聖明湖の結界
「では、これより、勇者学院選抜クラス『ジェルガカノン』対魔王学院3回生クラス、リーベスト班による、学院対抗試験を始める。祖先の名誉と誇りを汚さぬよう、正々堂々と戦え」
ディエゴが試験開始の合図を告げる。
湖の畔にいる俺たちは<遠隔透視>の魔法で、水中の様子を見物していた。湖の中には勇者学院の使役するハヤブサが飛ぶように泳ぎ、その目から<遠隔透視>に映像を送っているのだ。
「ごめんね、アノス君」
メノウがそばにきて俺に言った。
「なんの話だ?」
「リーベスト君のこと。いけ好かないとか、けっこう当たりがきつかったでしょ」
「なに、皇族派のあの言い分は、今に始まったことじゃない」
メノウはなんとも申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「リーベスト君はね、普段は優しい子なのよ。でも、人一番、暴虐の魔王に敬意を抱いていて、自分の血に誇りを持ってるの」
<遠隔透視>を見つめながら、メノウが言う。
「リーベスト君は今でこそ3回生の首席を争う実力だけどね。入学したときは、落ちこぼれだったのよ。<魔王軍>を魔法行使できず、班リーダーにもなれなかったわ」
「それは意外なことだな」
「でしょ。リーベスト君は争いごとがあんまり好きじゃなかった。だから、戦いのために開発された軍勢魔法や攻撃魔法を心のどこかで拒否してたんだわ」
「魔族らしからぬ男だな」
「そうかもね。彼はね、暴虐の限りを尽くした魔王が嫌いだったのよ。その血を引いている自分のことも、認められなかったんだと思う」
難儀なことだ。
祖先がどうであれ、血がどうであれ、自分は自分だろうに。
まあ、この時代ではそう思うのさえ容易くはないか。
「なにがあの男を変えた?」
そのときを思い出したのか、メノウは懐かしむような表情で言った。
「あの子が2回生のとき、<魔王軍>の授業を受け持ってたんだけど、争いごとは本当は好きじゃないっていうのを打ち明けられてね。魔王学院を辞めようと思ってるって相談されたわ」
魔王学院の授業は戦闘に偏っているからな。
争いごとが嫌いなら、無理からぬことだ。
「だから、私は言ったの。<魔王軍>は軍勢魔法で、確かに戦争のために開発されたものだわ。でも、始祖はきっと魔族を守るためにその魔法を開発したんだって。そうじゃなきゃ、多くの敵に命を狙われている暴虐の魔王が、自分の魔力を配下に分け与える魔法なんて作らないと思うもの」
ほう。
「それは教科書に書いてあるのか?」
「教科書に書いてあることだけ教えるなら、教師なんかいらないでしょ」
確かにな。なかなか教師らしいことを言うものだ。
「アノス君はそう思わない?」
「さて、どうだろうな」
そう口にすると、ミーシャがこちらを向いた。
まるで見透かしたように彼女は微笑む。
「争いごとが嫌いでも、なにかを守るために力が必要なときもある。もしかしたら、始祖だってリーベスト君と同じで戦いたくなかったかもしれないって教えてあげたの。それが彼にとってはすごく重要なことだったんだと思う。リーベスト君は始祖を尊敬するようになって、皇族として誇りを持てるようになったのよ」
「それが行きすぎて、皇族派になったわけだ」
メノウは苦笑する。
「ちょっとね。彼には普通の人以上に、暴虐の魔王が特別な存在なんだと思うわ」
だから、普通以上に、暴虐の魔王を名乗る俺が気に入らないというわけか。
恐らく、そのとき自分を導いてくれた恩師にも敬意を抱いているのだろうな。
だからこそ、気に入らぬ俺にへりくだってまで、メノウの想いに応えようとしたのだろう。
「見てて。彼は私の自慢の教え子よ。きっと勝つわ」
メノウはそう笑った。
<遠隔透視>を見れば、そろそろ両陣営に動きが出そうといったところだった。
ジェルガカノンは湖の中に神殿や建物の並び立つ水中都市に拠点を構え、リーベスト班は岩山などが多く存在する水中洞窟付近を陣地としている。
<水中活動>の魔法を使っているため、魔力が枯渇しない限り、窒息する心配はないだろう。
