勇者学院の授業
ハイネは無邪気な笑みを覗かせた。
「あんまり人間を舐めると、後悔するよ、お兄さん」
そう言って、彼らは大講堂の最前列へ去っていった。
「アノス君」
エレオノールが小さく手招きをする。
そばによると、彼女は小声で言った。
「こーら。忠告したぞ。忘れたの?」
「二千年前から変わっていないという話だろう」
彼女はうなずく。
「なら、なにも問題はない。なにを企もうと無駄だということを思い知るのは、いつも決まって人間の方だ。二千年前からな」
その言葉を聞き、エレオノールはきょとんとした。
「アノス君って、元々はなんて名前の魔族なの?」
「同じだ」
「同じって、アノス・ヴォルディゴードってことかな?」
俺がうなずくと、うーんとエレオノールは首を捻った。
記憶にないということだろう。
「人間は俺の名などすっかり忘れたようだな」
「でも、いくら名のある魔族だからって気をつけるんだぞ」
そう釘を刺して、エレオノールはくるりと踵を返す。
「エレオノール」
顔だけを振り向き、彼女は視線で疑問を向けてくる。
「転生前のお前の名は?」
「アノス君と同じだぞ。ボクもエレオノール。ずっとね」
アゼシオンの重要人物なら一通り頭に入っているのだが、まるで聞き覚えがないな。
根源を直接見ることができるほどだ。神話の時代でも名が知れないとは思えない。
「会ったことはないと思うぞ。だって、ボクは君のことを知らないから」
転生前の記憶があるということか。
なら、俺が転生した後に生まれた可能性が高いな。
恐らくは、暴虐の魔王の名がアヴォス・ディルヘヴィアに書き換えられた後だろう。
「じゃあね」
彼女はハイネたちのところへ去っていった。
「いつ会った?」
ミーシャが訊いてくる。
「ガイラディーテについた日にたまたまな」
最前列にいるエレオノールの姿を、ミーシャはじーっと見つめた。
「……悲しそうに見える……」
「エレオノールがか?」
ミーシャはこくりとうなずく。
「ずいぶんと暢気な性格に見えたが?」
「表面はそう」
エレオノールに視線を飛ばすが、相変わらずのほほんと緊張感のない表情を浮かべている。
「でも、違うかもしれない」
「わかりづらいということか?」
ミーシャはうなずく。
「忘れて」
「いや」
少なくとも、エレオノールが勇者学院の企みを知っているのは確かだ。
そして、彼女はそれに賛同できないのだろう。
でなければ、俺に忠告などするわけもない。
だとすれば、あの暢気な性格の裏で、苦しんでいたとしても不思議はない。
ミーシャの人を見抜く魔眼はかなりのものだからな。
「心に留めておこう」
すると、ミーシャはぱちぱちと目を瞬かせる。
「アノスは優しい」
「お前は良い魔眼をしているからな」
ふるふるとミーシャは首を横に振った。
「エレオノールのこと」
「俺がいらぬ世話を焼こうとしているとでも?」
「違った?」
「俺が転生している間に起きたことを知っていそうだからな。もしかすれば、それがアヴォス・ディルヘヴィアにつながるかもしれぬ」
そう口にするも、ミーシャはじっと俺を見上げている。
「つまらぬ企みに巻き込まれているのなら、そのついでに助けてやってもいいがな」
ふふっとミーシャは笑った。
「アノスらしい」
俺の心中を見透かすような視線をミーシャが向けてくる。
やれやれ、なんともくすぐったいものだな。
「座る?」
「ああ」
大講堂の席は大きく二つに分かれている。
張り紙によれば、中央から黒板に向かって右側が勇者学院、左側が魔王学院の席になっている。俺はミーシャと共に左側、中ほどの席に座った。
ゆるりと待っていると、次第に生徒たちが続々と登校してくる。ミサやサーシャ、皇族派の連中や、ファンユニオンたちも大講堂に集まった。
勇者学院の生徒たちも全員が出席したか、右側の席は一つを残して全てが埋まった。
魔王学院が黒服と白服に分かれているように、勇者学院側も制服は緋色と藍色に分かれている。
レドリアーノ、ラオス、ハイネが緋色ということは、選抜クラス『ジェルガカノン』がその制服なのだろう。緋色の制服の生徒がそれほど人数がいないことから考えても、まず間違いあるまい。
そろそろ授業開始の時刻になる。
トントン、背中を指で叩かれた。
「アノス様。レイさんはどうしたんでしょうか?」
ミサが心配そうに言う。
そういえば、まだ来ていないな。
「二度寝していたからな」
起きられなかったのだろう。
初日の授業にもかかわらず、図太い男だ。
「まあ、たかだか授業だしな。あの男のことだ。遅刻をしてもなに食わぬ顔で現れるだろう」
「あはは……ですね……」
