険悪
大講堂にはピリピリとした空気が漂っていた。
つい先程のいざこざで皇族派の生徒は完全に勇者学院に敵意を抱き、向こうも向こうで恥をかかされたと腹にすえかねている。
果たして授業が耳に入っているのか。一触即発といった重たい雰囲気のまま、ディエゴの低い声だけが淡々と響いていた。
「――聖剣というのは、主に神々が祝福した剣のことをいう。剣自らが魔力を有し、持ち主を選ぶ。また剣に精霊が宿ったために聖剣となる場合もある。聖剣が誕生するのはこの二つのケースを除いて、存在しない」
そこまで口にし、ディエゴは煮え湯を飲まされたような表情を浮かべる。
魔王学院側の席からぷっと噴き出すような声がいくつか漏れた。
ディエゴはごほんと咳払いをした。
「何事にも例外は存在する」
苦し紛れという風にディエゴは言い、授業を続けた。
「今説明したように聖剣は作ろうと思っても作ることができない、極めて稀少な逸品だ。大量生産が可能な魔剣が量に優れているなら、聖剣は質に優れている。ただの魔力ではなく、それには神々や精霊の力が宿っているからだ。それが聖なる輝きの源泉である」
聖剣が質に優れている、というのはあながち間違った話でもない。魔力の弱い魔剣というのは存在するが、聖剣はそのどれもが強い魔力を有している。更に大抵の聖剣には、魔族の力を封じる魔法がかけられているのだ。それが極まったものを魔族殺しの聖剣などと呼ぶ。
力や魔法に劣る人間が、かろうじて魔族に対抗できた理由の一つがそれだ。
「世界に現存する聖剣は八八本と言われている。その中でも第一位に君臨するのが、勇者カノンが使ったと言われる伝説の聖剣。霊神人剣エヴァンスマナである。二千年前、人の名工が鍛え、剣の精霊が宿り、神々が祝福した代物だ」
ふむ。懐かしい。
剣とは思えぬほどの馬鹿げた魔力を持っていたな、あれは。
なによりも、この俺を滅ぼすために作られた聖剣だからな。
「二千年前に失われた霊神人剣だが、この世に大いなる災いが訪れるとき、伝説の勇者と共に蘇り、世界に光をもたらすと言われている」
失われた、か。
二千年前、エヴァンスマナを抜くことができたのは、アゼシオンではカノン一人だった。彼がいなくなったのだとすれば、所有者を選ぶ聖剣がいずこかへ消えたということも考えられるだろう。
滅ぼすべき魔王が、二千年もの間いなかったことだしな。
もっとも、本当に失われたのかと言えば、怪しいところではある。アイヴィスの予想通り、転生した俺を滅ぼそうと機会を待っていたなら、エヴァンスマナがなければ話にならない。
伝説の勇者と共に霊神人剣が蘇るなどという不確実な話を、少なくとも伝承を広めた側の人間が信じているとも思えぬしな。
「さて。二千年前と言えば、アゼシオンではその頃から伝わる面白い逸話がある。ミシェンスの首飾りだ。恋と転生にまつわる物語なのだが、魔王学院の諸君に知っている者はいるか?」
アゼシオンの逸話など、ディルヘイドの魔族が知る由もない。
当然、手は挙がらないのだが、ディエゴはそれを見て溜飲を下げた様子だ。
やれやれ、なんという小者っぷりだ。
見ているこちらが恥ずかしくなってくる。
「やはり、知らないか。いや、ま、仕方ないことだ。では、勇者学院の生徒で知っている者は――」
「ミシェンスの首飾りは人間が戦地に赴くとき、恋人に贈ったとされるものだ」
俺が答えると、ディエゴがぎりぎりと奥歯を噛んだ。
ふむ、当たりか。ま、ありふれた逸話までわざわざ修正する必要もないだろうからな。
魔法のことでなければ、知らないとでも思ったのだろうが、俺が転生する前の話だ。当然、耳にしたことはある。
「二千年前、大戦の初期では、戦地に赴いた人間の殆どは生きて帰ることができなかった。そのため、恋人たちは同じ時代に生まれ変わり、今度こそ結ばれるようにとミシェンスの首飾りに願いを込めた。ミシェンス貝というガイラディーテの湖に生息する貝の殻を二つに分け、首飾りを二つ作った。片方を恋人に贈り、もう片方を自分がつけ、彼らは戦いに臨んだのだ」
ディエゴが忌々しそうに俺を睨む。
どうにもこの男は、魔族をコケにしたいだけのようだな。
「ミシェンス貝は聖なる水を飲み生きており、神の使いとも言われている。二つに分けた貝殻が、死んだ後の二人の根源を導き、巡り合わせてくれる、と当時の人間たちは信じていたわけだ」
俺が見たところ、根源に作用するような魔力をミシェンス貝は持っていなかったがな。なにかにすがりたい気分のときもあるだろう。
ミシェンス貝の首飾りをつけた人間を殺すときは、<転生>の魔法をかけてやったものだ。ときに魔法は心に大きく左右される。彼らの想いが本物であったならば、生まれ変わった後にまた出会えたかもしれぬ。
もっとも、ほんの気休めにすぎないがな。
「大戦の後期、勇者カノンの活躍により、ガイラディーテに希望が生まれた。ミシェンスの首飾りをつけて戦地から帰った者が続出し、その多くが恋人と結婚した。以来、ミシェンスの首飾りは一つ貝の首飾りと呼ばれるようになり、二つの首飾りを一つにして、恋人へ贈る慣習が生まれた」
