忠告
俺の言葉に憤慨したか、ラオスは手を床につき、足にぐっと力を入れる。
だが、瞬きでボロボロになった体は思うようにならず、やはり立つことができない。
「おのれぇ……!」
歯を食いしばり、ラオスは俺を睨んでくる。
「もういいでしょう、ラオス。あなたの負けです」
そう口にしながら、レドリアーノが俺の前に立ち塞がる。
「彼が失礼をいたしました。ここは私に免じて、どうか引いてはいただけないでしょうか?」
「非礼を詫びるのなら、言うことがあると思うがな」
すると、レドリアーノはなんの躊躇いもなく言った。
「あなたのおっしゃる通り、勇者カノンは暴虐の魔王を倒していないのかもしれません。二千年前のことなど、私たちには知る術もありませんから」
少々意外に思った。
「ずいぶんと簡単に手の平を返すのだな」
「それがお望みなのでしょう? これだけ力の差を見せつけられては、言う通りにするしかありません」
俺の力を目の当たりにしたのだ。冷静な判断ではある。
だが、どうも腑に落ちぬな。
こんなにもすぐ矛を収める男が、あれほど敵意を剥き出しにしてくるものか?
「誇りとやらはどうした? 勇者カノンの生まれ変わりがそんなことでいいのか?」
「命よりも 大切な誇りなどありません。頭を下げて事態が丸く収まるなら、何度でも頭を下げましょう」
ふむ。もっともらしいことを言うものだ。
「まあ、いいだろう。行くぞ、サーシャ」
「え……もういいの? もっと暴れるのかと思ったわ」
「敵意をなくした相手を嬲っても仕方あるまい」
俺たちはドアへ向かう。
「ああ、お待ちください」
レドリアーノが俺の背中に声をかける。
「あなたのお名前を、お聞きしても?」
「アノス・ヴォルディゴードだ」
俺はドアを開け、魔法図書館を後にした。
「待って待ってー」
と、エレオノールが追いかけてくる。
「門まで送ってあげるぞ」
人差し指をピシッと立て、彼女は言った。
「すぐそこじゃなかったか?」
「気にしないの。ほら、迷惑かけちゃったし、そのお詫びだぞ」
そう言って、エレオノールは門まで見送りについてきた。
「ほんとにごめんね。喧嘩になっちゃって。でも、アノス君って強いんだ。びっくりしたぞ」
勇者学院を出た後、別れ際に彼女は言った。
「なに、どこにでも血気盛んな輩はいるものだ。なんでも力尽くで片付くと思っているのは困ったものだがな」
「……まったく説得力のない台詞ね……」
サーシャがぼやくように言う。
「ふむ。どういう意味だ、サーシャ?」
「別に。なんでもないわ」
そんな俺たちのやりとりを見て、くすくすとエレオノールが笑う。
「アノス君とサーシャちゃんは仲良いんだ。つき合ってるのかな?」
「え……そ……そんなわけ、ないわっ……!」
「んー? なに焦ってるの?」
からかうようにエレオノールは言う。
「な、なにがよっ! 焦ってなんかないわ」
「そっかそっか。ふーん。そうなんだ。焦ってないんだ」
うんうん、とエレオノールはうなずいている。
サーシャは俺に窺うような視線を向けた後、俯いた。
「なによ……」
エレオノールがふふっと微笑む。
「アノス君、ちょっとおいで」
そう言って、彼女は小さく手招きする。
「どうした?」
そばによると、俺の耳元に彼女は唇を寄せた。
「学院交流、サボっちゃった方がいいぞ。勇者学院は二千年前から変わってないから」
小声で言い、すぐにエレオノールは身を離した。
「どういう意味だ?」
にっこりと彼女は笑った。
「これ以上は知らない方がいいぞ。ばいばい」
エレオノールはまた勇者学院の中へ戻っていった。
「なんて言ってたの?」
二千年前から変わっていない、か。
「開け」
<施錠結界>に通行許可を強制し、俺は門を開けた。
「ちょ、ちょっと、アノスッ。なにするつもりよ?」
「なに、今度は大人しくしている。適当に街で遊んでいろ」
「はぁっ……!?」
声を上げるサーシャをよそに、<幻影擬態>の魔法で姿を隠し、<秘匿魔力>で魔力を消す。
俺はそのまま門の中へ入っていった。
庭から回り込み、魔法図書館の外側にやってくる。見上げれば、先程ラオスが入ってきた二階の窓が開いている。
軽く跳躍し、そこから中へ入った。
すると、ちょうど話し声が聞こえてくる。
「損な役割を任せてしまいましたね、ラオス」
「なあに、なんてこたぁねえよ」
一階を見れば、ラオスが回復魔法の光に包まれていた。
「しっかし、魔族って奴ぁ、強いもんだな」
何事もなかったかのように彼は立ち上がった。
「今の奴でどのぐらいのレベルなんだろうな?」
レドリアーノが静かに言った。
「今のところ、ガイラディーテへ到着した生徒は五人。その内の一人でしょうね。恐らく魔王学院トップクラスのはずです。3回生か、あるいは例の混沌の世代の可能性もあります」
「暴虐の魔王の生まれ変わり、ってやつか」
「だったらさ――」
魔法図書館に透き通った声が響く。
やってきたのは、やはり緋色の制服を纏った少年だ。
金髪で、赤い瞳を持ち、整った顔立ちをしている。
「魔族はぼくたちの敵じゃないよね」
ラオスが同意を示すように笑った。
「ああ、まったくだ。向こうさんの実力も大凡わかった。確かに強い。恐ろしい強さだ。だが、強ければ、戦いに勝てるってもんじゃねえ。それに今頃、人間は雑魚だろうと髙をくくっているだろうしな」
「あなたの名演技に騙されて、ですか?」
レドリアーノが言うと、ラオスはうなずいた。
続いて、金髪の少年が言った。
「早く学院交流の日が来ないかな? 今から魔族たちの驚く顔が目に浮かぶよ」
ふむ。学院別対抗試験を有利に進めるために、わざと俺にやられたフリをしたわけか。相変わらず人間というのは小細工ばかりが得意のようだな。
しかし、エレオノールの言っていた二千年前と変わらないというのは、こいつらに関係していることか?