ちょうど鐘の音が鳴った。魔王学院とは違い、優しげな音色だ。
大講堂に入ってきたのはメノウと、それから、厳つい顔をした壮年の男だ。
赤い法衣を纏い、融通の利かなさそうな顔つきをしている。勇者学院の教師だろう。
「皆席につくように」
男が低い声を発すると、まだ立っていた生徒たちがすぐに着席した。
「本日はかねてから伝えてあった通り、学院交流を行う。魔王学院の諸君、私の名はディエゴ・カノン・イジェイシカ。勇者学院の学院長と選抜クラス『ジェルガカノン』の担任を務めている」
選抜クラスは学院長手ずから指導しているというわけか。
相当な力の入れようだな。
勇者の子孫たちの名前から察するに、ディエゴもカノンの生まれ変わりなのだろう。
つまり、勇者学院の卒業生だ。勇者学院で学んだ者が、今度は勇者学院で教鞭をとり、そうして後世へ変わらぬ教えを伝えているといったところか。
しかし、こいつも二千年前のあのカノンとは思えぬ。
外れだな。
「我が門弟に紹介しよう。魔王学院で教師を務めるメノウ・ヒーストリア先生だ。長年、魔王学院で3回生を教えている優秀な方だ。皆、失礼のないように」
メノウが一歩前に出る。
「メノウ・ヒーストリアよ。学院交流でしばらくお世話になるわ。よろしくね」
微笑みながら、彼女はそう挨拶した。
「では、授業だが、本日は学院交流の初日、お互いに相手のこともよく知らない。ゆえに学友となるため、簡単なレクリエーションから始める」
ディエゴは黒板に魔法で文字を書いていく。
――学院別対抗授業――である。
「学院別対抗授業。大げさに聞こえるかもしれないが、それぞれの学院の生徒が出題を行い、それを相手の学院が回答する。正答率を競うというルールだ」
なるほど。
出題や回答で、相手の学院の得意分野やレベルが知れるというわけか。
「では、見本を見せるため、まず勇者学院側からの出題で始めるとしよう。序列2位、レドリアーノ」
ディエゴの声で、レドリアーノは起立した。
「出題しろ」
「承知しました」
レドリアーノは眼鏡を人差し指でクイッと上げる。
「では、まず初級問題から行きましょうか。勇者の魔法に<聖別>というものがありますが、この効果と魔法術式を回答してください」
魔王学院側の席がざわついた。
「え……? こんなの、わかるわけねえよな……?」
「ああ、魔王学院じゃ習わないんだし……」
「あ、でも、もしかして、3回生なら知ってるかも……?」
すると、メノウが手を叩く。
「はいはい、みんな静かにしてねー。じゃ、3回生のリーベスト君」
リーベストは起立する。
「ごめんね……どお? わかるかな?」
「……いえ、わかりません。しかし、メノウ先生。これは、そもそも学院別対抗授業そのものに欠陥がありませんか? 違う学院で習っていることを知っているわけがありませんし、一般的な問題以外は禁止にしないとまともなレクリエーションになりません」
リーベストが苦言を呈する。
「十分に一般的なことだと思いますけどね」
反論したのはレドリアーノだ。
「自らの勉強不足を棚に上げるのに授業そのものに穴があるようにおっしゃるのは、いかがなものかと思いますが?」
リーベストはムッとした。
「でしたら、そちらは<魔物化>の効果と魔法術式がわかるんでしょうかね?」
わかるはずがないといった表情を浮かべるリーベスト。
しかし、レドリアーノは微笑した。
「ええ」
彼は黒板に魔法術式を描いていく。
同時に説明した。
「<魔物化>の魔法効果は、主に動物を魔力によって変化させることです。基本的には身体能力が強化されますが、動物の種類、また魔法の使い手によって変化は様々異なります。知性が減少するケースもあれば、逆に人語を解するようになる場合もあります。動物が<魔物化>で変化した姿を魔物と呼びます。現在のディルヘイドでは、一定の条件をクリアしない限り、動物に<魔物化>を使うのは禁止されているようですね」
リーベストはぐうの音も出ない様子だ。
「いかがですか?」
「……正解だわ……」
レドリアーノの説明と描いた魔法術式を見て、感心したようにメノウは言う。
「しかし、まあ、そちらは3回生の方が初級問題にもまったく歯が立たないご様子ですし、確かにお互いのレベル差を考えれば、この学院別対抗授業は取りやめた方がいいかもしれませんね。もしくは、なにかハンデをつけるというのはどうでしょう?」
レドリアーノが言う。
「うむ、そうだな。まさか<聖別>も知らない生徒がいるとは……」
困ったようにディエゴが唸る。
その表情にはあざとさが透けて見えた。
「ディエゴ先生、ちょっと……」