平和が近づくにつれ、人々は希望を求めるようになった、と言えば聞こえはいいが、現実から目を背けたかったのかもしれない。
勇者を擁するガイラディーテだけは魔族の侵攻をかろうじて食いとめてはいたものの、アゼシオン全体で見れば、人間はどんどんと追い詰められていた。
「また贈った一つ貝の首飾りを、二つに分けて、その片方を自分が身につけることで、求婚するという文化も生まれた。それが受け継がれ、現在に至るというわけだ」
説明を終えると、ディエゴはぼそっと言った。
「……その通りだ」
ちょうど授業終了の鐘の音が鳴る。
「では、ここまでとする。次の授業は一〇分後だ」
そそくさと逃げるようにディエゴは大講堂を出ていった。
「魔王学院のお兄さん」
声をかけてきたのは、ハイネだ。
「せっかくの機会だったのに勝負ができなくて残念だよ」
余裕たっぷりといった笑みを浮かべるハイネに、俺は言った。
「なにを言っている。勝負は俺の勝ちだ。そちらの教師が負けを認めただろう」
「ちぇ。ちゃっかりしてるね」
悪びれずハイネが言った。
これで俺が勝負は成立しなかったと見なせば、<契約>の効力が無効になる。
どちらがちゃっかりしてるのやら。
「勇者カノンのことを知りたいんだっけ?」
「いや」
勇者カノンは人間に殺された。そのことを知りたいのは山々だが、しかし、エレオノールには秘密だと言われている。尋ねるわけにはいくまい。
<契約>の効力が及ぶのは、一つの質問につき一つの回答のみだ。あまり曖昧な質問をすれば、曖昧に答えられてしまうしな。
「別の質問をする。暴虐の魔王の名は知っているか?」
「……いいのかな? ここで口にしても」
「構わぬ」
ハイネは言った。
「アヴォス・ディルヘヴィアでしょ」
<契約>の効力で嘘はつけない。契約を強制的に破棄したような痕跡も見当たらぬ。どうやら、本当に暴虐の魔王の名は知らないようだな。
「それがどうかした?」
「なに、確かめたかっただけだ」
「へーえ」
ハイネは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ところで、知ってた? 明日は学院別対抗試験をするんだって」
「ふむ。またなにか賭けたいのか?」
「うぅん。明日は正々堂々、いい勝負をしようと思ってさ」
無邪気な顔でハイネは握手を求めてくる。
「それはそれは、まるで卑怯な手を使うと言っているように聞こえてしまうな」
ハイネと握手をしつつも、俺は見下すような笑みを浮かべた。
「まさか。楽しみにしててよ。明日はお兄さんたちが驚く番だからさ」
踵を返し、ハイネたちは次に3回生のもとへ向かった。
なにやら話しかけ、さっきと同じように握手を求めている。
ふむ。なにを企んでいるのやら?
いずれにせよ、結果は今日と変わらぬがな。
「ねえねえ、ミサ。それって、さっきアノス様が言ってた一つ貝の首飾り?」
ミサの席にファンユニオンたちが集まっている。
「あ、みたい……ですね……」
言葉を濁すようにミサが言う。
「あ、ちょっと待って。今の反応、怪しいっ。怪しいよっ、ミサ。誰かに買ってもらったでしょ?」
ふむ。鋭いな。
「あ、あはは……そんなわけないじゃないですか……これは自分で買ったんですよー」
「ふーん、そうなんだー」
「自分で買ったってことは、誰かに買ってもらったってことよね?」
「うんうん、絶対そうだよっ」
「まさか、アノス様に買ってもらったとか!?」
「う、裏切り者ぉぉっ……!!」
「だ、だから違いますよーっ。ほんとに、自分で買いましたからっ!」
「絶対?」
「ぜ、絶対ですよ」
「命賭けるっ?」
「……は、はい……」
ミサは気圧されながらも返事をした。
「あれ? もしかして一限目終わった?」
振り向くと、そこにレイがいた。
「ついさっきな」
「そっか。ちょっと寝過ぎたよ」
特に気にした素振りもなく、レイは席を探す。
「ミサさん、ここ空いてる?」
「あ、はい。大丈夫ですよー」
レイはミサの隣に座り、彼女の首にかけられた首飾りに視線をやった。
「つけてきたんだ。嬉しいよ」
「あ……あーと……あ、あはは……」
ミサは気まずそうに、ファンユニオンの連中を覗う。
彼女たちはこれでもかというぐらい興味津々にミサをガン見していた。
問い詰めるかのような視線である。
「…………はい……」
観念したようにミサが言う。
すると、ファンユニオンたちは驚いたように仰け反った。
彼女たちはミサから距離をとり、全員で顔を突き合わせた。
「は、はいって言ったっ。はいって言ったよっ!」
「レイ君がミサにプレゼントしたってことだよねっ!?」
「あれ? でも、レイ君はアノス様と……」
「ということは、もしかして……?」
「つまり……?」
「アノス様と間接交際する気ってことぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ……!!!」
斜め上の結論に至ったようだった。
好意的に考えれば、ファンユニオンなりに、気まずさをほぐしてあげた可能性があるのです……。たぶん……。