖地剣ゼーレに貫かれた胸の辺りに手を当てた。
そのとき、ゆっくりとリーベストの手が動き、俺の腕をつかんだ。
「……すみません……先生……期待に応えられませんでした……」
それを聞き、メノウは泣きそうな表情になった。
「うぅん、ごめんねっ……リーベスト君。先生が悪かったの。くだらないことにムキになって、生徒を危険に曝したわ……教師失格よ……」
「……そんなことは、ありません……先生は、誰よりも素晴らしい教師です……それを、僕は……証明したかった……」
辿々しくリーベストは言葉を発する。
「こ、れを……」
リーベストは反対の手を開く。
そこに、勇者学院の校章があった。
「これが、どうしたの……?」
「……奴らが……聖水を操るための、魔法具です……これがなければ、奴らの力は半減します……」
なるほど。
「聖剣に貫かれる寸前、反魔法を使わず、魔眼に全魔力を込めたか」
我が身を無防備に曝してまで、聖水を操っている魔法具を見抜いたというわけだ。
死んだかもしれぬというのにな。
見事な覚悟だ。
「……不適合者……」
リーベストが俺を呼ぶ。
「いけ好かない男です、君は……僕は君が、大嫌いです……」
「そうだろうな」
俺の腕を握る手に力がこもる。
「……ですが、僕は、今日、初めて思います……。君のような……力があれば……尊さがなくとも……君の強さが、僕にあれば…………」
「いいのよ、リーベスト君っ。勇者学院は不正をしてるわ。聖水なんて、あんな卑怯な魔法具を用意してたんだもの。七魔皇老にかけあって、正式に抗議するから」
リーベストはぐっと歯を食いしばる。
そうして首を振り、涙をこぼした。
「……恥を忍んで、頼みます……どうか……アノス、どうか……」
「なにも言う必要はないぞ、リーベスト」
彼の気持ちはよくわかっている。同じ魔族なのだからな。
抗議での決着など、決して望みはしないだろう。
「お前は立派に役目を果たした。聖水を使った結界の術式も、聖水を操る魔法具の存在も知れた」
リーベストの聖痕を消し去ると、俺は立ち上がった。
「後は俺に任せておけ。正々堂々、あいつらに地獄を見せてやる」
どう料理してくれるのか、アノスの活躍に期待が高まりますっ。