メノウがディエゴをつれて、教壇の隅の方へ移動する。
「……ちょっと話が違うみたいなんだけど。今日のレクリエーションでは、お互いに相手が全然知らないことを勉強してきたって認識させるためのものよね?」
他の生徒には聞こえていないだろうが、俺の耳はしっかりとその言葉を捉えた。
「無論そうだが、さすがに常識的なレベルのことは知っていると思っていた。まさか魔王学院のレベルがここまで低いとは思わなかったのだ……いや、すまぬ、計算外だった……」
くすくすっと勇者学院側から笑い声が漏れる。
ディエゴの声はメノウと違い、まったく抑えられていなかった。
まるで、あえてそうしたかのようだ。
「諸君、笑うのは失礼だぞ。いくら低レベルだろうと、彼らなりに一生懸命やってのことなのだからな」
メノウに背を向け、ディエゴは生徒たちに言う。
その一瞬後、彼が薄笑いを浮かべたのを俺は見逃さなかった。
発言自体も生徒たちを窘めるようでいて、なんとも小馬鹿にしている。
魔王学院に配慮しているのなら、こんな言葉は口にできまい。
なにせ一生懸命やって、この程度だと言っているのだからな。
「できるだけ、そちらのレベルに合わせる方法で考えよう」
メノウは、唇を噛む。
悔しいだろうが、表向きは敵意のないように装っているので、質が悪い。
これでは魔王学院の生徒全員が勇者学院より格下だと見なされたも同然だ。万が一、ディエゴにその気がないとしても、無礼なことには変わらないだろう。
こういういやらしい戦いは、魔族よりも人間が一段上なのだ。明確に敵対せずに他者を貶める術は、なかなかどうして愚直な魔族に真似できるものではない。
少々、目に余るな。
「<聖別>の魔法効果は武器や防具、道具に聖なる力を与えることだ」
俺は立ち上がり、先程の出題に答える。
「簡単に言えば、<聖別>を使うことにより、その物の持つ機能が助長される。剣ならばよく斬れるように、薬ならば薬効が増強される。また<聖別>が極まれば、ただの物を魔法具へ作りかえることも可能だ。もっとも、それには賢者一〇〇人分を超える膨大な魔力が必要となるため、そうそうできることではない」
黒板に<聖別>の魔法術式を描いてやる。
「アノス君……」
メノウが顔を綻ばせ、俺を見た。
「どうだ?」
「……正解だ……魔法術式も合っている……」
唸るようにディエゴは言う。
「……だが、<聖別>が極まれば、物を魔法具に作りかえることができる、というのはいささか誇張がすぎるな。せいぜい魔法具に近い力を持つ、といった程度だろう。<聖別>で魔法具を作ったという事実もない。そこそこ勉強はしているようだが、誇張された研究成果に騙されているようではまだまだだな」
見下すようなディエゴの説明の後、勇者学院側から失笑が漏れる。
「ちょっとマシな奴がいたと思ったが、やっぱり馬鹿だったか」
「物を魔法具になんかできるわけないんだよな。魔法術式的に、魔力は外から与えることしかできないんだから」
「だよな。魔法具っていうのは内から魔力が溢れるものを言うんだから、根本が違うってーの」
「どうも、魔法概念の基礎を勘違いしちゃってるみたいだな、あいつ」
やれやれ、相変わらず常識に囚われすぎるな、人間というのは。
そう言うと思ったぞ。
「ふむ。知らないのなら、見せてやろう」
俺は立ち上がり、教壇へ歩いていく。
その途中、天井付近に飾られている剣を指さす。魔力を飛ばし、その剣をディエゴの目の前にゆっくりと落下させる。
教壇に上がり、その剣に手をかざせば、魔法陣が浮かび上がった。
使ったのは<聖別>だ。
それを終えると、浮かせたままの剣をくるりと回転させ、柄をディエゴに向ける。
「……こ、これは………………まさか………………」
ディエゴは怖ず怖ずとその剣に触れる。
瞬間、その剣身は光輝く魔力を発した。
勇者学院の生徒たちがこぞって身を乗り出した。
「おいっ……! 嘘だろ……あの輝き……!」
「馬鹿な……! そんな……馬鹿なっ! 聖、剣……だと……!?」
「ありえない……<聖別>で魔法具どころか、聖剣を作ったっていうのか……!?」
「待てよ……そういう問題じゃないだろ。あいつは魔族じゃないのかっ! そもそも<聖別>を使えるはずがないのにっ!! あれは、勇者だけに許された魔法だっ!」
呆然とディエゴは聖剣を見つめている。
目の前で起きたことが、未だ信じられないといった様子だ。
「常識ばかりに囚われず、もっとよく深淵を見つめるのだな、ディエゴ。学院の長ともあろう者が正解を知らぬようでは、生徒全員が馬鹿にされてしまうぞ」
ついに魔王が聖剣を作ってしまった……。