「リーベスト様、準備が調いました!」
毅然とした態度で配下が言う。
リーベストは家柄が良いのか、それとも実力があるのか、班員たちの口調には敬意が見てとれる。
あるいは、落ちこぼれから、首席を争うまでになった努力の賜物かもしれぬな。
「やりなさい」
「は!」
まずは定石通り、リーベストは自らの陣地に魔王城を建てた。
塔のように細長い城だ。その周囲の水流が激しく渦を巻き、魔王城への侵入を阻む水の壁と化した。
水流の変化により、吸い込まれるように流れてきた魚や巨岩が、その水の渦に飲まれ、ズタズタに引き裂かれている。
どうやら、水属性魔法を強化する地形効果があるようだな。垂れ流されている魔力だけであれだけの渦潮ができる魔王城を二人だけで建てるとは、なかなかどうして、リーベスト班の築城主は優秀なようだ。
「綺麗な魔王城」
<遠隔透視>を見ていたミーシャが呟く。
「伊達に3回生ではないということだろう。あれだけの城はまだまだ1回生には作れまい」
ミーシャが不思議そうに小首をかしげる。
「お前を除いての話だぞ」
こくこくと彼女はうなずいた。
「呪術師、まずは偵察を行います。<勇者部隊>と<魔王軍>の大きな違いは勇者の他には賢者です。奴らは魔王城にあたる拠点を建設できない代わりに、賢者による特殊な支援魔法を行使するはずです」
ふむ。さすがに3回生は<勇者部隊>のことを少しは勉強しているようだな。
リーベスト班の呪術師は三人。一人が魔力の網を広域に張り、勇者学院の位置などを確認する。一人が魔眼を使い、魔力の変化などを探る。そして一人が湖を泳ぐ魚を魔法で操作し、敵の動向を詳細に探っている。
探しているのは、賢者である。
<勇者部隊>は、勇者を強化する魔法のため、たとえば、魔導士では攻撃魔法強化の恩恵を、治療士であれば回復魔法強化の恩恵を、それぞれ勇者にもたらす。
代わりにデメリットを受けるのは、魔導士と治療士だ。
だが、賢者だけは少々異なり、<勇者部隊>の影響下にある人間の魔力を使い、部隊全体に支援魔法をかけることができるのだ。
賢者がいることにより、勇者たちは強化される。そのため、まずは賢者を無力化するのが先決となるわけだ。
「リーベスト様」
呪術師たちが言う。
「妙です。使い魔にした魚が、どうも思うように操作できません」
「こちらも、魔力の網を張り巡らせようとしても、途切れてしまいます」
「魔眼も同じです。向こうの魔力がまるで見えません」
偵察がまったく行えないということだ。
リーベストはじっと考える。
「恐らく反魔法の応用で、魔法を妨げているのでしょう」
「魔剣士、呪術師、治療士の部隊編成で偵察に出ましょう。交戦は極力避けるように。少しでも異変を感じたら、すぐに<思念通信>で報告してください」
「承知しました」
魔王城から、リーベスト班の三部隊、合計九人が出ていく。
それぞれ別ルートを通り、ジェルガカノンの拠点としている水中都市へ向かった。
彼らは慎重に敵地へ進んでいく。
「飛んで火にいる夏の虫たぁ、このことだな」
水中都市の正面入り口へ向かった部隊の前に姿を現したのは、ラオスである。
「リーベスト様っ、現れましたっ。勇者ですっ!」
呪術師が<思念通信>を使う。
だが、返事がなかった。
「リーベスト様っ? リーベスト様……!?」
何度呼びかけても返事がない。
<思念通信>が途中で途絶えてしまっているのだ。
「はっ。なんで、<思念通信>が使えないか、わかるかよ?」
ラオスはその拳に聖なる輝きを発する炎を纏った。
水中にも関わらず、炎は煌々と燃えている。
「私たちが時間を稼ぐ。お前は魔王城へ戻れっ!」
魔剣士が魔剣を鞘から抜こうとする。
だが、抜けなかった。
「な、に……?」
その一瞬の隙をつき、ラオスは魔剣士に接近していた。
「おらよっ!」
「しまっ――」
ラオスの拳が魔剣士の鳩尾に突き刺さる。
聖なる炎に包まれ、魔剣士はその場に倒れ込んだ。
「ちぃっ……!」
治療士がすぐに<抗魔治癒>を使う。
だが、魔法陣を描いた途端、それは消えてしまった。
「……まさか…………?」