順当に考えれば、魔族に対する怨恨が薄れていないということだろうが、今のところは学院交流を前に、はしゃいでいるようにしか見えぬ。
「なんたってぼくたちには聖母がついているんだから。ねえ、エレオノール」
戻ってきたエレオノールに、金髪の少年が声をかける。
しかし、彼女は無言だった。
「エレオノール?」
「……なんでもないぞ」
エレオノールはそのまま一人、階段を上がっていく。
「相変わらず、彼女の考えはわかりませんね」
レドリアーノが言うと、金髪の少年が苦笑した。
エレオノールはそのまま二階にやってきて、まっすぐ俺がいる窓まで歩いてきた。
彼女は窓の外を見つめた。
いや、違う。
俺と、目が合っていた。
ふむ。見えているのか?
「…………」
エレオノールは口を開く。
声を発することなく、唇だけを動かした。
――こら、だめだぞ――
といったところか。
彼女はにっこり笑い、外を指さす。そして、<飛行>の魔法で空を飛び、窓から出ていく。
俺はその後を追った。
魔法図書館から少し離れた木陰でエレオノールは止まった。
「勝手に入って来ちゃだめだって言ったぞ。それに忠告もしたのに」
やはり、見えているようだな。
<幻影擬態>の魔法を解き、俺は姿を現す。
「大したものだ。これを見抜ける奴はそうそういない」
「くすくすっ、姿も魔力も全然見えないけどね。根源は隠せてないぞ」
なるほどな。
確かにその通りだが、普通、根源というのは魔力があるからこそ見えるものだ。根源そのものを直接見られるとは、並大抵の魔眼ではない。
根源魔法に長けていた勇者カノンは、それができたようだが。
「わかったら、もう帰った方がいいぞ。勇者学院とかかわっても、いいことはないから」
「お前も勇者学院の生徒じゃないのか?」
「そうだけど、ボクは嘘ついてないぞ」
「証拠は?」
「そんなのないぞ」
なんの躊躇いもなくエレオノールは言う。
あまりに堂々としているので、思わず俺は笑ってしまった。
「あー、信じてないんだ?」
「いや、愉快な奴だと思ってな。今日はお前に免じて引き下がっておいてやろう」
「ほんと? じゃ、ボクに免じて一つ教えて欲しいんだけど?」
嬉しそうにエレオノールが訊いてくる。
やれやれ、なんと図々しい奴だ。気に入った。
「いいぞ。なんでも答えてやる」
「アノス君って、転生前の記憶があるのかな?」
「ああ」
「勇者カノンのことを知ってるんだ?」
「それは二つ目だな」
「あ」
エレオノールはしまった、という表情を浮かべた。
「うっかりしてたぞ」
彼女は照れ隠しに舌を出す。
「カノンのことなら知っている。俺が転生する前に、一つ約束をしてな。生まれ変わったので、会いにきたというわけだ」
「あれ……?」
彼女は不思議そうな表情を浮かべる。
どうして教えてくれたのか疑問に思ったのだろう。
「ついでだ」
「じゃ、ボクも教えてあげる。でも、二人だけの秘密だぞ」
エレオノールは人差し指を立てる。
「約束しよう」
すると、のんびりとしていた彼女の表情が、真剣味を帯びた。
「勇者カノンはもういないぞ。少なくとも、君の探しているカノンは」
「ふむ。どういう意味だ?」
「二千年前、彼は殺されたんだよ。彼の根源はあっても、彼はもうかつての勇者じゃない。探しても、きっと後悔するだけだぞ」
そのとき、遠くから声が聞こえた。
「おーいっ、エレオノールッ。んなところで、なにしてんだ? ハイネが集まれってよっ!」
咄嗟に<幻影擬態>で姿を隠す。
「ごめーんっ、すぐ行くぞっ」
彼女はそう口にして、魔法図書館の方へ向かう。
「エレオノール」
呼び止めると、彼女はこちらを振り向いた。
「誰に殺された?」
彼女は悲しそうな表情を浮かべる。
「……人間だぞ」
そう言い残し、エレオノールは去っていった。
勇者側の事情も、どうやら複雑なようです。
昨日は瞬きの反響がすごくてですね、沢山ご感想をいただけて嬉しかったです。
また面白いと思っていただける話を書けるようにがんばりますねー。