「ようやく気づいたか、おめぇたちの魔力が弱まってるのがよ」
ラオスが接近する。治療士が距離を離そうとするが、その足は遅々として進まない。
「魔力だけじゃなくて、身体能力もな。今のおめえたちはか弱い人間以下の力しかねえっ!」
治療士が炎に包まれ、すぐに呪術師もやられた。
「はっ。張り合いのねえ。これじゃ、聖剣を抜くまでもねえな」
ラオスはその場で<思念通信>を使う。
「ハイネ、レドリアーノ、こっちは終わったぜ」
「ぼくも倒したよ」
「こちらも片付けました。これで向こうの目は奪ったでしょう。このまま魔王城へ侵攻しますよ」
ラオスは水中都市を出て、魔王学院の陣地を目指した。
「おかしいわ……」
<遠隔透視>を見ながら、メノウが呟く。
「魔力場が淀んでいて魔力が弱くなるなら、勇者学院だって同じはず。なのに、彼らは<思念通信>を使っている……。魔力差が大きいならわかるけど、今の<思念通信>は普通よりもむしろ微弱な魔力しか込められてない……」
彼女はじっと考え込む。
「リーベスト班の魔力が封じられているんだから、なにか魔法を使っているはずだけど、勇者学院の生徒たちからは全然その痕跡が見えないわ……直接相手にかける魔法じゃないなら、いくらなんでも範囲が広大すぎる……」
頭に手をやりながら、メノウは苦々しい表情を浮かべる。
「ふむ。つまり、勇者学院側が有利になるよう、不正をしていると言いたいのか?」
「……疑わしくはあるけど証拠はなにもないわ……。彼らがただ優秀なだけって言われたら、それまでだし、その可能性もないわけじゃない……」
だが、腑に落ちないといった表情だ。
「証拠ならあるぞ」
「え……?」
「湖に溶けた聖水を使っている。あれは形を持たぬ特殊な魔法具の一種でな。力を引き出せば、人間には魔力の恩恵を与え、魔族の場合は反対に毒となる」
魔族を封じるために、神々がもたらした聖なる水だからな。
二千年前でも使える者は限られていたが、どうやら受け継がれてきたようだな。
聖水は応用力の高い魔法具だ。
この使い方は俺も初めて見る。聖水の存在をうまく隠蔽する方法を編み出したようだな。
「水に溶けた聖水が魔法陣を描いている」
俺がそう指摘すると、メノウは魔眼を凝らし、じっと水中の様子を見つめる。
「……全然わからないけど……そもそも水の中に溶けた違う種類の水を見分けられるの……?」
難しいだろう。
うまく魔力を隠蔽してあるからな。
「見せてやろう」
メノウの魔眼に触れ、そこに魔法陣を描く。俺の魔力を送ってやり、彼女の魔眼を強化したのだ。
「え……? これ…………?」
「魔力がよく見えるだろう。俺の見ている世界だ」
メノウの魔眼がそれなりのレベルだからこそできることだ。でなければ最悪、目が潰れている。
「……信じられない…………こんな、物質よりはっきり、魔力が見えるなんて……」
メノウは<遠隔透視>に映し出された水中に視線をやる。
今の彼女なら、湖に溶けた聖水が魔法陣を描いているのがはっきりとわかっただろう。
「これは……結界系の、術式よね……? 具体的な効果はわからないけど……」
「聖水の力を引き出し、この結界内にいる人間の魔力を高め、魔族の力を封じる魔法効果だ。聖明湖からは聖水が湧き出ている。勇者学院側は無尽蔵に魔力が供給されるが、魔族は際限なく魔力を削がれることになる」
「……なんなの、それ……さすがに地の利がどうこういう次元じゃないわ。勇者学院側だけ使える魔力源があるってことでしょ……」
メノウは憤りをあらわにする。
聖水が湧き出ているのはわかっていたが、力を引き出せなければ毒にも薬にもならない。学院対抗試験という名目で、まさか使ってくるとはな。
今後の関係に遺恨を残してまで勝ちたいのか。
それとも、気づかれぬとでも思ったか?
「どうする? これがありなら、勝負にならんぞ」
「ありがと。これだけ証拠があれば十分よ。抗議してくるわ」
怒りに満ちた表情で、メノウはディエゴのもとへ向かった。
アウェーなんでものじゃねえですぜ……。
メノウの抗議は間に合うのかっ、リーベスト班の運命はいかに?